第8話 魔法

「国を――? そんなものが存在するんですか?」


 国家を滅ぼす武器など俄には想像し難いといった様子で、エリオンが驚きつつも興味を示した。


「あるとも。核爆弾やビーム砲、そして機甲巨人きこうきょじんといった忌まわしい兵器がね。200年前の渾沌戦争では、実際にそれらが使われていたんだ」


「恐ろしいですね……」


 エリオンとツキノは、それが行使される光景を思い描いて無意識に息を呑む。するとフェルマンがその空気を和ませるように、穏やかに微笑んでみせた。


「しかし心配することはない。今言った通り、デバイス石で新たに兵器を作ることは出来ないし、かつて存在していた物も回収されたからね」


 するとその言葉に、ツキノが首を傾げて尋ねる。


「回収って、誰がですか?」


「インヴェルの民だよ」


「インヴェルの民……。それって、星を渡る種族のことですよね?」


「そうだね。君達は星船ほしぶねを見たことがあるかな? 彼らインヴェルの民は独自の技術を持っていて、その船で惑星を巡る旅をしているらしい。異種族との交流がほとんど無いため、私にも詳しいことは分からないが」


「そうなんだ……」と、感慨深く頷くエリオン。


 彼は過去に何度かそれを見たことがあった。紙を折って作ったような巨大な船が、広大な空を悠然と進んでいく様は、遠目にも神々しく、そして世界の広さを感じさせるものであった。


(魔法、デバイス、機甲巨人、星の船――。世界はまだまだ、僕の知らないことばかりなんだな)


 その事実は己の無知と無力さを痛感させると同時に、溢れ出る好奇心を一層掻き立てた。ツキノののつもりで来たエリオンであったが、いつの間にか彼の目と耳と心は、フェルマンの話に釘付けになっていたのであった。


「ではそろそろ本題に入ろう。魔法に関わる話だ」とフェルマン。


「――デバイスにはもう一つ、知るべき特徴がある。それは無垢のデバイスが石以外の状態でも存在している、ということだ。視えもしないし、触れもしない状態でね」


「??」と、揃って二人の頭に疑問符が浮かぶ。


「だが実は、デバイスというのはその状態で存在しているものの方が圧倒的に多いんだ。それこそどこにでも在る。――今私達がいるこの部屋にも、君達の身体の中にも」


 そう言われて辺りを見回すエリオンとツキノ。それを見てフェルマンが笑った。


「今言った通り、目で視えるものではないよ。――その状態のデバイスは『ダークマター』や『殊能量子しゅのうりょうし』などとも呼ばれるが、私達魔法使いはそれを『魔素まそ』と呼ぶ。そして特定の手続きに基づいて、魔素を物体やエネルギーに変える方法のことを『魔法』というんだ」


 魔法をただ不思議な力としか捉えていなかったエリオンは、その説明で得心がいった様子で「へぇ」と頷いた。しかしそこでふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。


「魔素を――その視えないデバイスを操作できるのは、魔法使いだけなんですか?」


 するとフェルマンは首を横に振った。


「いや。魔法とは違う手段で、手続きを必要とせず、生まれながらにしてそれを操作出来る者もいる――超能力という特殊な権限を持った『殊能者グレイター』と呼ばれる者達が」



 ***



 乾いた土の地面に、短い木杖で直径2メートル程の円を描く。そして内側に一回り小さな同心円を描くと、線の隙間に見慣れぬ象形文字をスラスラと書き足していく。


「――これでよし」とフェルマン。


 蟻塚からそう遠くはない、土と砂が混じった茶色い平地。陽は傾いてきているものの、夜になるまでにはまだ大分時間がある。

 フェルマンは自身で描いた丸い図柄を指差して言った。


「これで完成。これが魔法陣だ」


 キョトンとした顔でそれを見つめるエリオン。それに並ぶツキノ。


「これだけですか? なんかもっとこう、魔法具とか――」


「そういうのは必要無い。魔法陣というのは、術者の心の宣言が可視化されたものだからね。本来ならこうやって書く必要すら無いんだ。ただ君達は初めてだから、これでデバイスへの命令を補間してあげるのさ。――見ててごらん」


 フェルマンはそう言ってから、右手に持った杖を演奏前の指揮者よろしく、軽い手振りで持ち上げた。するとその杖の先端に、小さな黄色い光の魔法陣が出現した。


照らし出せリィト・スヒーネ


 彼が呟いた直後に、その魔法陣から3センチ程の眩い光球が現れる。それは暫くの間フワフワと空中を漂いながら周囲を照らし、やがて音も無く消えていった。


「凄い……これが魔法――」とエリオン。


 目を丸くする彼の横で、ツキノも食い入るようにそれを見つめていた。彼女は過去に何度かフェルマンが魔法を使うところを見たことがあったが、こうして改めて見ると、やはり不思議なものだと思わざるを得ないのであった。


「今見た通り、慣れてしまえば陣は自分で作り出せる、というか自然と発生する感じだね。――ではまずツキノからやってみよう。ここに立って」


 フェルマンに促されて、ツキノが魔法陣の真ん中に立つ。


「いいかいツキノ? 私が教えたことを思い出して。自分自身の肉体を介して、魔素に呼び掛けるんだ。手でデバイス石を変化させるのと同じように、心の手で魔法陣を描く」


「……はい。やってみます――」とツキノ。


 緊張した面持ちで目を瞑り、ツキノは今しがたフェルマンが陣を描いていた様子を、心の中で自分の動作に置き換える――すると彼女の周りにぼんやりとした光が現れ、足元の魔法陣が薄っすらと光りだした。


「うん、その調子だ。魔素が反応している」


 フェルマンが伝えるまでもなく、ツキノは己の内に宿る熱を感じていた。喩えるならば、寒い日に飲んだ温かいスープが喉を通っていく時のような、身体の奥に流れる熱である。それが首筋から手足の末端にまで、一気に拡がっていく感覚。


「温かい……これが魔素……? 身体の中に流れを感じます」


「それだ。そのまま手を伸ばして詠唱してごらん。何でもいい、君の好きな呪文を」


「好きな呪文――」


 ツキノは数瞬頭を巡らせてから、ここ数日で習った『アーマンティル言語』の詠唱文を思い出す。そして手の平を前に向けて、行き当たった言葉を口に出した。


芽生えよル・ゴウス……』


 すると彼女を取り囲む魔法陣が緑色に変わり、そこから生え出た光の蔓が彼女の身体を伝って掌の先へ――。ツキノの固い顔が笑顔に変わる。


「出来ました! 先生!」


「うん、上出来だ。その感覚を忘れないように」と、フェルマンも同じく笑顔で返す。


 しかし魔法の蔓は何かをするでもなく、会話をしている間に儚く消えていった。それを見たツキノが「あ……」と、残念そうに表情を曇らせたが、フェルマンは笑顔のまま。


「今の詠唱文は魔法に効果を持たせるものではなかったが、練習の成果としては充分な結果だよ、ツキノ。初めての詠唱で、ここまでハッキリとした形で発動できる人間はなかなかいない。君には素質がある。精進を怠らなければ、将来立派な魔法使いになれる」


 そう言われて、再びパッと花を咲かせたような笑顔を見せるツキノ。


「――ではエリオン、今度は君の番だ」


 フェルマンが促すとエリオンは、笑みの解れぬツキノと入れ替わりに魔法陣の上に立つ。フェルマンは足跡で消え掛けた陣を、上書きしながら言う。


「エリオン、今ツキノがやったのをお手本にするといい。まずはしっかりと魔素を感じ取り、繋がることをイメージするんだ。デバイスにアクセス出来れば、その魔法陣が光る」


「解りました(――デバイスと繋がるイメージ……)」


 陣が完成するのを待ってから、エリオンは深呼吸をすると、先程のツキノを参考にして目を瞑ってみた。そして自分の心の奥底へ沈むかのように、意識を深い所へと運んでいく。


 ――しかし。


「……ダメです。何も感じられません」


 描かれた魔法陣は輝くどころか蛍火ほどの明かりも見せず、しんとした擬音だけを響かせた。


「おかしいな」とフェルマン。


 彼は腕を組んで片手を顎に添えると、じっと考え込みながら、すがるような瞳のエリオンと無言の魔法陣を見比べる。


(権限があれば、魔法の発動は出来ずとも何らかの反応があるはずなんだが……。ひょっとして彼は――)


 そして不安な顔でフェルマンの言葉を待つエリオンに、フェルマンは考え至った一つの可能性を口にした。


「エリオン。……ひょっとしたら君は、殊能者グレイターなのかもしれない」

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