第14話 箸渡し
芹沢家の食事は一通り終わった様子だった。しかし、まだ団らんは続いている。思い出話にでも華が咲いただろうか。きっとまだまだ遅くなるんだろうなと思った。しかし、それが終わるのを黙って待つというのもコックの仕事のうちだと堂嶋さんは言った。堂嶋さんはかつて、人肉調理師の資格を取る前は自分で小さなレストランを経営していたという。閉店時間を過ぎても談話が終わらず、それに区切りがつくまでひたすら待つということもしばしばだったという。
簡単な食事を終えたあたしたちもそこでしばらくの手持ちぶたさだった。堂嶋さんは料理に使い、それでもわずかに残ったアイラモルトのウイスキー、アードベックを持って来て、グラスに注いだ。それでもまだ少しボトルの中に残っている。
「香里奈君も、もう大人だろ?」と言い、もうひとつのグラスに残りを全部そそぐ。
「これもアベルさんへの手向けだ。君も付き合え」
「あ、あの……これって、そのまま飲むものなんですか? 氷とか、水で割ったりとかは……」
「もちろん、それは好みで構わないが、まあ、このまま飲む方が一番味わいがダイレクトに感じることができるからね」
そう言ってグラスを手に持ち、くいっとグラスを傾ける。あまりに普通にそうするものだからそれが普通なのだろうとあたしもそれにならい同じように口をつけた。
喉元を焼けるよう刺激と香味が走り、思わずむせ返ってしまった。
「こ、これって、こんなにつよいものなんですか!」
「ああ、だから言ったじゃないか。アイラモルト、特にこのアードベックは特別癖が強い酒だって、アベルさんにぴったりの酒だ」
「そ、そういう簡単な問題じゃないですよ、これは。こんなにつよいお酒、何でそんなに平気なんですか!」
「まあ、そういうものさ。のど越しは少しばかりきつくても、それはすぐに終わることだ。ウイスキーだけにとどまらず、多くの酒はその先にこそ本当の味わいがある。ほら、少し気を静めてその余韻を味わってごらん……」
言っている意味がよくわからなかった。が、それはほんのわずかな間のことだ。強いアルコールが喉元を通り過ぎて、その痛みがようやく収まり始めるころ、喉の奥の鼻腔の裏側でじわじわとウイスキーの香りが立つ。これは確かに、磯の香りだ。アイラ島が絶海の孤島でその醸造所が潮風にさらされているその情景が浮かんでくる。とても個性的な香りで、クセの強い……たしかに話で聞いたアベルさんのような味わいだ。正直、やはりあたしにはまだ早いが、こういうお酒のたしなみ方もあるのだということくらいは憶えておこうと思った。しかし、まだまだお酒の経験の浅いあたしにはいくぶんこのお酒は強すぎた。わずかに舐めたばかりのそのグラスを堂嶋さんに差し出した。彼はその二杯目のウイスキーもぺろりと飲みこんだ。
「堂嶋さんは、ウイスキーが好きなんですか?」
「酒なら何でも好きだ……と言えば軽蔑するかな?
でも、ウイスキーっていうのはとても面白い酒だよ。当然、長期熟成すればその分価値が上がるというのは言うまでもないが、熟成が増すほどに味わいは深く複雑になっていくのに対し、口当たりの方はどんどん優しくまろやかになっていくんだ。それってなんだか人間みたいじゃないかな」
……なんて、少しはうまいことを言ったつもりなのだろうか。
まったく。普段は朴訥なくせに、料理と酒のことになると急に饒舌なる人だ。
しばらくして食事と談話とを終えたのち、あたしたちはテーブルその他の片づけを始めた。そこまでがあたし達人肉調理師の仕事だ。料理は当然、すべて平らげていた。それぞれの皿に残るのはアベルさんの指の骨のみ。指の骨にはほとんどまったくと言っていいほど身は残っていない。小さくて複雑な指の骨の周りにつく肉は丁寧に骨にしゃぶりつかない限り、こうまできれいに食べることはできないだろう。食卓の誰もがそれをいとわずにしたことに関して、これほど料理人冥利に尽きるものはないだろう。
堂嶋さんがテーブルのお皿を提げようとした時、アベルさんの末娘、ガブリエルさんが「あ、その骨」と言った。
「はい。かしこまりました」と、堂嶋さんは答えた。
たったそれだけの会話で互いの意思は確認できたようだった。
食器の上に残された指の骨を台所へ持ち帰った堂嶋さんは、鞄の中から陶器製の器を取り出した。直径8cm、高さ15cm位の白い円柱型で、同じく白い陶器製の蓋がついている。
「なんですか、それは?」
「これはね、骨壺と言うものだよ」
「骨壺?」
「以前、この国の文化では死者は火葬され、残った骨を骨壺に収めて埋葬していたんだ。昨今、ほとんどの遺体は国が引き取るのでこの風習はなくなったが、こうして骨を身近なところに保管しておきたいというものも少なくはない。だから僕たちはそれに対応するためにこうして骨壺を持ち歩いているのさ」
「ああ、なるほど、そういうことなんですね。あたし、昔から気になってたことがあるんです。学生時代、学校の先生が生徒になにかを挑戦させようとするとき、『骨は拾ってやるから』って言っていたんです。その時、あたしたちは『骨を拾うってなんなんだよ』って笑ったんです。要するにあれって、死んだ時は自分が食べてやるっていう意味だったんですね」
その言葉に対し、堂嶋さんは少しだけ困った顔緒をして、そして優しく笑いながらこう言った。
「うーん、まあ当たらずしも遠からずといったところだな。当時は死者を食べる習慣はなかったわけだからね。でもまあ、死者を弔ってあげるという意味では同じ意味だと言えるだろう」
堂嶋さんはそう説明をしながら食器の上の骨を平たいお皿に白い布を敷き、その上に並べた。
ダイニングのテーブルに骨の乗ったお皿を置き、その隣に先程の骨壺を置く。堂嶋さんから全員に箸が配られる。一本は竹で一本は木の箸と言うちぐはぐな箸だ。初めは間違えているのかと思ったがそれで間違っていないらしい。ミッシェルさんはそのいかにも扱いにくそうな箸で骨を一本拾い上げ、そのつまんだ骨を隣にいる菫さんが同じようにちぐはぐな箸で受け取り、同じようにとなりのアネットちゃんんへ、続いてラファエルさん、ガブリエルさんと続き、最後にその骨は骨壺の中へと収められる。これは箸渡しと言う儀式らしく、あの世で渡ることになる三途の川を箸をかけて渡してあげようという、掛詞のような意味を持っているらしい。地域によっては男女がペアになって箸を一本づつもち、二人で骨を拾うなんて言う難易度の高いことをする場合もある。いずれにしても、死者に対し、尊厳を持って丁重に扱うということに関して一貫していると言えるだろう。
骨壺に収められたアベルさんの指の骨は家の裏手にある祠のところに持って行った。祠には、目印として白い十字架が掲げられている。その下の地面を掘ると、そこには同じように白い骨壺が埋まっていた。話によれば、おそらくそれには奥さんの小百合さんの上腕骨が収められていると考えていいだろう。その隣に、アベルさんの指の骨の詰まった骨壺が収められた。
あたし達、人肉調理師の仕事はこれで全てが終わった。遺族からは繰り返し何度もお礼を言われた。仕事をしてこれほど人に感謝をされる仕事は早々あるものではないだろう。荷物をまとめ、帰り際にミッシェルさん一家が見送りに来てくれた。最後にミッシェルさんは堂嶋さんに言った。
「この度は本当にありがとうございます。それで、次なんですが……」
「次、ですか」
「はい、ちょうど来年の今頃になると思います。アネットが十歳になるので次はわたしの番です。その時はまた、ぜひとも堂嶋さんにお願いしたいのです」
堂嶋さんはその言葉に、少し驚いたような表情を一瞬浮かべたが、
「ありがとうございます。お気持ちはうれしいのですが、人肉調理師も現在人手不足です。あまり先のこととなると確実なお約束はできないのです。ですが、日にちが近づきましたら管理局へご一報ください。スケジュールが可能な限りで指名には応じるようにしてあります」
「わかりました。それではまた改めてお目にかかる日を……って、その時わたしはお目にかかることはできないんでしたね。ほんとに、この度はありがとうございました」
「お役にたてれば幸いです」
そう言って堂嶋さんは少しはにかんだ。そして、去り際に最後、ひとことだけ言葉を添える。
「――それでは、芹沢家にこれから先の、さらなる繁栄があらんことを」
ひととおりのあいさつを終え、さあ、出発と堂嶋さんが車のエンジンをかける。
そういえば……
「そう言えば堂嶋さん。さっきお酒飲みましたよね?」
「あ――」
まったく。どういうわけかこの堂嶋さんと言う人はところどころ抜けているところがあるようだ。きっといつかお酒でとんでもない失敗をするんじゃないだろうかと考えてみたりする。
「いいです。あたし、運転しますから」
「君は、運転免許を持っているのか?」
「ええ、一応は……」
「そうか、それは助かる。香里奈君と一緒ならどこに行っても気兼ねなく酒が飲めそうだ」
――まったく。
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