第九章 その2 おしえてミュージアム
「へえ、香川の食材マップだって」
「これ全部食堂で食べられるのか。ちょっと寄ってみようかな」
お客さんが立ち止まり、そのままの足でふらふらっと食堂に向かう。そんな姿を今日だけで何人も、受付から見ることができた。
「思った以上に好評だなぁ」
昼過ぎ、休憩時間を迎えた私は財布を片手に事務室を出た。パネルの効果か、いつもよりお客さんも入っているように感じる。
どうも日本人はブランドとか名産という言葉に弱いようだ。そこにストーリーも加わるとなお良しか。
「あら、あずさちゃん休憩?」
突如背後からかけられた女性の声。思わず振り返った私は、懐かしい顔に表情をほころばせた。
「宮本先せ……じゃなくて教育長!」
「あずさちゃん久しぶり」
小学校時代の恩師にして船出市教育委員会のトップ、宮本教育長がにこりと笑って手を振っていたのだ。今日はオフなのだろう、動きやすそうなジーンズにポロシャツと、とても市のお偉いさんとは思えない服装だ。
「お久しぶりです。どうしてここに?」
「ええ、最近来れてなかったから、休みの日を利用して来ちゃった」
まさか抜き打ちだなんて。でも今日はまだ客が入っている日で良かった。つい先日のような閑散とした様を見せてしまっては、教育長はきっと落胆してしまっただろう。
「あら、これは?」
教育長もロビーの変化に気付いたようだ。食材マップのパネルを見上げてふと立ち止まる。
「ふなで食品さんが作ったんですよ」
「ふふ、まるで自由研究みたいね」
教育長がふと浮かべた笑みは、まさしく子供を見守る教育者のそれだった。
夏休みの課題といえば自由研究だ。昆虫採集や天候の観察などはよくあるテーマだが、中にはプログラムを組んだり燃料電池を自作したりと、驚きの研究を成し遂げた子供もクラスにいたことだろう。
私は近所の植物の自生地を地図にしたり、浜辺の生き物を調べたりとありきたりな研究を無難にこなしていたが、今思い返すと結構楽しいものだったな。ちなみに小学校3年生の時、クラスの男子が「あさがおに水をやらなかったらどうなるか」という研究を行ない、その内容が「7月20日、咲いている」と「8月31日、枯れている」で終わったのでクラス中大爆笑だったのは今でも妙に印象に残っている。
さて、そんな思い出深い自由研究だが、うちの博物館でも定期的に市内の小中学生が発表した優秀な研究を展示している。その時期になると親御さんや教育関係の方々で、この博物館も賑わいを見せるのだ。大規模な博物館では見られない、小さな市立博物館だからこその恒例行事だろう。
「こういうのって良いわね、自分の調べたことを発表できる場って。教育施設なのだから、博物館も見るだけじゃなくて参加できるようなものがあるべき姿なのかしら」
マップを眺めながら、教育長は感慨深く話した。
「それにしても香川もこう見ると名産品が多いわね。せっかくだし、私もここでご馳走になろうかしら?」
「私もちょうどお昼休みで入ろうと思っていたのです。良かったらいっしょにどうです?」
すかさず「割引利きますよ」と付け加えると、教育長は「じゃあ是非」と即答した。こういう庶民派なところ、先生はいつまでも変わらないな。
食堂に入った私たちは手近な席に着いた。私はいつも通りの日替わり定食、教育長は料理長イチオシという讃岐牛のビーフシチューを注文する。
「実際のところ、今のペースでは難しいわね」
料理が出てくるまでの間、私たちはひそひそ声ながら互いに真剣な顔を向け合っていた。言うまでも無く1年間5万人の件だ。
思ったほど夏休みの集客が良くない。博物館職員は身をもってわかっていることだが、教育長の耳にもその現状は届いているらしい。
「ですよね、私たちもあれこれ手を尽くしてはいるのですが……そううまくはいかないのが悲しいところで」
「あずさちゃん、私思うんだけど、博物館って結局は展示がおもしろいかどうか、が最大の要だと思うの」
教育長がぐいっと顔を近づけた。声に凄みもこもっている。
「建物がきれい、美味しいお店が併設されている、縁結びのご利益がある。お客さんを呼ぶためにはいろんな工夫があるわ。でもそういうのはあくまでもサブ、どこまでいってもメインは展示の内容にかかっているのよ。サブの要素が話題になるのは、展示がおもしろいっていう前提が必要で、そこがおろそかだと一時的には話題になってもすぐに飽きられてしまう。リピーターを呼ぶのは料理でもマスコットでもないわ、ここは博物館なのだから。そこを決して忘れちゃだめよ」
いつの間にか、私は教育長の話に聞き入っていた。お世話になった先生という意味もあるが、凄まじい説得力があったのだ。
えんでんおじさんが話題になった時、シュウヤさんや悠里乃ちゃんはあまり良い顔をしなかった。そして奇しくも彼らの不安は的中してしまった。
「ですが、おもしろい展示ってどういうものか……」
腕を組んで声に出した時、ちょうど料理が運ばれてくる。いつだったか怒鳴られていたバイトの子が、慣れた手つきで箸やスプーンをセットし、タチウオのかば焼き定食とあつあつのシチューを並べた。
「あら、美味しそう!」
教育長の目がぱあっと輝き、スプーンを手に取る。食事が始まるとあまりのおいしさに、言っときながら真剣な話のことなど吹き飛んでしまった。
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