第四章 その4 素通りミュージアム
博物館ボランティアに悠里乃ちゃんが加わってから、これといった問題は何も起こらなかった。これもやはり年の功と言うべきか、メンバーの皆さんには頭が上がらない。
そして準備に追われながら新緑の初夏、ゴールデンウィークは到来した。
「さあ、どれだけ来るかなぁ」
連休初日の朝、高揚しているのか池田さんが鼻歌混じりでパソコンを開いている。これからいつも以上に頑張らないと、と私もカウンターの準備をしながら静かに意気込む。
4月の一か月間の入館者数は2500人。市議会で話題になり、展示品も入れ替えたことで去年に比べれば6倍以上の激増だが、それでもまだ目標の10倍には及ばない。
ゴールデンウィークはこの1年の吉凶を占う最初の山場だ。ここを起爆点に加速をかけられれば、10倍達成に大きく近付く。そのため目標は連休中で3000人。少し高すぎるかもしれないが、これくらいいってくれないと5万の大台はクリアできない。
「みなさん、気合い入れていきましょう!」
「おお!」
前日ギリギリまで展示の準備に取りかかっていたシュウヤさんとボランティアの皆さんに至っては、円になって掛け声を合わせている。なんかスポーツの試合みたいだ。
その中には小さく口を動かしただけながら、悠里乃ちゃんもしっかりと混じっていた。
そしていよいよ開館の時刻。がらんとしていた駐車場には続々と車が到着すると、あちらこちらから子供が飛び出す。お客さんもぞろぞろと入場し、チケット切りに案内にと忙しいったらありゃしない。
「もう結構いきましたね」
ほんの少しできた隙間の時間、カウンターで対応していた私は汗をぬぐい、隣に立っていた池田さんに話しかけた。
「ああ、こりゃ5万人も余裕だな」
これで安泰とでも言いたげに、池田さんは余裕をぶっこいている。
だがその時だった。展示室から申し訳なさそうに戻ってきた悠里乃ちゃんが、「あの、すみません」と恐る恐る私たちに声をかけてきたのだ。
「え、ミニチュア全然見てくれてない!?」
池田さんと私とが、揃って間の抜けた声をあげた。
「見はするんです、でもそれだけなんです。せっかく作り込んだのに……」
しょぼんと消沈しながら、悠里乃ちゃんは悔しそうに話す。
私は受付を池田さんに任せ、悠里乃ちゃんといっしょに展示室に向かった。
「ほら、あれ」
悠里乃ちゃんの細く白い指が示した先にあったのは、入浜式塩田のミニチュア。
物作りを生業としてきたお爺さんたちが総力を結集し、砂をコーティングした土台に海水を引き入れる溝まで再現された、縦横1.5メートル以上ある力作だ。そこに悠里乃ちゃん含む女性陣の作った人形や小道具が添えられ、箱庭に命が吹き込まれている。
見ているだけで楽しく感じられる。お客さんもきっとそうだろうと、製作中は誰しも確信していた。
だが、実際はどうだろう。
確かに、通路の真ん中に置かれた大物を一目見て、大人は「わあ」と目を見張り、子供は駆け寄る。
だがそこに留まることはない。せいぜい10秒ほど、全体をぼうっと眺めると次の展示へと移動してしまうのだ。
悠里乃ちゃんは終始無言だった。
作り手としてはもっとじっくり見てもらいたい、人形ひとつひとつの表情まで観察して、何を再現しているのかまで感じ取ってもらいたかったのに。変化に乏しい悠里乃ちゃんの表情でも、その感情は私にもひしひしと伝わった。
お客さんのチケットを切ったり、館内で子どもがおしっこを漏らしたのを掃除したりしている間に、あっという間に一日、また一日と過ぎ去る。そしてついにゴールデンウィークの連休はあっけなくも終わってしまったのだった。
「この1週間の入館者は……2500人」
連休最終日の閉館後、里美さんがパソコンに映し出された集計を取り読み上げる。たちまちどんよりと重苦しい空気が事務室を包み、職員もボランティアも全員が肩を落とした。
「くそ!」
そんな中、声を荒げたのはシュウヤさんだった。床を蹴って、いつになく苛立っている。
だがシュウヤさんの気持ちもわかる。万全の態勢で迎えたゴールデンウィークなのに、思ったような結果を出せないまま終わってしまったのでは。
連休中、入館者数は確かに伸びた。だがその数は目標の約半分と振るわず、1年のペースで見ると余計に苦しくなってしまった。これでは博物館閉鎖の撤回が一歩遠ざかってしまったようなもの。
そしてシュウヤさん自身の、松岡市長との軋轢。どういった関係かは憶測の域を出ないが、ただならぬ縁があるのだろう。
「まあシュウヤさん、私ら頑張ったじゃないか」
「そうだよ、みんなで作ったのは久しぶりに楽しかったよ」
ボランティアの皆さんがシュウヤさんを気遣って優しい声をかける。全員、シュウヤさんがいなければそもそも博物館閉鎖の廃止、という話すら挙がってこなかったのは理解していた。だからこそ多少アテが外れたところで、シュウヤさんへの信頼が揺らぐことも無かった。
そんな中でボランティアリーダーの石塚さんが「そうだ」と提案した。
「明日は博物館も休みですよね? 私、最近孫のためにバーベキューセットを買ったのですが、まだ使い慣れてなくて。どうです、皆さんで遅めのゴールデンウィークを楽しまんか?」
事務室がたちまち活気付く。落ち込んでいてもどうしようもない、まずは前向きになるのが一番だと人生の先輩方はよくわかっているのだろう。
「そりゃいいな、うちからも野菜持っていくよ」
「そういえばまだ空けてない酒があったな。シュウヤさんもどうだ?」
くいっと一杯のサインを見て、シュウヤさんも「ええ」とほんの少し頬を緩めた。やはりイライラした時、疲れた時、大人は総じてお酒に頼るものらしい。
でもシュウヤさん、今度もまたタクシーでの強制送還はよしてくださいよ。
帰宅後、私は仕事着を脱いで寝間着に着替えると、リビングのソファにごろんと寝転がってテレビのワイドショーを見ていた。
「林業の後継者不足が深刻な問題となっています。山には間伐材がこのように放置されたまま、誰も撤去する人がいません」
報じられていたのはどこか遠い、過疎集落のトピックだ。船出市はまだ市としてやっていけるだけの人口は抱えているものの、本質的にはこの集落と同じ人口流出に悩まされていると考えると親しみさえ湧いてくる。
だが、そんなテレビの内容が私の頭にはまったく入ってこなかった。ゴールデンウィークが結果を残せないまま終わってしまったこと、それがどうしても胸の奥につっかえて落ち着かないのだ。
どうしてお客さんは来なかったのか。なぜみんなの力作がスルーされたのか。
頭のほとんどを常にこの疑問が占め、他のことを考えるだけの余裕がまるで無かった。私自身、これほどまでに博物館のことを考えたことは無かったのにとびっくりしているほどだ。
「ただいまー」
その時、弟が帰ってきた。部活の練習の後、友達同士で数学の課題をやっていたらしい。本当、へらへらしているのに根は真面目な弟だ。
弟は『丸高籠球部』とプリントされたジャージのままキッチンにずかずかと乗り込むと、冷やしてあった麦茶をがぶがぶと飲み始めた。ここら辺はやはり弟も男子なんだなと感じる。
「ねえ、あんた」
テレビ画面を見たまま、私は弟に話しかけた。すぐに「んあ?」と気の抜けるような声が返ってくる。
「連休中に博物館行ったでしょ? どうだった?」
「俺は普通に良かったけど」
「じゃあ友達、あんたの友達の歴史オタクの子は何て言ってた?」
「そうだなぁ……なんかありきたりだなって、そう言ってたよ」
「ありきたり?」
私はがばっと身を起こし、弟に顔を向けた。
「うん、ミニチュアなんて今じゃどの博物館も作ってるし、体験型の展示も畳だけじゃ少なすぎるだろって。工夫しているようには見えるけど、単に他の真似できそうなとこ真似してるだけだって」
「厳しいこと言うなあ」
「でも展示品には驚いてたよ。こんなおもしろいものが船出市にあったんだって。そのおもしろさが誰にでも直感的に伝わる様な展示なら、きっとみんな興味持ってくれたのにって」
「直感的に伝わる、かぁ」
うーんと考え込んだまま、再びソファで横になる。博物館で直感的に伝わるって、どうなんだ?
どーんと珍しい物を置いて、そこに解説パネルを貼り付ける。あとは好きな方は読んでください、というのではだめなようだ。
たしかに子供にはわからない。それに歴史に詳しくない人なら、江戸時代の後に平安時代がやってきたとか言いだす人もいるかもしれないし……いや、冗談ではなく、これマジでいるんだよ。
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