第18話 消えた石

 アイオドの樹の中でフェルマンは、オーロラを内包した様なガラス質の球体と向き合っていた。言わずもがな、その球体こそがアイオド或いはAEODと呼ばれる、この大樹の核である。


「………………」


 彼は無言のままその滑らかな表面に触れ、暫くの間、難しい顔をして固まっていた。するとその背中に掛けられたのは、ドトの声。


「フェルマン。献石台の準備は終わったぞ」


 登録の儀を除いて、このアイオドの樹へ立ち入ることが許されているのは、長老のフェルマンと何人かの相談役、そしてこのドトだけである。彼は畏まる様子も無く、ドスドスと足を鳴らしてフェルマンの許へ――その顔を横から覗き込む。


「どうした、難しい顔をして。何か問題でもあったのか?」


 ドトの質問に対し、フェルマンはまた暫し俯き考え込んでから、問い返した。


「ドト。――君は昨夜の晩、何があったかを憶えているか?」


「? ……妙なことを訊くな? 勿論憶えているぞ、昨日は前夜祭だ。20年振りの月渡り、美しい結晶蝶の夜だった。何度観ても、あの美しさには心が洗われるな」


 その光景を思い出しながらドトが満足そうに語ると、フェルマンは首を横に振った。


「そうじゃない。私が訊いているのはだ」


「あと? ああ、それか」と言ってから、ドトは芝居じみた苦い顔をしてみせた。


「それがどうにもな、調子に乗って飲み過ぎたらしい。見張りのワズルから貰った『ドワーフ特製の金剛酒こんごうしゅ』とやらが、思いのほか効いたようだ」


「つまり――?」


「ほとんど憶えておらん」と笑う。


 しかしフェルマンはそんな彼とは対照的に、重い溜め息を吐いた。


「なんだ、フェルマン。お前も飲み過ぎたか?」とドト。


「……いや、私は一滴も飲んでいない。そもそも私は酒を飲まないしな。だが――」


 フェルマンが余りに神妙な顔つきであるので、ドトは首を捻った。

 しかしフェルマンは口で説明する前に、黙って球体の表面をスルスルと指でなぞる。するとそこに浮き上がる様にして、ドトには見たこともない形の文字が映し出された。


「何だ、この文字は――読めるのか?」


「……ああ。私が初めてアイオドに触れた時、彼自身が読み方を教えてくれた」


「ふむ。それで何と書いてある?」


「これは、このアイオドの樹に貯蔵されている、デバイス石の総量を表したものだ。これを見る限り昨日までは100%、つまり完全な状態で保存されていたが――」


 フェルマンが手を横に動かすと、表示されていた文字や図が変化する。


「今確認したところ、現在の量は54%。――膨大な量の石の半分近くが、たった一晩で失われている」


「なんだと……何故?」と、ドトが眉をひそめて訊くと。


「理由は明白だ。ここに『使用量46%』と書いてある。つまり何者かが、ここのデバイス石を使ったんだ」


「馬鹿な。アイオドの石は――」


「ああ、誰にも扱うことが出来ないはずだ。しかし事実減っている。誰が使ったかというのは閲覧制限が掛かっていて分からないが、使われた時間なら分かった」


「それは――?」


「昨夜の月渡りの後。君や私も含めて、恐らく蟻塚の全員が記憶を失っている時間帯だ」


 これは由々しき事態だ――とは理解しつつも、二人はそれ以上語る内容を持ち合わせていなかった。



 ***



 エリオンが警戒するように恐る恐る家を出ると、その前の回廊で、薄茶けたフード付きの長いマントを着た男性が柵に肘を掛け、蟻塚の長閑のどかな風景を眺めていた。

 視線の先では、やや幅広の道で逃げ回る四つ脚の鶏を、傘の様な葉っぱを持った子供達が、キャッキャと騒ぎながら追い立てていた。


「あの……」とエリオンは、その背中に声を掛ける。


 すると男は背を向けたまま言った。


「君に罪は無い。もし僕が同じ立場であったなら、きっと君と同じことをしていた」


「? ……あなたがユウ――さんですか?」


 エリオンの問い掛けに、フードの男はゆっくりと振り返る。丁度中天に達した太陽が、その顔を隠すように色濃く陰を作っていたが、彼は「ああ」と一言返事をすると同時にそのフードを上げた。するとそこには、エリオンが頭の中で見た、柔らかな銀髪と澄んだ翡翠色の瞳をした青年の顔があった。


「僕がユウだ」と青年。


 紐で留めたマントの隙間からは銀の胸当てと白い剣が垣間見え、また背筋をしっかりと伸ばしつつも程良く脱力した立ち姿は、戦いを知らぬエリオンでも、彼が明らかに何らかの――恐らくは剣術の心得を持つ者であろうということが、容易に推測出来た。


 エリオンが何から話せばとまごついている間に、ユウはその姿勢の良い腰を折り、軽く頭を下げた。


「まずは謝らせてくれ、エリオン――すまなかった。君には彼らについて、もっとちゃんと伝えるべきだった。しかし閉ざされたOLSオーエルエスではAEODアイオードの更新の隙に割り込むのが精一杯で、ああいう形でしか伝えられなかったんだ。あるいは僕がもっと早く着いていれば、あんなことにはならなかっただろう」


「あんなこと――?」


 そう言われてエリオンの脳裏をよぎるのは、さっきまで見ていた悪夢――生々しい惨劇の夜であった。しかしそれはあくまでも夢であったと、彼の中では結論付けられていた。

 台詞の意味を理解出来ず、エリオンが首を傾げていると、彼に続いてツキノが家から出てきた。


「あら、こんな所で立ち話? エリオン、入って頂いたら? 部屋ならもう片付いてるわよ」


 するとユウが手で制す。


「いや、それには及ばない。……ツキノ、と言ったね? 少し彼を借りてもいいだろうか?」


「? ――あ、はい。それは構いませんけど」


 と言いつつツキノは、小声でエリオンの耳元に囁く。


(アナタ、この人知り合いなの? 名前は知ってたみたいだけど)


(う、うん。ちょっとね……)


 あからさまに訝しむ二人のやり取りを、しかしユウは気にする様子もなく言った。


「エリオン、少し付き合ってくれ。君には話しておかなければいけないことがある」

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