第12話あかり、やり直し2年生ライフスタート

 「……どうしようかしらね~?」

 「ゆうきさん!」


 あかりの懇願を、ゆうきはため息で浮上させる。釣られて、あかりの顔が上がる。

 指で毛先を回転させ、あかりを横目で見下ろす。

 「私にもだけど、まず最初に頭を下げる相手を間違えているわ。この歳になるとちょっとやそっとじゃあ凹まなくなるけど、同い年の、無事に進級したあの子はどうかしらね~?」

 「……まなみのことですか?」

 あかりの問いかけに、ゆうきは無言を通し頷くことすらしない。カフェのメニューボードを眺めている。

 何が正しいのか判断がつかないまま、あかりはゆうきの思惑に嵌る。

 スマホを取り出し、ダイヤルをかける。すると、あかりの背後から初期設定の着信音が聞こえてくる。カフェという公共の空間でもマナーモードにしない不躾な人間がいるようだ。

 ゆうきはしっかりとマナーモードに設定していた。まだ体罰という言葉が浸透していなかった、上下関係がしっかり分けられた世代ゆえに意識なく気配りができている。

 一方、ゆとり世代をさらに上回るゆるい生活を送ってきた自分はどうだろうか。

 スマホ一つで約束事までできる。声に出さなくても気持ちを伝えているつもりでいる。謝罪なんて行為は見たことも聞いたこともない。バイト先で客に無礼を働いたとき、店長が頭を下げるのを見ているだけだ。

 そんな自分が、今着信をかけている相手に面と向かって謝罪できるのか。未経験のことゆえに不安になる。

 それでも背後の着信音は徐々に音量が上がる。ゆうきの視圧で搾り取られるように、あかりの膝に水滴が落ちる。

 「先生、やり過ぎですよ。十分反省しているみたいだし、もういいですよ、私は」

 全身を突き抜ける着信音が突然鳴りやむ。同時に、懐かしい声が涙ごとあかりのすべてを包み込む。

 「ま、なみ……?」

 顔を上げると、あかりは戸惑う。知っているはずの顔は、変わっていないはずだった。それでも初めて見る気がして、確認を声に出す。

 かつてのまなみは朗らかな性格だったが、諦めや心の影という粒がときおりぽろぽろと零れていた。

 三か月ぶりに見るまなみに、その粒の付着が見られない。

 第三者の目を射抜く強い眼差しが彼女の自信を表し、ふんわり香る高いトーンの声が優しく穏やかな雰囲気に変わっている。

 「やっと電話をかけてくれたね。待っていたよ、私、ずっと」

 「まなみ……」

 一番言いたい言葉が喉から離れず、名前を呼ぶだけで精いっぱいだった。

 嗚咽が始まり、まなみはあかりの背を摩る。

 その間、ゆうきは野次馬を睨みつけ、二人だけの世界を守り抜く。

 「まなみぃ~!」

 「よしよし、あかり、大丈夫だからね」

 枯れた声と花の蕾のように抑えた声。繰り返すこと三十分で、ようやく名前以外の言葉があかりの口から出た。

 「ごめん、なさい。あのときのこと」

 「いいよ、もう」

 まなみはズボンのポケットからハンカチを取り出し、あかりのアイメイクを崩さないようそっと当てる。このときはまだアイメイクにまで気が回らなかったので、あかりの目がパンダになることはない。

 発汗でアイブロウが滲む程度の化粧崩れだった。

 「あかり、私の話、聞いてくれる?」

 「……ん、私にできるなら」

 まなみの口から連なって出たのは、あかりの知らないことばかりだった。

 まなみが離婚により親権を得た父親と長年離れて暮らしていたこと。心地良い部屋に住むことで、自分自身に少しずつ自信がわいたこと。これまでは家庭環境、地域環境を理由に自分を大事にしてこなかったこと。一週間前、父の病気うつが軽くなり、退院。それ以来二人で暮らしていること。

 「私、この四か月の間で本当に変わったよ。だから、あかりの気持ちが少しだけど感じ取れた。本当は息苦しかったんだよね。私、自分のことばかりでごめんね。あかりは、私にとって初めての友達なのに。大事にできなくて」

 このとき、あかりは気づく。本心を明かすまなみが一つだけ嘘をついていることを。

 まなみは住まいの環境が整ったから、あかりの内心を感じ取ったのではない。ゆうきにインテリアの依頼をする時点で、あかりが何かしら問題を抱えていることを知っていた。

 知っていて、あかりを振り回すふりをしてきた。

 あかりの心情は感謝だけではない。恥ずかしさ、悔しさも混じっている。

 あかりの実家には両親が揃っている。裕福な家庭ではないが、経済面では不自由した記憶がない。大学受験さえクリアすれば、成績のことを両親にとがめられることもなかった。

 あかりの彼氏、カイトのことで離れた実家から娘を案じてくれる。無理にアルバイトもしなくていいとまで言ってもらえる。

 それでも、あかりは躊躇いもなく受け流していた。

 親というものはそういう存在なのだと。

 それでも、まなみにとっては違った。当たり前と思っていた両親の愛情がなく、ないものを求めるように父親の帰りを待っていた。たった一人で。

 まなみの寂しさが物の散乱として表れていたのか。

 あかりは彼女のすべてを今でさえ知らない。彼女が明かさない限り、一生知ることはないはずだ。

 それを、わずか四か月でマインドまで変えた。そんなゆうきは一体何者なのか。

 静かに牽制けんせいを続ける彼女には、まなみがすべてを晒すだけの器が備わっているということなのか。

 本当にただのインテリアアドバイザーなのか。そもそもインテリアアドバイザーが他人の人生観をも変えてしまう存在なのか。

 あかりはゆうきの背中から目が離せなくなる。

 「あかり? どうしたの?」

 すでに泣き止んでいるが、まなみは手を休めず背中を摩る。

 あかりは四つん這いで両足に力を入れ、床から両手をゆっくり離す。

 「ゆ……き、さん」

 小刻みに途切れる声で、あかりが呼ぶ。

 届かない声を拾わない。背中を野次馬に見せることもない。

 それでも、あかりは声を吐き出す。

 「ゆうきさん! か、えてください! 私を! 部屋ごと、全部!」

 ダークブラウンの毛束が肩の上で弾ける。

 ゆうきはようやく笑顔を見せた。


 「よく決心したわ。あなたの面倒、見ましょう」

 「ゆうきさん……!」

 「先生!」

 あかりとまなみの声がふわふわと舞い上がる。二人は互いの両手を握りしめ身を寄せ合う。

 「ただし!」

 ゆうきは右腕を剣に変えて、あかりの目前で止める。

 あかりとまなみは小首を傾げる。


 「学生特別有料プランでね。残念だけど、無料期間は三か月前に終わったのよ。つまり、大学からギャラが支払われないわけ」

 「……そこ?」


 ゆうきから醸し出された過去の暗みは、いったい何だったのか。

 あかりはまぼろしの置き土産の笑顔を十秒、二十秒と凝視した。

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