第17話 ご飯を炊く


  訓練課程の日のあたしの朝は、野菜などの下ごしらえから始まることが多い。じゃがいもの皮をむいたり玉ねぎをみじん切りにしたり、エビの殻をむいて背わたを取ったりというどこにでもあるような雑用をする。そしてそれを簡単な下ごしらえにするのだ。オニオングラタンをつくるために玉ねぎをあめ色にいためたり、マッシュポテトをつくったり、クリームコロッケをつくったりと言う作業だ。その日はあめ色玉ねぎを20kg、マッシュポテトを30kg、カニクリームコロッケを500個作った。これらの仕事は近隣のホテルからまわしてもらうのだ。通常の来客がない人肉調理師は普段、訓練をすると言っても実践を踏まえることがあまりない。だからこうして堂嶋さんが近隣のホテルから仕事を回してもらい、それをこなしていく。ホテルとしても面倒な雑務が多少なりとも減ればありがたい。これはまあwin,wⅰnの関係だと言えるだろう。それらの雑務をこなしているあいだ、指導監督となる堂嶋さんはその様子を隣でじっと見つめている。プレッシャーは半端ではない。気になったところはその都度アドバイスや指導が入る。昼過ぎごろにはひととおりの作業が終わり、堂嶋さんはそれら下ごしらえをした材料をホテルへと配達する。この間にあたしは二人分の昼食をつくるのだ。 

 しかし、これはこれでひとつの訓練でもある。ホテルから請け負う仕事はほとんど毎日同じような作業で、それを繰り返し行うことによって普通のひとでは気が付かないような些細な違いにまで気づくようになり、その誤差をより少なくするために小さな変化をつけることで統一するという技術が身に付く。それに対し、昼食、所謂まかないをつくるという行為は常に新しいことに挑戦し、幅広い技術を身につけることにつながる。そして何より、その食事は間違いなく師匠である堂嶋さんが食べるということだ。食べる相手は間違いなくプロ中のプロであり、その相手に食べさせるということが新人コックにとってどれだけの指導になり、また、どれだけのプレッシャーになることか……

 堂嶋さんは毎日、あたしのつくったものを一口食べ、かならず一度難しい顔をする。そうして一呼吸置き、かならず何をどうするべきだという指示を与える。とりあえず今のあたしの目標は堂嶋さんが一口食べ、何のアドバイスももらえない日をつくるということだ。つまりそれは何一つ文句の言いようのないものをつくるということ。果たしてそれが可能かどうかはわからないが、何らかの目標をもって毎日を過ごすことは大事なことだと思っている。

 今日のおひるごはんは親子丼なので、まずはご飯を炊くところから始める。ただし、ご飯は土鍋を使って炊くものとする。

 まず、あらかじめ言っておくが、これは決して土鍋で炊くごはんがおいしいからと言う理由ではない。美味しいご飯を炊きたいならば自分の好みに合った炊飯ジャーを捜すことをお勧めする。それがどんなに高いものであっても、だ。

 時として炊飯ジャーと言う家電は驚くほど高額であったりする。たかだかご飯を炊くための機械がなんでそんな金額になるのかという人もいるだろう。ものによって10万円を軽く超える。しかし、これはたかだかご飯を炊く機械ではないのだ。炊飯ジャーと言う家電は、日本人が主食としているご飯を、〝最もおいしい形で提供するための道具〟なのだ。

 それに高いとはいえ、毎日茶碗二杯のご飯を食べる人ならば、年間で約700杯、その炊飯ジャーを7年使いつづければ約5000杯。たとえ10万円の炊飯ジャーだとしても一杯あたりたったの20円だ。もしこれが4人家族の場合、4分の1の5円になる。どんなに格安の大衆食堂でもこんな金額では仕事を請け負ってなどくれない。それをボタンたった一つでおこなってくれるというのだ。だから少しばかり高くても炊飯ジャーにはお金をかけるべき……

 いや、すっかり話がそれた。それほどまでに炊飯ジャーを崇拝しているあたしがなぜ、土鍋でご飯を炊くか、と言うことなのだが、結局のところこれも訓練だからだ。正直言って土鍋でご飯を炊くのは少しばかり難しい。ほんのわずかな火加減で思いもよらぬ失敗をすることだってあるのだ。要するに、この失敗が必要と言える。失敗には必ず何か理由がある。状況を研究し、なぜ失敗したのか、どうすれば失敗しないのかを日々学ぶことで技術は上昇する。それがたったボタン一つで完璧なご飯を炊いてしまえば、そこから学べることはあまりにも少ない。

 ちなみにあたしは土鍋でご飯を炊くとき、ごく少量の塩とサラダ油を加えて炊く。こうすると米が少しだけつやがあり、ご飯の粒が立つ。ご飯同士の粘りが少し和らぐ。もちろんこれは好みの問題もあれば、お米の品種による差異もある。しかしこの方法は炊飯ジャーでも同じように差が出るので、興味がある人は試してもらいたい。

 と、結局再び話がそれているのだ。お米を愛するあまり、つい話がそれてしまう。

 まず、米を研ぐ。大体3回くらい研ぐわけだが、実は最初に加える水を米は一番よく吸い込むので、水にこだわりがある人ははじめの一杯だけでもいい水に変えてみるといいだろう。ただし、水は絶対に軟水に限る。日本の米は軟水で育つので、当然軟水でなければ馴染まない。へんなこだわりでヨーロッパの山奥で取ってきたような硬水を使っても、水道水ほどおいしいご飯が炊けることはない。水は日本の軟水を使い、できるならば米の産地付近の水を使うというのが粋と言うものだろう。3回くらい研いだ水を捨て、そこに塩とサラダ油を加えて軽く混ぜ合わせ、水を入れる。米1合に対して水220ml位がいいと思う。ここに加える水はできるだけ冷たい水が好ましい。これは、一度冷えたデンプンが温度を上昇する際に糖化して、ご飯が甘く炊き上がるからだ。

まず、はじめは高火力で沸騰させる。中火に落として約5分、今度はごくとろ火で5分、最後にもう一度強火にして5分(この時間の調整でおこげの量を自在にやつれる)たったら火を止める。10分むらしてからふたを開け米を底からひっくり返しておく。一見手間がかかっているようで一度馴れてしまうと意外と簡単にできる。

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