第一章 その2 揺れてるミュージアム
「ただいまー」
閉館直前の夕方、小学校から帰ってきた館長がのっしのっしと出っ張ったお腹を揺らしながら博物館の自動ドアをくぐる。
小さな丸眼鏡に、七福神の布袋さんのようなまあるい身体と禿げ頭と、見るからに温厚そうな外見。もう70歳を超えているというが、まだまだ子どもたちと一緒に遊べるくらいに元気だという。
昔中学校で社会科を教えていたというのも頷ける、この町の歴史に詳しいお爺ちゃんだ。
「館長!」
客のいない館内で、受付に座っていた私は立ち上がる。呼び止められた館長は目を丸くして、「どうしたんだい?」と瞬きした。
「この博物館が閉館するって本当ですか?」
ストレートに尋ねられ、館長の顔が一瞬硬くなる。
「どうしてそれを?」
「市役所から電話があったんです。今日の市議会で市長が博物館の閉鎖を議案に出したって」
「あの市長、まさか本当に議案を出したのか……」
珍しく館長は顔を歪めた。なんとなく予想はついていたが、その予想が悪い方向に当たってしまったようだった。
船出市の市長は6月に初当選したばかりだ。ひっ迫する市の財政を改善するため、緊縮財政を前面に訴えて市民の支持を勝ち取り、全有効票の過半数という圧倒的な結果で当選したのをよく覚えている。
でもたしかに税金の無駄使いを無くそうと叫ばれる昨今、博物館がこの有様では槍玉に挙げられても文句は言えまい。市民の血税がこの無駄に立派なハコモノに使われていると知られたら、ワイドショーではアナウンサーが激怒するだろう。ただでさえ船出市は高齢化と人口減少で税収が悪化しているというのに。
私の務める船出市立郷土博物館、その運営元の船出市は香川県の瀬戸内海沿いに位置する地方都市だ。沿岸部には造船所や化学工場が林立し、市の主要な財源を担っている。
瀬戸内海という好立地から、高度経済成長期の頃には有名企業の工場や事業所が次々と建設された。転勤や就職で多くの人が流入し、市は大いに栄えたらしい。この時代に建てられた大型の工場は今でも隠れた夜景スポットとしてマニアの間で人気がある。
だがバブル崩壊後の不況や製造業の外国への移転もあって、市は徐々に活気を失っていく。90年代前半には7万人を超えていた人口も、今は5万人を切ってしまった。駅前商店街も次々とシャッターを下ろし、私が小さかった頃には賑わっていたスーパーもいつの間にか規模を縮小していた。
全国各地、地方都市ならどこでも直面している問題をこの市も例外なく抱えている。ここはそんなありふれた自治体の所有する博物館だ。
「もうこんな時間だ。客も来そうにないし、空調切っとくね」
空気も読まず事務室から池田さんがひょこっと顔を出す。だが苦々しい顔の館長を見ると事態を察したようで、つられて同じような顔を浮かべたのだった。
「館長、俺も思ってましたよ。ここ、建物が立派な割に客が来ないんですよ。2階は立ち入り禁止で使われてるのは1階だけ、じっくり見て回っても1時間はかからない。資料もそれといって珍しいものは無いんじゃ、仕方ないです」
池田さん、まったくフォローになってないですよ。この博物館のダメなところを列挙しただけです。
「ですがまだ決定したわけじゃありません、教育委員会が猛反発してるって聞きますし、きっと何とかなりますよ」
そしてスイッチを切り替えたように、池田さんはわざとらしく明るく話す。この人、人を慰めるの下手糞過ぎるわ。
「閉鎖なんて寂しいわね」
池田さんに呆れる私の背後から、女性の声が聞こえて振り返る。立っていたのは渡辺里美さん、池田さんと同じく市の正職員だ。
「ここ小さい頃からよく来てたのに」
切れ長の瞳に艶っぽい唇。30代とは思えない若々しい美人の物憂げな表情に、私も思わず「里美さん、ここ知ってるのですか?」と訊いてしまった。
「校外学習といえばここだったわ。昔は2階も使われてたし、ここまで大きな博物館も少なかったしね。でもいつからかしら、気が付けばあっという間に寂れてしまっていたわ」
「私が物心ついた時には、もう2階は閉まっていましたね」
ああ、見た目は若くとも年の差を感じるな。しかもこの人、これで保育園児の子供がいるという。
ただこの緩い職場が無くなるのはちょっと寂しいな……非正規雇用だし次の転職先探すか。
冬は日が沈むのが早い、まだ6時をちょっと過ぎたばかりだというのにもう真っ暗だ。街灯が無ければ怖くて外を歩けない。
勤務先からの帰り道、私はコートを着込み震えながら自転車を漕いでいた。こんなに寒い中、あのサイクリングの人はどうやってあんな軽装で耐えてこれたのだろう?
雨の少ない瀬戸内ならではのため池を横目に、住宅街を抜け、JRの高架をくぐる。
そしていつもの帰路の通り、市役所前を通りがかる。駅にも近いこの辺りは水道局や郵便局など官庁が集まり、船出市の中心地となっている。
暇部署の博物館とは違い正職員は残業も常態化しているようで、3階建ての庁舎はまだほぼすべての窓から明かりが漏れていた。
「ん?」
だが今日はいつもとどうも違う。駐車場や正門前に、ぱっと見ただけで20人ほどが集まっていたのだ。もう庁舎は閉まっている時間だ、一般の来客が中に入ることはできない。
お祭りの準備かな? でも、こんな季節に?
そんな人々の中心に立つ人物を見るなり、私は思わず「あ!」と声を漏らしてしまった。
暗闇の中街灯に照らされて浮かび上がったその顔に凍り付く。それはいつも博物館に来ている、あの職業不詳の若い男性だった。
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