喪失女神と研鑽騎士の冒険譚

レイとん

第1話 プロローグ

「グランディア」

 太古の昔に名付けられたこの世界には、我々人類が存在するより遥か昔から二つの種族が対立していた。ひとつは神族。大地や海、さらには人類を含めた数多の生命を産み出し、今のグランディアの礎を築いた、全ての生命の母とも言える存在。

 もうひとつは魔族。現在もグランディアに蔓延る数多の魔物を産み出し、グランディアをわが物にせんとする、神族を含めた数多の生命にとって、不倶戴天の仇敵。

 二種族の争いは、「四大女神」と「魔王」の対立を中心に、長きに渡り…それこそ神話の時代から二千年以上が経った今も尚続いているとされる。そこに脆弱な人類の入る隙間はない。仮に人類の中で英雄と呼ばれる程の実力者でも、上位の神族や魔族のそれとは比べる事も出来ない。我々に出来る事は、神族に与えられたグランディアの大地に蔓延る下位の魔族や魔物達を打ち倒す事だけである。


――――――カガ・ナグザット著「グランディアの歴史 序幕」より抜粋




地上より数万メートル上空。グランディアに生きる殆どの生命が訪れる事の叶わぬ未踏の世界。そこで二つの光が幾度となく交錯し続けていた。

 

「炎槍よ、我が敵を穿ち!焼き尽くせ!」


 そのうちの一つ、緋色の輝きを放つのは、美しい一人の女性。腰まで伸びた赤い髪を靡かせ、赤と白を基調とした装束を纏ったその姿は、どこか神々しさすら感じさせる。そしてその右手に握られるのは、炎を纏った巨大な槍。女性がそれを突き出せば、槍の穂先から炎が伸び、凄まじい速度で空を駆けていく。


「…失せよ」


 そしてそれの向かう先…黒い輝きを放つのは、黒マントと仮面を纏った一人の男。素顔は仮面に、肉体はマントに隠されて窺い知る事は出来ない。男は己に向かってくる炎を前にしても慌てる様子もなく、ただ一言呟いて指を鳴らす。すると女性の放った炎は男を目前にして破裂するかの如く霧散し、消え失せてしまう。それを確認した女性は男と距離を取り、追撃に備えて身構える。


「おのれ…私の炎をこうも容易く…」

「自惚れぬ事だ、新たな火の女神よ」


 悔しそうに歯噛みする女性に対して、男は自らの顎を撫でながら口を開いた。


「先代の後を継ぎ、新たに誕生した火の女神『サラマンダー』…炎と正義を象徴する貴様が、よもや拝命直後に我に襲い掛かってくるとは想定外ではあったが…戦法が直線的ならば対処は容易い。その程度でこの私の首を取れるとは思わぬ事だ」

「黙れ!」


淡々と語る男に対し、サラマンダーと呼ばれた女性は叫ぶ。

 

「我等神族の不倶戴天の仇敵にして、グランディアを脅かす魔族の王ゴーファ! 貴様を滅ぼさぬ限り、全ての生命に安寧は訪れない!なればこそその身体、この私の手で必ず砕いて見せる!」

「ならばやってみせるが良い。距離を取っているばかりでは我は倒せぬぞ? それとも怖気づいたか、サラマンダー?」

「っ…!その言葉、後悔させてやろう!」


 サラマンダーの怒号にも意に介さず、人差し指を使って挑発するゴーファに対し、サラマンダーは再び槍を構え直すと、ゴーファに向かって直進する。


「愚かな…縛れ」


 ゴーファは慌てる事もなくサラマンダーに手をかざし、呟く。次の瞬間、サラマンダーの動きがピタリと止まった。


「なっ!?」


 突然の事に面食らうサラマンダーであったが、すぐさま周囲を確認し、理解する。どこからともなく表れた黒い鎖によって、己の身体が雁字搦めにされてしまっていたのだ。炎槍も、ゴーファまであと一歩というほどの距離で止まっているだけでなく、さきほどまで全体を包んでいた炎が消え去ってしまっている。


「こ、これは…貴様、何をした!?」

「見てのとおり、罠だ。移動中の私を襲えば罠がないとでも思ったのかもしれんが、限定されるだけで仕掛けられぬわけではないのでな」

「くっ…この程度の拘束で…!」


 突然の事態に動揺しながらも、サラマンダーは全身に力を入れて鎖を引きちぎろうとする。しかし、ガチャガチャと空しく金属音が上がるだけでびくともしない。


「無駄だ。その鎖はお前達四大女神との決戦に備えて用意した特別な呪具。その程度の抵抗ではびくともしない」

「…っ! ならば、我が焔にて焼き尽くし……うぅっ!?」


 力任せでは無理だと悟ると、サラマンダーは魔力を解放して焼き尽くそうとする。しかし、そこで異変に気付いた。


「な、何だ…力が、抜けて…?」

「ふふふ…ようやく気付いたか」

 

 ゴーファの笑みに反応する余裕もなく、サラマンダーは必死に意識を集中しようとするが、力の抜ける感覚は収まるどころかどんどん強くなっていく。何がどうなっているのか、再び周囲を見回した時、自身を縛る鎖が、淡く輝いている事に気付いた。まるで何かを吸い取っているかのように。


「まさか、私の魔力を吸い取っているのか!?」

「間違ってはいないが、完全に正しくもない。そろそろ効果が現れる頃だが…」


 どういう事だと尋ねようとした時、サラマンダーは自らの身体の異変に気付いた。装束が妙にぶかぶかしだしたばかりか、手に持っている槍もしっかり掴めなくなってきている。それらの意味する真実を理解した時、全身に悪寒が走った。


「こ、これは…私の、体が縮んで…!?」

「そう、その鎖は魔力だけでなく『あらゆる力』を吸収する。その結果として、対象の肉体が幼子の如く若返るという現象が生じるのだ。誇り高き四大女神に対して相応しい罠であろう?」

「貴様、このような事が許されると…うあぁぁっ!?」

 

 サラマンダーは怒りを露わにするが、無常にも肉体の変化は止まらない。豊満だった胸は徐々に平らへと近づいていき、麗しい女性の肉体から少女のそれへと変貌していく。もはや装束に埋もれかけ、鎖の拘束がなければすぐにでも滑り落ち、一糸纏わぬ姿となりかねない状況だ。そしてさらに追い打ちをかける出来事が襲い掛かった。


「あ、あぁ!?私の槍が!」

 

 力を失いつつある少女の細腕では支える事が出来ず、サラマンダーは愛用の炎槍から手を放してしまう。主の支えを失った炎槍は重力に逆らうことなく、地上へと落下していった。


「ゴ、ゴーファ!貴様ぁっ!」

「ふっふっふ、そのような姿で凄んでも愛らしさしか感じぬぞ」


 ゴーファの言う通り、今のサラマンダーに女神としての威厳はどこにもない。そこには不格好な装束に埋もれて弱弱しくもがく少女が一人いるだけだ。肉体の変化こそ停止したものの、胸は完全に平らとなり、身長も10歳程度の人間の少女のそれまで縮んでしまっている。なにより、今のサラマンダーに女神としての力はおろか、神族としての力も殆ど残されてはいなかった。


「本来ならば知能も含めて赤子まで若返らせて我が尖兵にするのも悪くはないが、それをやったらおこら…もとい、面白くないからな。少し貴様で遊ぶとしよう」

「なんだと…!?」


 ゴーファの真意を読むことが出来ず困惑するサラマンダーであったが、すぐにその意味を理解した。彼女の全身を絡めとっていた鎖が緩み始めたのだ。


「ま、まさか…!?」

「気づいたようだな。そう、今の貴様には神族としての力は殆ど残っていない。つまりこの空に留まる力も失ったという事だ。そんな状態で『貴様を支えている鎖』が解ければどうなるかな?」

「ヒッ…!?」


 サラマンダーはこの時初めて、この状況に「恐怖」を感じた。今サラマンダーがいる場所は、地上から数万メートルも上空。こんなところで支えを失えば、空を飛ぶ手段を持たない今の彼女には、落ちていくという選択肢しか存在しない。そして、落ちていくままに地上に激突すれば、そこに待つのは…。


「い、嫌だ……死にたくない…死にたくない!やめろ!やめてくれ!」

「フハハハハ、偉大な四大女神が命乞いとは、所詮は成り立ての小娘か!よく覚えておくが良い、先代の四大女神が我を倒せなかった理由を!無策で我に挑んだ己の愚かさを!」


 ゴーファは高笑いと共にそう叫ぶと、右手を空に掲げて指を鳴らす。それと同時に鎖が一気に解け、サラマンダーは宙へと投げ出されてしまう。


「あぁ…いや、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 魔王を前にしている事も忘れ、悲痛な叫びを上げながら、サラマンダーは吸い込まれるように地上へと落ちていった。

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