第43話 明暗

 蒼天を仰ぐ中庭――ロの字型になったドバル市庁舎の真ん中に、それはあった。

 直径3メートル程の、魔法陣が彫り描かれた円形の台座を、金属とも磁器ともつかぬ、継ぎ目の無い白い三日月状の柱が囲っている。――魔法と科学の融合によって造られた、『転移魔導機てんいまどうき』と呼ばれる装置である。


 エリオンとツキノ、アヤメとギルオートの四人がその台座の上に立つと、彼らの足元の魔法陣は、徐々に淡い光を蓄え始めた。

 それを見守るのはレグノイと侍従の騎士二人、そしてユウ。


「学園市の市長達には事情を説明してある」


 レグノイがそう言うに続いて、騎士の一人が口を開く。


「エリオン殿とツキノ殿は『双翼の学舎まなびや』の生徒として、アヤメ殿とギルオート殿はネオネスト市民として、それぞれ移住の手続きを終えてあります」


「うむ。他にも必要な事があれば、いつでも連絡をくれ。俺は普段は王城にいるが、学園市には我が騎士団も常駐しているのでな」


 頼もしい笑みを浮かべるレグノイに、皆がそれぞれ丁寧に謝辞を述べた。その後ユウへと向き直るエリオンであったが、彼の表情は心なしか沈んでいた。


「ユウさんは、ここでお別れ――なんですよね……」


「ああ。僕には他にもやるべきことがある」


「やるべきこと?」


「人を探しているんだ。かつて僕に、歩むべき道を示してくれた師であり、そしてこの世界の創造主でもある、一人の女性を」


 するとツキノが、その神話はなしには聞き覚えがある、といった様子で尋ねる。


「世界を創った人? それって混沌と破滅の女神、リマエニュカのこと?」


「……今はそう呼ばれている。だけどあの人はそんな悪神ひとじゃない。彼女は誰よりも強くて綺麗で、いつも気高く自信に溢れていて、そして何より優しい女性ひとだった」


「『だった』――って、まるで会ったことがあるみたいな言い方ね」


 信心深い蟻塚で育ったツキノとしては、無論ルーラーを信仰してはいるものの、実際にその神話の女神が、この世にかたちをもって存在しているなどとは思っていなかった。

 絶対者ルーラーとは、人とは交わらぬ、決して人間の手には届かぬ存在――それが彼女の持つ認識であり、また世界中の多くの人々が考える常識でもあった。


 しかしユウは、その事に関して言及することはなく、黙って懐から一枚の紙を取り出すと、それをエリオンへと手渡す。表裏白紙の、宛名すら無い紙である。


「……これは?」


「それは手紙だ。魔法封まほうふうを施してある。ネオネストに着いたらレンゾという男に渡してくれ」


「レンゾさん、ですね。分かりました」


「ああ。――それじゃあエリオン、ツキノ。二人とも頑張って」


「はい、ありがとうございました」


 エリオンが頭を下げると、ツキノも笑顔で言う。


「ユウさんも。神の御意志アルテントロピーに導かれんことを」


 その台詞に、ユウは微笑みだけを返す。そして寂しげな瞳のアヤメに目を向けた。


「アヤメさん――」


「名残惜しいですが、またお別れですね」


「うん……ごめん」


「気にしないでください。私には彼もいますから」


 そう言われたギルオートが、誇らしげに胸を張る。


「自分は常にマスターと共にある。なので心配をする必要は無い。だろう?」


「そうだね、君がいるなら心配はなさそうだ」とユウ。


「残念ながらマスターから貴方に対するような特別な感情は持たれていないが――」


「っっ?!」とアヤメが、咄嗟に刀の鞘でギルオートを叩いて黙らせる。


「か、彼の言うことは気にしないでください……」


 そしてコホンと咳払い。


「私も暫くはネストに留まるつもりです。また会えることを楽しみにしていますね」


「うん。何ヶ月後か何年後になるか分からないけど、また会いに行くよ」


 ユウは笑顔でそう言ったものの、しかしすぐにその表情にかげりを見せた。


「それと彼は――ゼスクスのことだけど……」


「ええ」と、アヤメも真剣な顔つきに変わる。


「彼の闇は深い。僕ではもう、彼を絶望から救い出すことは出来ないだろう。だからもし君が――」


「もし私が相見あいまみえることがあれば、今度は私の手で止めてみせます」


 アヤメは力強くそう断言した。


「……ありがとう、アヤメさん。でもくれぐれも気をつけて」


「ええ、大丈夫です。だって元は、同じネストの仲間だったんですから」


 その台詞が終わると同時に、魔法陣の放つ光が、一層激しく彼らを包んだ。


「転位装置、起動します」と騎士。


「じゃあ、ここでお別れだ」


 ユウが告げ、手を振ると、エリオンらもそれに応える。そして間もなく真っ白な光の柱が立ち昇り、四人の姿を溶かす様にさらっていった。

 細く消えゆく光の残滓ざんしと、後に残った晴れやかな虚空を見上げながら、ユウは「皆元気で」と呟いた。



 ***



 乳白色のゲル状のまゆから、裸のまま、ドプンと音を立てて出てきたのは、黒髪の若い男性。その顔面は、二人の人間を斜めに継ぎ接ぎした不気味な相貌で、左上半分の銀色の顔は、目を閉じたまま彫像の如く固まっていた。


「お疲れ様で御座いました、ゼスクス大佐」


 おびただしいダウンライトが照らす、寒々しい格納庫の中――。白衣を着た幽鬼ゆうきの様な、血色の悪い中年の男が歩み寄る。


「これにて同調用データの記録は終了です。このサンプルを基に、ジュデーガナン・アイギスウルズとしての最終調整に入ります」


 男は、そばに置いてあるローキャビネットから黒い戦闘服を取り、それを裸のゼスクスに手渡した。


「……完成までにどれぐらいかかる?」


 ゼスクスはその場で服を着ながら、凛として淡々なる声を発した。


「脚部装甲の製作が残っておりますので、あと3ヶ月程は必要です。その後に模擬戦で性能テストをさせて頂きたく」


「テストは必要無い。――エイレ達は?」


「……アマンティラのダカルカン支部に入ったとのことです。学園市への潜入も間もなくかと」


「解った。貴様は完成を急げ」


「御意に」とお辞儀をする男に背を向け、ゼスクスは黒い仮面を被る。着用と同時に拡がる視界は、それを被る前よりも広かった。


 歩き出したゼスクスが、その視界の隅にある小さな四角に、じっと焦点を合わせる。すると目の前に一枚の画像――燃える様に赤いロングヘアーの、活発そうな美少女が、幸せそうに微笑んでいる写真が映し出された。

 ゼスクスは暫くその写真を見つめてから、やがてそれを消す。静まり返った格納庫の闇の中に、彼の軍靴の音だけが響いた。



(第二章・終)

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