第50話 戒め
「どうですか。思い出せました?」
イアナさんは僕の額に置いていた人差し指と薬指を離し、そう問いかけてきた。
「……はい」
「同情はしますよ。でも頑張りすぎ。無理した結果バカしたってことはわかりましたよね」
「そう……ですね」
再び僕とイアナさんのテンションが逆転し、僕は自分がいかにやらかしてしまったかということを再確認させられる。
記憶が飛ぶ直前――僕の体から力が抜けたのは、単純に回復しきれていなかったせいだ。
連日の徹夜で疲弊しきっていた体。しかも魔術によって疲労を誤魔化していた状態となると、余計に負担がかかっていたハズ。
昨晩は睡眠をとったとはいえせいぜい五時間。一日分の疲れならまだ何とかなったかもしれないが、四日分+αの疲れが溜まった体が、それで全快するはずなどなかったのだ。
体調がよく感じたのは、解決への糸口が見えたことと、久々に多少なりとも睡眠がとれたことから来た錯覚。
未だ疲弊していた体は、魔術を使おうとした瞬間にパンクしてしまったということだ。
そしてあろうことか、イルに僕を手にかけさせてしまった。
「僕は、なんてことを……」
「一度ならず二度までも、ですからねぇ。これはもう早々覆りませんよ」
「そうじゃないですよ! イルは僕を親だと慕っていてくれた! 親殺しをさせてしまったんですよ!! 今イルが何を思っているのか、考えただけでも胸が張り裂けそうで……!」
「わかってますってば、もう。そこは急げばまだ誤魔化しきれます。それだけ思ってあげてるんなら、もっと自分の命を大事にしてください」
「そういう問題じゃ! ……いえ、すみません…………お願いします」
誤魔化せればいいと言う問題ではない。
しかしイアナさんが言っていることも間違ってはいないと、僕はこれ以上口を出すことはしなかった。
イアナさんは転生――生と死を司る女神。それ故に、例え人の身から神に成り上がった者だとしても、命の倫理観というものは狂ってしまうだろう。
それに、狂っているからこそ最後の一言が重かった。
口にしているイアナさんの表情も、どこか切なく訴えかけてくるようだった。
自分が忘れてしまったものを、忘れてはいけないものを、どうか繋ぎとめておいて欲しいという、祈りにも似た願い。
僕は小さく首を縦にふると、イアナさんの顔が少し穏やかになったような気がした。
この直後、イアナさんがパチンと指を鳴らすとともに、僕の視界はだんだんと光に包まれていく。
「応援しています。次はまた――〝星の降る日〟に」
その言葉を聞きとると共に、イアナさんの姿が完全に見えなくなった。
そして――
◇
雲一つない、真っ青な空。
死ぬ前に見たものと同じ光景が、僕の目に映し出された。
「ルティアちゃん!」
「ルティア!! 大丈夫なのか!?」
「「ひぐっ……ママぁ!!」」
「わっ!」
体を起こすと同時に、イルとウルが両側から抱き着いてくる。
傷は完全に癒えているようだが、流石に服や地面は血まみれだった。
そんな僕に何の躊躇もなく抱き着いてきた二人の服も、言わずもがな血まみれである。
そういえば、イルは魔物化して巨大化していたはずなのに服が無事だ。不思議。
……と、そんなことより。
「皆、すみません……その、足を滑らせてしまいました。もう大丈夫です」
「イルのせいで……」
「っ……いいえ。イルは悪くないですよ。僕が言い出したことですし、僕の不注意です。元気を出してください」
「……うん」
素直に受け止めてくれたイルに心が痛む。
彼女の悲しそうな顔を見たくないがために、僕はその頭を撫でていた。
本位ではないにせよ、その場を誤魔化そうとする自分にまた罪悪感が募る。
同時に、もう二度と姉妹のこんな顔をさせないようにしなければと、心持ちを新たにした。
罪意識からくる償いのつもりかもしれない。だが何もしないよりはマシだと、そう自分に言い聞かせながら。
「全く、本当に死んじゃったかと思ったよ!? ちゃんとスフィちゃんにお礼いってね?」
「……スフィ? げふっ!」
足元にいたらしきスフィが、僕の頭に飛び蹴りを喰らわせた後、右肩に着地した。
瞬間。姉妹の表情が一気に険しいものに変わり、スフィのことを睨みつける。
「言っておくけど、これは挨拶よ。いじめじゃないわ」
「「……あいさつ?」」
「そ。私専用のね」
「……勘弁してください」
ネリスに怒った時といい、イルとウルは僕を痛めつけられるのが嫌なのだろう。
二人の怒りを治めるための嘘……だと思いたい。
心の内で若干の不安を感じていると、スフィが肩から耳打ちをするように小声で話しかけてきた。
「裂かれた後、私がずっとあなたの上に乗って、治癒を施していた風に見せてある。安心なさい、死んでた時のことは誰にもバレてないわ」
「! それは……ありがとうございます」
「本当よ。もっと褒めなさい。あと、そこの小娘にもお礼しときなさい」
「小娘?」
誰のことかと思ってスフィの目線を追ってみると、僕の左脇、イルの隣に座っているネリスのことを指しているのだと理解する。
ネリス嫌いなスフィがお礼を言えとはまた珍しい。
一体何があったというのだろうか。
「あんたがやられて暴走することを懸念したんでしょ。動揺した姉妹に落ち着くよう説得してたのよ」
「!!」
「いや~大したことはしてないよ~。皆無事で何より!」
「ネリス……ありがとうございます……本当に……ほんとうに……!!」
「……どういたしまして」
お礼の言葉を述べると同時に、どうしようもなく目頭が熱くなった。
イルとウルが暴走するかもしれなかった。しかしネリスのおかげで暴走せずに済んだ。
お礼を言わなければならないのは間違いないが、泣きそうになっている自分がよくわからなかった。
心の底からホッとしていて、何もかも救われたような……そこまでの安堵の涙を浮かべていることが、今の僕には理解できなかった。
「ママ、いたいの?」
「イルのせい!?」
「いえ。大丈夫、です。どこも、痛くありませんよ」
心配して見つめてくる姉妹を安心させようと、僕は零れ落ちそうな涙を拭い、笑顔を作り上げた。
するとネリスが少し寄ってきて、イルには聞こえない声で話しかけてくる。
「大丈夫? 力を見せることが目的だったんじゃない?」
「まあ、はい……でも保険みたいなものでしたから。おそらくは大丈夫でしょう。僕自身、予想以上に疲れていたようですし、これ以上みっともない姿は見せられません」
「……そっか」
「はい」
ネリスの反応がいつもより少し優しい気がした。
彼女には本当にお世話になっている。
いつかはこの恩返しをするためにも、僕自身がもっとしっかりしなければ。
僕は密かに握りこぶしを作り、己への戒めとしてこの五日間を心に刻み込んだ。
……そんな行為さえもお見通しなのか、ネリスはニコリと僕に優し気な笑みを浮かべ、僕の左肩を叩いた。
「まだまだ叶いませんね……さあ、帰りましょうか」
「その前に、三人とも落とせる血は落としてね。そこに川あるから!」
こうして僕たちは、川で肌についていた血液を洗い流した後、レラの町で着替えを見繕ってからファルムへと帰って行った。
これからは月に一度、自由に狩りに出かける日を設けることでイルの狩り衝動も収まり、夜中に禁断症状が出る事も無くなった。
紆余曲折……果てにはとうとう死に至ってしまった今回の事件ではあったものの、結果オーライである。
そうして一夜が過ぎ――翌日『Lutia』店内。
コン。コン。コン。コン。
「どうぞ、お入りください」
午前中の店内待機時間。
珍しくネリスが来ていなかったこの日……規則正しいノックと共に、『彼』は来るべくしてやってきた。
「では、失礼するよ」
「……!!」
「なっ……!? て、テメェは!!」
僕たちの反応などお構いなし。
紳士然としたシルクハットを手に取り、丁寧なあいさつを見せる彼。
以前ゴートと名乗っていたその男が、僕の店にやって来たのだ。
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