僕らとキョーコさんの日々

卯月

1.キョーコさんと算数ドリル

「――六年二組の教室に、〝出る〟んだってさ」

というウワサを最初に聞きつけてきたのは、マサルだった。

 僕とタカカズとマサルは、二年生から三年生に進級するときのクラス替えで初めて同じクラスになったのだけれど、その頃にはもうどこに行くのも何をするのも一緒、ってくらいに意気投合していた。

「出るって……今度はどんなのだよ」

 僕が訊くと、

「オレは信じないね。ユーレイなんて」

と、いつも冷静なタカカズが言う。

 マサルはこの手の話が大好きである。まだ仲良くなって二ヶ月くらいだけれど、校庭の二宮金次郎の銅像が夜になるとグラウンドを走り回っているだの、音楽室のモーツァルトとベートーベンがケンカしているだの、理科室のガイコツがパラパラ(……?)を踊っているだの、どこまで信じていいかわからないような話をしょっちゅう持ってきた。

 ――とはいえ、信じる信じないはともかくとしても、僕もタカカズも、マサルが持ってくるこの手の話は大好きである。「本当かどうか確かめる」ということで、夜中に学校に忍び込む口実ができるからだ。

 もちろん、一晩中見張っていても二宮金次郎はグラウンドを走らないし、モーツァルトとベートーベンはケンカしないし、ガイコツも踊らない。でも、そんなことはどうだっていいのだ。家族が寝静まったあと家を抜け出して、真っ暗な学校にこっそり忍び込む。誰かに見つかったらこっぴどく怒られるに違いない。だけど、そのスリルがたまらないのだ。

「今度のはホントだって!」

 マサルが勢い込む。「六年生から聞いてきたんだ、間違いないよ!」と、拳を握って力説している。

 ――で、そのマサルが聞いてきた話によると。

 このタチバナ小学校には、昔から「女の子のユーレイが出る」、というウワサがあるそうである。

(ちなみに、走る二宮金次郎もケンカするモーツァルト&ベートーベンも踊るガイコツも、〝昔からあるウワサ〟だった。)

 その女の子はこの学校の六年生だったのだけれど、卒業を目前にして、校内で何かの事故で死んでしまったのだという。

「その女の子が、六年二組だったんだって。

 夜遅く忘れ物を取りに来た六年生が何人も、教室の中に髪の長い女の子を見てるんだ。な、な、すごいだろ?」

「ふーん」

 それは確かに、今までのウワサよりはありそうな話ではある。

「カーテンとかの見間違いじゃねーの? そーいうウワサを知ってたから、ついユーレイと思い込んで」

 タカカズの反論に、マサルも言い返した。

「声かけられた、って六年生もいるんだぜ!」

「声? 何て」

「明日提出、っていう算数のドリル忘れて帰ったんだよ、その人。まだ半分もやってなくて、夜になって気づいて慌てて取りに行って……で、ドリル見つけて帰ろうとしたときに、言われたらしいんだ。女の子の声で。

 ――『こんなもんも解けないの、バァカ』って」

「…………」

 何となく、僕とタカカズは黙り込んだ。

「……ユーレイかどうかはともかく、すっげぇムカつくな、そいつ……」

 僕も同感である。

 ――というわけで。

 そのあと全員一致で、次回の〈調査研究〉のターゲットはそのムカつくユーレイ(?)ということに決定した。調査日時は、今度の金曜の夜。


「いやー、何度見ても夜の学校ってのは」

「ゾクゾクするよなっ!」

 僕は「気味悪いよな」と言おうとしたのだけど、マサルの表現のほうが何かしっくりきたので「うんうん」とうなずいた。

 誰もいないガランとした学校は、気味が悪い。ぞっとする。

 だけど、入ってみたい。怖くないわけじゃないんだけど、すごくわくわくする。楽しみ。

「静かにしろよ」

 盛り上がっている僕とマサルを、タカカズが注意する。

「ユーレイより、警備員のほうが怖いぞ」

 それはもっともだったので、僕とマサルは大人しくなった。

 とはいえ、警備員さんは決まった時間にしか校内を見回らないし、今までの何回かの〈調査研究〉で見回り時刻はわかっているので、その時間帯さえ気をつけていればあとはあまり心配いらなかったりする。

 六年二組の教室は、四階だ。昼間は上級生のクラスの階に用があって行ったりしても何となく居心地が悪かったりするけれど、今は僕たちしかいない。学校全部が僕たちのものになったみたいに、悠々と歩いていく。

「六年二組、二組っと……ここだ」

 懐中電灯で教室を確認して、マサルがうれしそうに声を上げた。

「……いないね。誰も」

 窓から中をのぞきこんで、僕が言う。

「ま、そんなこったろうと思ったけど」これはタカカズ。

 で。

「お邪魔しまあす」

 廊下にずっといると警備員さんが回ってきたときに隠れる場所がないので、教室に入ることになった。静かにドアを開けて中に入り、適当な席に座る。

「でもさ。こう堂々と僕らがいると、出てくるものも出てこないんじゃない?」

 僕が訊くと、「こっちには秘密兵器がある」と、ごそごそとマサルはリュックの中をあさり始めた。

「じゃーん!!」

と言って取り出したのは……

「……それ、何?」

「見りゃわかるだろ、算数のドリルだよ」

「いや、それくらいわかるけど……それが何で秘密兵器なんだよ」

「六年生から聞いた情報だと、ここのユーレイは算数のドリルが好きだ」

「いや、好きかどうかはわかんないと思うけど」

「だからここで算数のドリルを解いていれば、きっと出てくる」

「……そうか?」

 ものすごく疑問はあったが、マサルは懐中電灯でページを照らしながら、喜び勇んで問題を解き始めた。

「――算数嫌いのマサルが喜んで宿題をやるなんて、珍しいよな」

「どーせ長続きしないって」

 冷静にタカカズは言った。そして、案の定。

「ユウタぁ、タカカズぅ~、解けねえよ~」

「お前な……一問目だろ」

 僕とタカカズもドリルをのぞきこんで、わいのわいのと騒ぎ始める。

「だからな、3×4=12なんだってば」

「どーしてそーなるんだよ」

「3を4回足してみろって」

「何でアキラ君は3冊入りのノートを4パックも買ったんだよ。そんなに使わないじゃねーか」

「んなの知るか!」

 ってな調子で、そのうち三人そろってドリルに白熱し……家で宿題解くより、案外こんなところでやったほうがはかどるのかもしれないと思った。

「だぁかぁらぁ、8+6=14で、上の位に一つくりあがるんだって」

「くりあげたくねーよー」

「マサル。お前がくりあげたいかくりあげたくないかは、この際関係ない」

「冷てーな、タカカズ……」

 そのときだった。


「――あーもうっ、まどろっこしいわね!!」


 突然聞こえてきた女言葉に、僕たちはびくっと顔をあげた。

「そんなこっちゃ、朝までかかったって宿題終わんないわよ!!」

「うわあっっ!!」

 慌てて僕らは飛びすさる。僕とタカカズの間に、いつの間にやら髪の長い女の子が立っていたのだ。腕を組んで、にらむような目でマサルを見下ろしている。

 めちゃくちゃ驚いたけど、そんなときなのに、すごく綺麗な子だ、と思った。

「マサルっつったわね、あんた。いーわ、あたしが徹底的にしごいたる。

 タカカズ? それにユウタ? あんたたちもつきあいなさい!」

 ――先天的にエラそうなところはどうかと思ったが。


 それが、僕らとキョーコさんの出会いだった。

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