第21話 幸の盃

「も~……今回はこれでいいにするけど、今後は絶対にやらないように。いいね?」

「はい……すみません」


 大賑わいの酒場を見たネリスは、それはもう怒っていた。激おこだった。

 不要な争いやトラブルを避けるため、建物内での魔術の使用は禁止されていたのだ。

 僕をそそのかした客たちはもれなくネリスのお叱りを受け、僕も執務室に呼ばれて厳重注意となった。


 僕は魔術が禁止されていたことを知らなかったのだが、気が付くべきだったと重々反省している。

 昨日、不可視化を使って入ろうとした時に結界に引っかかったのだから、中で魔術を使おうとすればどうなるかということくらい、少し考えればわかっただろうに。


「うん。じゃあわたしはまた外出てくるから、帰ってくるまでは部屋で待ってて~」

「はい……」


 流石に仕事に戻してはくれないか……。

 今回は自分が招いたミスだ。幸運値がどうとかという言い訳は効かない。だからネリスも怒っていた。

 僕自身、今後の身の振り方はしっかり考えなければならないだろう。

 執務室を後にした僕は、大人しく二階の自室へと戻っていった。


 机に椅子、タンスとクローゼット、それから姿見にベッド。

 ここで暮らせるだけの物がそろえられた、飾り気のないシンプルな部屋。

 窓際に設置されているベッドに腰を下ろすと、膝の上にスフィが乗って来て不満げな顔を見せる。


「調子に乗るからよ。まったく」

「ぬ……スフィだって途中から楽しんでたじゃないですかぁ」

「あ、あれは! その……噛むわよ!」

「それは理不尽! 痛っ!?」


 スフィの突進攻撃が僕の顔面を襲った。

 噛まなければいいって問題じゃない。


「……でも、そうですね……確かに調子に乗りすぎました。人に期待されるというのは、久しぶりの感覚でしたから」

「期待ねぇ……それで目的を見失ったりしないでよ?」

「はい。それは気を付けます」


 僕が下界に転生した目的は、あくまで神としての恩寵を取り戻すこと。

 そして廃れ行く世界を救い、再び世を繁栄に導くこと。

 僕の恩寵は人々の幸福な気持ちの積み重ねから生まれる。

 とにかく、できるだけ多くの人を救い、幸福を届けること。それが一番の近道であり、唯一の道だ。

 これだけは肝に銘じておかなければならない。


 僕はベッドに横たわり、真っ白な壁とにらめっこしながら考える。


 地道にやって、どれくらいの時間がかかるのだろうか。

 そもそも、この世界にはあとどれだけ時間が残されているのだろうかと。

 今現在、この町はかなり栄えているのだと思う。

 証拠としてあげられるものは少ないが、酒場の人入り具合は正直言って異常なレベルだった。

 毎日がどんちゃん騒ぎになるほど栄えているのだから。


 そんな状況がいつまでも持つとは思えない。

 おそらくこの町は今、僕の散らばった恩寵の影響が強く表れている。

 今はまだいいかもしれないが、需要と供給のバランスで出来ている市場の物価は、これからどんどん上がり続けるだろう。もう既に上がっていてもおかしくはない。

 前例を見ないほどに物価は上がり続け、民も潤っていく。

 こうしてギリギリのバランスを再編成していき……ある日を境に、右肩上がりだった民の懐は冷えていくのだ。これもまた、類を見ないほどのどん底に。

 ここもいずれ……もしかしたらそう遠くないうちに、そのきっかけとなる大きな災厄に見舞われるかもしれない。


「僕がここに送られたのも、ひょっとしたら関係があるのかもしれないですね……」

「ん? 何か言ったかしら」

「……いえ、独り言です」


 何もできることがないと、いろいろと考えてしまう。

 そういえば昨日の森火事……北にあるという村は大丈夫だろうか。

 どうしてあんなところで急に火の手が上がったんだろう?

 森に入った時は何もなかったのに、かなり急な火災だった。

 本当は確認に行きたかったが、あの時はメアリスとサレスの安全を優先したかったし……気になるな。

 メアリスの件もどうなったんだろうか。

 今朝ネリスが衛兵詰所に連れて行ったきりだし、弟たちもまだ客室で結果を待っている。

 さっきはその話を聞くこともできなかったが、うまくやれているだろうか。

 あとはあの……僕が爆発させた酒場と、フォルトを名乗った男。

 彼は、彼の仲間たちは、今どうなっているのだろうか。


 いずれも答えは出てこない。

 やがて襲ってきた睡魔によって、僕の意識はゆっくりと閉ざされていった。




 ◇




「――――!」

「――と――!」


 誰かの声が聞こえた。

 これは夢の中だろうか。


「ふぉ――さ――!」


 どことなく聞き覚えがある声。

 いや、ついさっきまで聞いていた声……?


「フォルト――ん!」


 僕を呼んでいるのか?

 一体誰が――


「いい加減起きてください!!」

いだっ!?」


 夢にしてはリアルな痛みが僕の右頬を襲った。

 同時にこの聞き覚えのある声が何なのかを察する。

 体を跳ね起こしてみてみると、ベッドの隣に立っていたのは、つややかな黒髪を胸程まで伸ばしたメガネの女性。

 輪廻転生の女神・イアナさんだった。


「い、イアナさん!? なんで僕の部屋に!?」

「ああ、背景これはあなたの意識を基にした幻覚なので、お気になさらず」

「幻覚……? リアルじゃないってことは……」

「そう。私は今、あなたの頭の中に直接現れています」

「なんか気持ち悪いですよ。それ」

「な゛ッ!?」


 僕の指摘にかなりのショックを受けたのか、数秒ほどイアナさんの体が硬直したまま動かなくなった。

 実際、頭の中に誰かが入ってくるとか、想像しただけで恐ろしいだろう。

 イアナさんは再び動き出したと思ったら、今度は若干頬を赤らめ、咳払いの後に再び口を開いた。


「じょ、冗談に決まってるじゃない。ここはあなたの夢の中。スフィに宿した加護を通じて、こうしてお話に来ました」

「なるほど。そういうことでしたら僕もお話があります」

「それはまたの機会に聞きます」

「なんでですかー!」


 こちとら言いたいこといっぱいあるというのにー!

 天界から落っことしてくれたこととか、女性になってることとか、メイド服着せられたこととか、それから幸運値のこととか――て、最後は僕が原因か。

 とにかくいっぱいあるというのに!!

 文句と言う名の感想文が!!


「あーもう駄々こねないでください時間ないんですから。全部私の趣味です! 終わり! ハイ話続けますよ」

「え? 今なんて――」

「続 け ま す よ !!」


 僕に反応の余地を与えないまま、イアナさんは本当に話を次に持って行ってしまった。

 彼女は右手を僕に差し出して、手のひらが見えるように開いて見せる。

 すると手の上に何やら光が集まっていき、一杯の盃へと姿を変えた。


「これは『幸の盃こうのさかずき』。これからあなたが恩寵を取り戻していくための指標となるものです」

「指標……ですか? その安っぽい金メッキが?」

「安っぽいって何ですか!? なんか私と話すときだけ口悪くありません!?」

「気のせいですよ。たぶんこう、いろいろと溜まってるだけです」

「気のせいじゃないじゃないですか……まあいいです。これからの活動に比例して、幸福や感謝の気持ちがこの盃に溜まっていきます。これが一杯貯まるにつき、幸運値のランクが一つ戻ると考えてください。SSまで戻ることができれば、恩寵を取り戻すことが可能でしょう」

「……ふむ」


 盃を受け取り、早速だが中を見てみる。

 空っぽ……かと思いきや、そこには一滴分ほどの虹色に輝く雫が入っていた。

 メアリスたち兄弟の分か、酒場で客を楽しませた分のどちらかか、両方か。

 これをGからSSまでだから……これが一杯になるのを八回。


「GからF、FからEは比較的早く貯まるでしょう。でもそれからは段階を踏んで貯まりにくくなると思いますので、頑張ってください」

「うげぇ……面倒くさい」

「ハッキリ言わないでくださいよ!! 仕方ないんです! 目に見えて分かる物を与えられたんですから、むしろ感謝してください!」

「えー……でも色々溜まってますしぃ……」

「わかりました!! またの機会に聞きますから!!」

「えー……絶対ですよ? 原稿用紙百枚分くらいでまとめておきますから」

「ヒッ!?」


 イアナさんの顔が明らかにひきつった。

 百枚となると、四百字詰めで四万字。

 さすがにそんなに多くはならないと分かっていながらもこの反応。

 ちょっと楽しみが増えたかもしれない。


「でっ、ではそういうことですから! もう夢も覚めますし……あ、タンスとクローゼットの中に少しおまけしておいたので見ておいてください! では!!」

「え? おまけ? それって――」


 おまけについて詳しく聞き出そうとしたところで、再び僕の意識が薄れて行った。

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