一億分の一の小説

@1420045

一章 『此処から』

第1話 『あの日の君は』




「ねえ、大和って童貞?」



「ぶぶぶブゥゥゥゥゥ!」



唐突の質問に一瞬にして口に含んでいた苦ったらしいコーヒーは机の上へと水たまりを作った

それに加え、コーヒーが喉の中につっかえって咳き込む始末だ。ようするに


完全にむせた



「ごほっごほっごほ」



咳き込む大和を横目に先刻の声の主である彼女はやれやれとでも言っているかのように散乱したコーヒーをハンカチで拭いている


幸い周りには大和たち以外には誰にもいなかったので変に恥じらう必要はない

だけど、彼は違う


1度コーヒーではなく今度はカウンターから取ってきた水を一杯飲んだ

そして、乱れる呼吸を整えて



「え、あの、ふうなちゃん?今さっき今日日(聞かないことが耳に、しかも唐突で入ってきたんだけど」



焦る大和に対して冷静さを介しない彼女。

動揺しているのは明ら様に大和の方で嘔吐物を拭き終わった彼女は先刻と同じ言葉を口にした


真顔で



「だーかーらー、大和は童貞なの?」



「え、なに、どうしたんだよ急に。」



童貞なの?と聞かれて動揺しない奴はまずいないだろう。少なくとも大和はそうだ

なんだ?ニ年も付き合ってまだそういうこと一回もしてないから彼女さんは欲求不満にでもなっちゃったのか?


そう思うしかない…んだろう。まぁ、すべてはすべて大和自身がそうしてきたのだから

大学では恥ずかしがり屋で有名で、友達には赤面仮面(せきめんかめん)とまで言われたことがあるくらいだ


要するに言いたいことは、大和自身がそういうこと自体を拒んできたのだ

つまり、あの質問にはふうなからの深い意味が込められているに……違いないのだ



「いやー別に。ただ聞いてみたかっただけだけど」



「いやいや、すんごい意味深発言じゃん。言いたいことあるんだったらすっと言ってよ」



苦笑いしつつ、大和はそう言葉を並べた

笑い方もぎこちなくて、若干つくり笑いにもなっている。それに、

目の前に座っているふうなの顔が険しく見えてしょうがなかった



「え、じゃあ逆に言いたいこと全部ここで言っちゃっていいの?まぁ、今は周り誰もいないし言っちゃっても……」



「おいおい、ちょっと待て。なんかよくわからんが俺にとってすんごい不利な発言をされそうだぞ」



「不利な発言かは知らないけど、言っちゃていいんだったら言うよ」



「え、だからちょっと待ってくれよ」



大和は長考した

なぜ急に彼女から下ネタ発言が飛んできたのか

なぜ急に彼女の顔が険しく見えるのか

なぜ急に俺の心が緊張と不安でかき乱されているのか


大体は察しいてた

全部自分が優柔不断なせいだからだと


あれだろ?なんていうのか、ふうなはあれだよあれ、言葉にしづらいけど単に言うならあれだ



「あ、もしかしてふうなちゃん。今日…あれだったりすんの?」



「あれ?あれってどういうこと?曖昧な言葉で隠された気がするんだけど」



うわ、ふうなの勘がえげついほどにすごい

これが女の勘って言うやつなのだろうか


大和は再び悩む

これは、普通に言わないとずっと聞かれるやつだ、と内心思った

曖昧な言葉とはとても気になるものだ。自分がふうなの側だったらもちろんとても気になる



「いやー、これはちょっと彼氏として言えないっすねー。ふうなちゃんも別に"あれ"なんか気にする必要はないからさ」



大和の若干のぎこちない笑い方と、たどたどしい喋り方をふうなは見逃さなかった



「あ、別に私、今日生理じゃないからね」



一瞬の間が空いて、大和の顔は少しの間だけ硬直して

気づいたときには変に言葉を並べていた



「ま、まぁ、そうだろなっていう気はしてたよ。もちろん…俺が言う"あれ"っていうのは、ふうなが言うあれってやつとはまた少し違うくて……」



「はいはい。大和くん最低ー」



「うわ、これも今日日聞かないやつだ」





************************************************








静かになった空間

大和はコーヒーを飲みながら明日中に仕上げないといけない原稿をひたすら書いていた

こう見えて一様プロの作家である彼はドラマ化、映画化、そんなことなんて一切無縁の無名作家だった


プロと言って名が上がるわけではない

そう断言できる理由は今それに自分が直面しているからだ

だから、今度こそとは思って今新しい小説を書いている


もうほぼクライマックスの場面、ここをどうするかの判断が最重要だ。今まで張ってきた伏線と、ニ人の関係を繋いで面白い最後を…




「ーーー」




ふと目に入った。良かれと思っているのかたんなる嫌味なのかわからんが、今人気の作家の小説を手に颯爽と読みふけっているーーふうながそこにはいた


俺の目の前で肘をつきながら、時折落ちてくる髪を耳にかけて、


そんな光景を見ていると、自然と大和の手はキーボードを打つのをやめていた


いや、その光景を見ていると、そうなるのが必然的だった



「……?どうしたの大和」



大和に視線を変え、いつものふうながそう言う。さっきまでの光景を見ると、何というのか、普段通りに喋りにくくなった

だから、自然と言葉はたどたどしくなって



「え、あーいや。何の本読んでるんだろーって思って」



「あー。この小説面白くて、ついつい読んじゃってさ、大和もこれぐらいの作品かけるようになったらいいなーとか思いつつ」



「うおーすんごい胸に刺さるお言葉!俺だって頑張ってるつもりだよ?一様まだ大学生だからさ、本気出せてないだけだ」



「はいはい。そういうことにしておく」



「そういうことってなんだよ」



再び大和は小説を書き始めようと視線をパソコンの画面へと向けた

その時、横から何やらいい匂いを感じた。

暖かい何かと、その匂い。同時に感じたものは紛れもなくーーふうなからだった



「うおっ!?急に横くんなよ」



「ごめんごめん。大和がどんな小説書いてるのか気になってさ」



「発売したら読んでくれよ。今はまだ推敲も終わってないしラストのシーンもまだ書き終わってないんだからさ」



「えー、けち」



「けちは関係ないんじゃないのか」



「ごめんごめん。あ、そうそう、これを大和にあげようと思って」



そう言った刹那、彼女から1つの小説をもらった。なんのカバーもなく、ましてや本屋で売られているようなものでもない

要するに、完全な手作りだった



「え、なにこれ?もしかしてふうなが自分で書いたやつ?」



「そう。一様大和がどんな感じの仕事してるのか知ってみたくて、自分で書いてみた」



書かれているノートの中身を見ると、普通に文体もいいし、最初の三行だけしか読まなかったけど普通に面白そうだ



「なんか普通に面白そうな感じするんだけど。初心者とは思えないよふうな」



「ま、これが私の実力ってもんよ」



お世辞ってもんじゃない。単なる褒め言葉だ

三年ほど小説を書いてきたが、ふうなみたいに一発目で面白そうな小説を書いた人を見たのは初めてだ

さすがだな。なんでもできちゃう感じだしなふうな



「いやー、ふうなちゃん。ちょっとこの小説読ませてもらうよ。最初の三行だけだったけど絶対これおもしっ!?」



一瞬の出来事だった。唇に、急に暖かくて柔らかいのがあたった

安心感と愛情、その他いろいろな感情を取り混ぜて全身に注がれたように感じた



「え、え、ふうなちゃん!?」



「私、今日はもう帰るからまたね」



そういって彼女はにっこりと笑みを浮かべて喫茶店から出て行った

いつも以上にドアベルの音が大きく聞こえて



「そんな唐突な……」



顔がにやけた。ふうなからしてもらったのが初めてだったからかもしれない。いや、それ以上に感じた何かが大和をそうさせた



「また、"明日"」



彼女のいない空間でその言葉は彼女には届かない。だけど、自然とその言葉は口からこぼれていた



緑の生い茂っていた木々が赤や黄色へと紅葉し始めていく10月頃のこと





俺はこの日からふうなに会っていない










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