虹の髪のエリオン

第一章

第1話 誕生

　喉の奥が張り付くような、砂混じりの乾いた空気。岩壁を掘り進んで造られた穴。諸枠（もろわく）に等間隔で吊るされたカンテラは、無機質な暗黒世界にひっそりと足跡を灯していた。

　どこかで甲高く刻まれるツルハシの残響が、坑道の中にこだまする。枝分かれして行き止まったその途中（おく）には、人型でありながら人間とは違う、異形の者がいた。

「妙だな……」

　それはしゃがみ込み、野太い濁声（だみごえ）でそう呟く。

　――２メートルを超える巨躯（きょく）。短く硬い赤毛、黒目だけの小さな瞳と、低い鼻。台形の輪郭をした力強い顎（あご）に鋭く並んだ牙。獅子の顔を平たくしたような獰猛な顔つきのその生物は、獣人鬼（オーク）と呼ばれる亜人の一種である。

　質素な文明が垣間見える布の衣服は、岩の如き筋肉によってはち切れんばかりに伸びている。薄汚れた革のズボンと厚手のブーツは、彼が鉱山で働く『採掘士』であることを示している。

　彼は、小さなツルハシをその場に置くと、今しがた自分が掘り砕いた石を手に取りまじまじと見た。

「むう」と、喉を鳴らすように一唸り。

　濁った色の土砂の中には、純白の石粒がいくつか混じっている。具（つぶさ）に視れば、それは一辺が５ミリ程の正立方体であった。

「手付かずの鉱山（やま）でこれほど結晶が少ないとは……」

　大きな溜め息を吐いてから立ち上がると、分かれた別の穴の方から彼を呼ぶ声が響いた。

「ドト！　ちょっとこっちへ来てくれ、何かある！」

　その声に再びツルハシを手に取ったオークのドトが、カンテラの明かりを頼りに奥へと向かうと、そこにはやはり鉱夫と思しき――しかしこちらは正真正銘人間の男性が、目の前の壁から覗く白い塊を指差していた。

「結晶か？」とドト。

「そう見えるが、少しおかしい。こいつは形が変だ」

　男の怪訝（けげん）な声に応じてドトが歩み寄り、ベルトに付けたポシェットから小さな丸石を取り出す。それを彼が指でなぞると、丸石が光り周囲を柔らかく照らし出した。

　ドトはその光源を壁に近付けて、岩石からはみ出ている丸みを帯びた塊を覗き込む。

「これは……何だ？　――足？」

　それは人の爪先のように見えた。恐る恐る彼は、そののっぺりとした塊の表面を触る――絹のように滑らかな手触りと僅かな温もり。

「温かい……」

「なに？　起動してるのか？」

「判らん。デバイス石（いし）かどうかも怪しいが――掘り出してみよう。傷を付けんように、慎重にな」

「あ、ああ。解った」

　そうしてまた暫くの間、坑道の中に石を砕くツルハシの音がこだまする。

　二人の額に汗が滲（にじ）み出て、やがてその姿の半分ほどが明らかになったところで、「こりゃあ――」と男が言いかけて手を止めた。

「人間……？　子供に見えるが――」

　土石の中から現れたのはドトの言葉通り、眠れる一人の少年であった。

　幼児とまではいかぬものの、それに近い年齢なのは確かである。顔だけ見れば少女のようにも見えるが、身体には男性のシンボルがあるので性別に間違いはない。

　肩から先の右半身がまだ埋もれたままで、その全容は見て取れなかったが、少なくとも視認できる範囲では、爪の先から髪の毛に至るまで全てが純白――それだけ見れば彫像とも思えるのだが、自由を得た彼の腕は、意識を失った人間と同じ様に力無くダラリと垂れて、その身体が単なる像ではないと教えるのであった。

「……生きているようだ。助けよう」

　ドトがそう言うと、しかし男はツルハシを強く握り、用心深く少年を睨（ね）める。

「こんな状況で生きてるなんて普通じゃあねえぜ、ドト。その純白（いろ）もな。殊能者（グレイター）かも知れねえ。そんな奴を蟻塚に連れ帰ったら、長老達になんて言われるか――」

「だが子供だ。放ってはおけん」

　躊躇（ためら）う男を余所（よそ）にドトが少年の頭を支え、顔に付いた土を軽く払う。すると突然、少年の全身が仄かな青の光を放った。

「――？！」

　驚いて身構える二人の前で、ぼんやりとした光が、少年の内側に吸い込まれるようにして消えると、間もなく彼の肌が色味を帯びた。色白ではあるが、健康的な人肌のそれである。

　ただ唯一普通の人間とは違う――或いは異様とも云える特徴は、彼の髪であった。耳に掛かるかどうかという短い髪が、薄いベールに包まれたような、柔らかい虹色へと変わったのである。

　多種多様な種族を目にしてきたドトであったが、その彼をして、この様な不思議な色の髪の人間を見るのは初めてであった。しかしそれは決して気味の悪いものではなく、むしろ幻想的で神々しい、思わず見惚れてしまうような美しさがあった。

　そしてその変色が終わると同時に、少年の瞳が徐（おもむろ）に開かれる。

「………………」

　円（つぶら）な瞳は右眼が赤く、左眼が青い。彼はその色違いの瞳で、黙ってドトの顔を見つめていたが、その固まった表情から感情を窺い知ることは出来なかった。

「動けるか、坊主。――名は？」

　ドトが問うと、少年は頷きも首を振るでもなく、しかしただ小さく唇を動かして、消え入りそうな声を発した。

「……エ……リ…………オン……」

「エリオン？　それがお前の名か？」

　眉を顰（ひそ）めつつ尋ねるドトであったが、少年はそれだけ言うと再び目を閉じてしまった。

「死んだのか？」と横の男。

「いや、眠っているようだ……」

　暗がりの中で聴こえる安らかな呼吸と、静かに上下する少年の胸――。

　ドトは彼の虹色の頭を優しく撫でると、獰猛な顔とは裏腹な穏やかな目でその寝顔を見つめていた。