2.キョーコさんと夏のヒマワリ

 夏休み!

 太陽は空のてっぺんでぎらぎらと輝き、そして僕らはだらだらと汗を流す。

「うあっちぃ……」

 マサルが死にそうな声を出した。

 さっきまで、僕とマサルとタカカズは学校のプール開放で泳いでいた。ちゃんと身体をふいて服を着て出てきたのに、もうTシャツは汗でぐしょ濡れだ。

「今日、予報は三十八度だったもんなー」

「……言うなよタカカズ。数字聞いただけで暑くなる」

 僕もうめいた。

 家の中でごろごろしていると、親に「子供は元気よく外で遊ぶもの」とか言われて追い出されるのだけれど、子供だって暑いものは暑い。自分の体温よりも高いような温度の中で、元気よく遊べと言われても困る。

 プールならちょっとはマシかなーと思って三人で連れ立って来てみたものの……ほとんど、ぬるま湯につかっているような気分だった。

「で、これからどうする?」

 花壇の横を通って、校門のほうへと歩きながら僕が訊く。

「どーするって言われてもなー……」

 マサルは死にかけてて、考える気が全くない。

 汗でずり落ちてくるメガネを直しながら、タカカズが言った。

「図書館行こうぜ、図書館。あそこならクーラーきいてる」

「何よあんたたち、じじむさいわねえ。あたしより若いくせに」

 突然花壇の中から声がして、僕たちは振り返った。

 僕らの身長より高い、まぶしいくらいにまっ黄色のヒマワリの群れ。その中に、一人の女の子がヒマワリに負けない強烈な存在感で立っている。

「そんな昼間っから堂々と出てていーんですかキョーコさん。ユーレイなのに」

 死ぬほど暑くても、タカカズのツッコミ魂は健在だった。

「いつ出ようとあたしの勝手じゃないの」

 ――キョーコさんは、このタチバナ小学校に十年くらい前からとりついている、筋金入りの地縛霊だ。

 あの算数ドリルの日以来、僕らとキョーコさんはすっかり顔なじみになった。そりゃ最初はもちろん怖かったけれど、こんな問題も解けないのかだの何だのと怒られているうちに、すぐに〝ユーレイとしての怖さ〟は感じなくなった。その後も何回か夜の学校に忍び込んで、六年二組の教室でしゃべったり、宿題でしごかれたりしている。

 ついこの前まで「ユーレイなんて信じない」と言っていたタカカズも、見てしまったものはしょうがない、とか言ってあっさりとキョーコさんの存在は認めた。けど、相変わらずキョーコさん以外のユーレイは信じないらしい。

 しかし、いつ見てもキョーコさんはユーレイとは思えないくらい堂々としている。ユーレイだって知ってなきゃ、ユーレイに見えない。今もそうだ。――ただし。

「キョーコさん……お願いだから、その格好はやめてよ。見てるこっちが暑い」

 セーターに、生地の厚そうなスカートにハイソックス。さすが死んだのが卒業式直前だっただけあって、全身冬仕度である。

「気にしない、気にしない。それよりあんたたち、いいトコに来た。手伝いなさい」

 暑苦しい格好なのに汗ひとつかかず、澄ました顔でキョーコさんが言った。

「手伝うって何を?」僕が訊くと、

「水やりよ、水やり。花壇で他に何するっての」

 ぎろっとにらまれて、僕は一歩あとずさる。

「だいたい、あんたたち三年生の花壇でしょーが、ここ」

 そうなのだ。僕たち三年生はどのクラスもヒマワリを育てていて、毎日誰かが当番で水をやっていた。当然、夏休み中もその当番はまわってくるのだけれど、やっぱり忘れたりサボったりしてしまうこともある。

 今日も水がやられてないらしく、かんかん照りの太陽の下で、ヒマワリも少し元気がないようだった。キョーコさんが僕らにハッパをかける。

「ジョロはそこ。水道はそっち。ほら!」

「うぇー、マジかよー」

 マサルが悲鳴をあげるが、キョーコさんの迫力に押し切られて、結局三人でのろのろとジョロを取りに歩き始めた。ふと思いついて、たずねてみる。

「……キョーコさんは?」

「あたし、ユーレイだからあんまり重いものは持てないのよねー」

 ――都合のいい時だけユーレイになっているような気もしたけど、怖かったので口には出さなかった。

 汗をかきかき、三人で手分けして水やりにとりかかる。

「こらサボるな、マサル」

 早くも手を止めてぼーっとしているマサルにタカカズが注意すると、マサルがしみじみとつぶやいた。

「……熱そーだよなー」

「何が」

「金次郎」

 言われて、思わず僕もそっちに目をやる。

 僕らの小学校の校庭には、二宮金次郎の銅像が立っている。今日も薪を背負って、熱心に本を読みながら、台座の上でじりじりと太陽に焼かれている。

「……今ならきっと、金次郎で目玉焼きが焼けるぞ……」

「焼くなそんなもん」

 二人の会話に、ちょっと笑ってしまった。

 前にマサルが聞きつけてきたウワサによると、金次郎は夜に校庭をジョギングしているんだとか。それを確かめるために張り込んだこともあるのだけれど、とりあえずその晩は金次郎は大人しく本を読んでいた。で、

「ほれ見ろ」

と〝ジョギング金次郎〟を否定したのがタカカズで、それに

「いーや、今日走らなかったからって絶対走らないということにはならない」

と反論したのがマサル。日を変えてまたチャレンジするんだと主張していたけれど。

「――そうだ!!」

 急にマサルが大声を出した。

「キョーコさん、ずっと学校にいるんだろ? だったら、金次郎が走ってるところ見たことあるよな!」

 その言葉に、僕、マサル、タカカズの目がいっぺんにキョーコさんに集まる。

「はあ?」

 キョーコさんがすっとんきょうな声で訊き返す。

「走る? 金次郎が? 見たことないわよそんなの」

 あっさりとキョーコさんは否定した。

「じゃ、じゃ音楽室のモーツァルトとベートーベンは? 夜になると大ゲンカしてるって」

「してないわよ、ケンカなんて。そのウワサあたしが一年だった頃からあるけどさぁ」

 ――それはいったい、いつのことだろう。

「じゃあ……」

 諦めきれないという感じで、マサルがさらに訊いた。

「理科室の踊るガイコツは?」

「――あ、それあたし」

「へ?」

 予想外の返事に、僕ら三人マヌケな声を出す。

「だからぁ、あたしが遊んでたんだって、ガイコツにパラパラ踊らせて。おかしーな、誰に見られたんだろ」

「何でパラパラ……」

 僕がつぶやくと、

「手だけ動かせばそれっぽくなるからねー。ほぉら、ムダ話してないで水やり、水やり。ヒマワリが干上がっちゃうじゃないの」

「キョーコさん、ガイコツ動かせるんだったらキョーコさんもやってよー」

 怖いもの知らずのマサルが言ったが、

「重いものは持てないって言ったでしょ。ガイコツの手くらいなら持てるけど、水の入ったジョロなんてムリムリ」

「映画のポルターガイストなんて、家具持ちあげてるじゃんか」

「日常的にポルターガイストやるほど、あたし悪霊じゃないわよ。そもそも、ジョロに水くんでまくほど器用なポルターガイストないって。あたし、水道の蛇口もカタくてひねれないのに」

「そうなの?」

「そーよ。だからホンっトいいトコに来たわーあんたたち」

「ちぇー」

 文句を言いつつ水やりに戻る僕たち。

 それにしても、もし僕らが通りかからなかったらキョーコさん、どうしてたんだろう?

 花壇の真ん中で、元気のないヒマワリを心配しながら、それでも見ているだけでどうすることもできなかったのかな。もしそうだとしたら、ヒマワリもキョーコさんも、ちょっと気の毒な気もした。

「ねえ、キョーコさん」

「何?」

「また、来るよ。――あんまり暑くない日にね」

「ばぁか。暑い日じゃないと意味ないでしょ」

 そう言って、キョーコさんは笑った。


 キョーコさんと出会った年の夏休みは、そんなふうに過ぎていった。

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