第三章 その1 新生ミュージアム
4月まではあっという間だった。
「今日から学芸員として働くことになりなした、よろしくお願いします」
新年度初っ端の4月1日、朝の事務室で畏まって挨拶するシュウヤさんに私たちも「よろしく」と返す。
5万人というのはこの年度、つまり4月1日から3月31日までの1年間の話だ。2月に議案が出されて一躍話題になったこの博物館、ついに勝負の時は訪れた。ここからの1年間で博物館の今後は決定する。
幸いにも職員の異動は無かった。今さら別の職員を入れ替えるのは無意味と人事課に判断されたのかもしれない。だが博物館存続のためにはむしろそちらの方が好都合だろう。シュウヤさんという新メンバーを加え、郷土博物館は再発進する
「昨年度の入館者は……7500人か」
パソコン画面に表示された速報値を見て館長がこぼした。年度末である昨日、閉館後に里美さんが集計してくれたデータが早速生きた。
平年の5000人に比べると驚異の5割増しと思えるかもしれない。だがこれは2月に閉鎖案が上がって一時的に来館者は増えたのが原因で、しかも当時の勢いは既に失速している。
年間5万人とは、あの瞬間最大風速を維持し続けても達成できるかどうかという数字なのだ。
今は春休み、小学生の子供を連れた家族の入館が目立つ。しかしそれでも1日の入館者は200人あまり、目標達成のためにはいささか寂しい。
私たちにとっての最初の勝負はゴールデンウィークだ。その前に、博物館ではスタッフ総動員での模様替えが行われる。
今はちょうど春休みシーズンで人の入りも多い。そこで予てより準備していた展示品の入れ換えを、この春休み期間が終わったら即座に実施する。
博物館や美術館の展示品をぞんざいに扱うことはできない。通常ならば運搬や展示にはプロの業者を雇うらしいが、喜ぶべきか悲しむべきか、ここにはそのレベルで高価な品は無い。展示品は実際に使われていた民具がほとんど、むしろ古く汚れて傷が付いている方が喜ばれるくらいだ。
そして4月から変わったことはもうひとつある。「郷土博物館を守る会」のボランティアが毎日のように訪れ、来館者に展示物の説明をしてくれるのだ。
「これはね、海水を運ぶための桶だよ。一杯で30キロ以上の海水を運ぶことができるんだけど、これを天秤棒で担いで一度に2個も持っていたんだ」
実際に展示品の前に立って小さな子供に説明する市民団体のお爺さん。その瞳は孫を見るように優しく輝いていた。
彼らも一応はスタッフであるため、来館者としては数えられない。だが展示室に誰もいないよりは人がいた方が賑わっているように見える。館内の雰囲気を良くしてリピーターを呼び入れるのにも一役買っていた。
「博物館では静かに、とか習った気がするけど、随分と賑やかになったものだな」
受付で隣に立っていた池田さんは驚いたように口にした。
「シュウヤさんが話していました、博物館は教育施設なんだって。だからこそ子供にとって相互的な関係になくてはならないって」
ぼそっと呟くように返す私に、池田さんは茫然として「どういうこと?」と尋ね返した。
「さあ、私もよくわかりません」
よくはわからない。だが、なんとなくわかる。
じっと展示品を見ているだけが博物館の教育的機能ではない。
展示品を見た際にふと感じる「なぜ?」「どうして?」の疑問にちゃんと応えられるよう準備しておくのが、子供にとって望ましいのだ。
このような視点からこの博物館の活性化に取り組む視点は今までも無かった。シュウヤさんがこの閉塞した博物館に新しい風を吹き込んだのは間違いないだろう。
だが、しかし。これで博物館を本当に存続させられるかはまた別問題だ。5万人を達成できる保証はどこにもない。
教育長の前で大見栄切ってしまった手前、私もこの1年間は博物館で働かなくてはならない。それが終わったら本当に次の就職先を探すことになるかもしれない。
それでも、まあいっか。私は内心興奮にうずついていた。今までの眠気と格闘する日々よりは、おもしろくなりそうでもあるし。
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