第3話 ジャパンカップの涙

Sector-1 :HIDEMI-1

今日は特別な日曜日。

今までつづいた私の挑戦に、ピリオドが打たれる。


カーテンの隙間からうっすら入り込んでくる光で目が覚めた。

スマホのアラームはセットしておいたけど、それよりも30分早い。


今日は日曜日。いつもならもっとゆっくりと起きる日だけども今日は違う。

ジャパンカップ東京大会、その3回目。今日が終われば、私にとって大きな区切りがつく。


着替えて部屋を出ても、家の中は暗いまま。それはそうだ、私以外には誰もいないんだから。

母は昨日の夜から仕事に出ている。夜の仕事といってもいかがわしいものではなく、その正反対。人の命を救う仕事、要するに医者だ。

母は重宝されているのだろう。週の半分は帰ってこられないか、私が寝ている時間に帰ってきて起きる前に出ていってしまう。実際、おととい・きのうと母の顔は見ていない。

だからといって、なにも不満はない。誇れる仕事をしているのだ。むしろ感謝しているくらいだ。


朝ごはんはどこかで買って食べればいい。会場についてからの時間はたっぷりあるのだから。

昨晩の内に整えてあった荷物を確認する。ポータブルピットは1段だけ。余計なものを持っていっても重いし、何よりもうセッティングで迷うことはない。ケースの中身、下半分は最小限のビス類、ローラーのスペア。そして上段には、勝負を託したマシンが納められている。


「行こうか、アスチュート」


FRPプレートで作った可動式の低重心アームの上、赤く塗装したボディはかろうじて原型をとどめている。ケースを閉めると、マシンの息苦しさが伝わってくるようだ。

関東でのジャパンカップはこれが最後。オータムカップは今年も多分あるけど、三年生は受験生になってしまう。そうなると、ジュニアとして参加できる公式大会は、もう残っていない。

次こそは、と思いながら結局ここまで来てしまった。焦りは当然あるけれど、焦ってもどうにもならないこともわかっている。


「勝たなきゃ……」


誰にも聞かれるのことのない言葉を残して、私は鍵を閉めた。

雲の隙間からのぞく光は弱く、厚い雲が音もなく流れる。

ふと私は気づいた。そうだ、今回はこれまでとは違うんだ、と。

スマホを取り出して、緑色のメッセージ交換アプリを立ち上げた。

>もう出るよ。二人とも受付終了は意外と早いからね!

グループに入っているのは、涼川さんと、奏。レースの会場で誰かと待ち合わせるなんて、いままでにはなかったことだ。レースよりもそっちの方が緊張するかも。

私は、メッセージが送信されたことを確かめて、小走りに駅へと向かった。


Sector-2 :AYUMI-1

駅から伸びる、人の列!

これだけでも燃えるのがミニ四チューナー!


「着いたーっ!」

「話には聞いてましたが、すごい人ですね……」


りんかい線の国際展示場駅を降りると、正面に逆三角形のオブジェ。

そこへ向かって延びる列、みんな片手にポータブルピットを下げている。

ジャパンカップ東京大会③。

『バーサス』でのレースとは別に、リアルなレースイベントは毎週のように開かれている。その中でももっとも大きくて歴史もあるのが日本選手権、ジャパンカップだ。25年前から始まったジャパンカップは、全国約20ヶ所の会場を巡り地区代表を決定、最後は真の日本一を決めるというとてつもないキャラバンである。


「ちょっと緊張するかも……」

「大丈夫ですよ~。痛いのは一瞬ですから」

「緊張するからやめてよ、もう!」


ミニ四駆部に参加して一ヶ月、会長もずいぶん話してくれるようになった。

エアロアバンテも作ってはテスト、壊しては修理を繰り返して、コースをだいぶ走れるようになってきた。

それにひきかえ、あたしの方は会長のマシン作りに気をとられて全然チューンできず……。まあ、今回は「トゥインクル学園ミニ四駆部」として初めての校外活動だから、それだけでもあたしは大満足だ。それよりも……


「会長の私服って、超レア~」

「ちょ、それ何回言われても気持ち悪いからやめて!」

「いやいやいや~。」


デニムのスカートからのぞく、黒タイツ!

制服の時も変わらないその姿には、こだわりがあるんだろう。あたしの方は重ね着したTシャツとデニムのパンツ、かわいさも何もあったもんじゃない。


「ほーら、ふざけてると遅くなる」

「むう」


あたしたちの脇を、大人の……なんというかおじさん達が小走りにすり抜けていく。改札から続く人の波は途切れることなく押し寄せてくる。

会長の背中を追って、あたしも歩き始めた。

「女帝(エンプレス)……赤井さんはもう来てるんですかね」

「秀美ならとっくじゃない?」

「そうですよね」


会場で会おうと言ってくれたのは、女帝の方からだった。ただ待ち合わせはせずに

、会場で会えたら会おうという、という程度の距離感だ。

そんな考えを、頭を振って吹き飛ばす。目線の先には、さっき見た逆三角。でも近づくほどに、じわじわ大きくなっていく。レースの会場はその向こうにある駐車場だ。

スマホで道を調べなくても、行き方はわかる。何千人ものミニ四チューナーが、一本の線になっている。その線をたどっていけばいいのだ。


「いよいよ!」


興奮をおさえられず、思わず声をあげた。


Sector-3 :KANADE

一瞬で終わってしまうのもレース。

でもそれだけがレースイベントじゃない。


私にとって初めての「公式大会」は、何というか、よくわからないままに終わってしまった。

受付に出来た列に一時間近く並んでエントリー。4000人を越える参加者のうち、私たち中学生までの「ジュニアクラス」は全体の1割ほど。

午前中に一次予選が終わるとアナウンスされたけれど、私たちの出走順が回ってくるまでには二時間。

涼川さんは「すーぱーあゆみん」の別名のとおり、さすがの走りで1位通過。

私の方はといえば、4コースからスタートして1周めはトップ。でも一番内側のレーンに移ったあとのジャンプで、音もなくマシンが消えた。本当に消えた、としか表現できない、それほどの静けさのなかで、私のレースは終わった。


「あー眠い」


会場近くの100円ショップで買ってきたビニールシートの上で、涼川さんが横になる。私はその隣でペットボトルの紅茶を飲む。ピクニック日より、という訳にはいかず、空はますます暗くなり、雲が重くうごめいている。


「それにしても、レース以外にはイベントがないんですね」

「そうなんですよ~。でも走らせてうまくいかなかったら悔しいから、次に頑張ろうってみんな思っちゃうんですよね~。」

「次に頑張る、か」


ミニ四駆のおかげで、そんな言葉もすんなり受け入れられるようになった。ジャパンカップが終わってしまった今となっては、ミニ四駆部としての最大の目標、「ミニ四駆選手権」の地区予選に向けて色々考えていかねばならない。まずはエントリーの最低人数、3人に達するように部員をスカウトしなければ……


「涼川さん、って」


振り返ると、小さな寝息と無防備な寝顔があった。仮にも女子が、危なっかしいたらありゃしない。まあ、こういう無防備なピュアさが涼川さんの魅力、などと考えていると不意に、


「どう? 調子は」


頭上からハスキーな声が聞こえた。誰か、を確かめないでも分かる。だからあえて顔は上げずに答える。


「私は終わったわよ」

「そう、お疲れさま」

「そういうあんたはどうなのよ」

「ん、おかげさまで」


目の前に、オレンジ色のエントリーシールが飛び込んできた。私の手元に残ったシールとは色が違う。一次予選通過の印だった。

おめでとう、とすんなり言えるほどさわやかにはふるまえない。せいぜい、憎まれ口をたたかずに無言のままでいるのが精一杯。


「おちつく場所ないから、一緒にいさせてもらっていい?」

「ん、別に断る理由もないけど」

「そう」


女帝、と涼川さんが呼ぶひと。私にはよくわからないけど、結果は残っている。


「おかえり、奏」


差し出された手を、私は反射的に握り返していた。


Sector-4 :HIDEMI-2

雨が来る。

わかっていたはずだけど、乱れる自分がいやだ……。


オープンクラス、午後の予選が始まると空模様はさらに悪くなっていった。

日の照っているときは汗ばむようだったのに、今はもう半袖ではいられないほど涼しい、いや寒い。

ほとんどの公式大会の会場は、屋内であったり、外の場合でも一部に屋根があったりするのだが、この会場は雨風を防げるところが一切ない。そのため、事前に「雨天中止」となることが告知されている。


「降りそうですね……」


目を覚ました涼川さんが言って、ひとつクシャミをする。その様子を見て、奏がティッシュを差し出す。トゥインクル学園は、どうにかチームができてきたみたいだ。その事は純粋に喜びたいと思う。


「涼川さん、もし途中までやって、雨が降ってきたら」

「その時は中止ですよ、スパっと」

「じゃあ、二人の予選通過はどこかで振り替えたりとか」

「奏ごめん、そんな便利な仕組みはないわ」

「じゃあ……」


嫌なヤツだと自分でも思う。どうにもならないことへのイライラを他人にぶつけたくはない。

それでも時間が迫っていることへの不安が、気持ちをザラつかせてしまう。

耐えられずに立ち上がる。視線の先、コース脇の車検上には、オトナたちの列が絶えることなく続いている。お金も、時間もいくらでもあるだろう、わざわざこんな日に出てこなくてもいい、悪態をつく自分の中の悪魔をコントロールする。それができなければ勝負はできない。


「ごめん、ちょっと」

「あ、秀美!」


奏に背を向けて、私は走り出した。

人波の向こうに、護岸に囲まれた海がある。もちろん、波もないし水も汚い。それでも、それだからこそ今の私には救いになる。

乱れた呼吸を落ち着けようと、息を吸い、吐き出す。

プレッシャーで取り乱してしまう。普段はやらないようなこと、ギヤカバーのスナップ不足や電池の交換忘れ、ビスのゆるみ。いままで勝てなかった理由は単純なものだ。自分がまだ「ジュニア」であるがゆえのミス。決して認めたくないけど、事実は事実だ。

会場ではコンクールデレガンスが始まったのだろう、闘争心をかりたてるような曲は止み、牧歌的な曲がエンドレスで流れ始めた。それはまだまだ、オープンクラスの二次予選が始まらないことにもつながるのだが、まあ、今はそれすらも救いにしたい。

戻ろう。今はひとりじゃなくて、涼川さんや奏、いずれ戦わなければならないけど、おなじ場所をめざすともだちがいる。

振り返ったとき、わたしの鼻先に冷たいものが落ちた。


Sector-5 :AYUMI-2

こんな終わり方を受け止めたくない。

それは《女帝》も一緒のはず。だけど言葉は違った。


雨が落ちてきた。

まだ弱いけれど、つみ重なった黒い雲は陽の光を完全にさえぎっている。スマホのニュースを見ると、お台場には大雨注意報が発表されている。

大雨が「警報」レベルにまでなったら、とう大会はやっていられない。なんと言ってもタダでやっているイベントだ。万が一事故が起こったら続けていけなくなる。早めに決めなければならないのはわかる。でも、それで本当にいいんだろうか。

車検に並ぶ大人たちは、準備よくビニール傘をさしている。もしこの大会が中止になっても、この中のけっこうな数が次に開かれる地方大会に行くんだろうし、東京でやる秋の大会に参加することだってできる。でもあたしたちにとっては、次にいつ出られるかわからないし、突然最後になっちゃうかもしれない。


「けっこう降ってきたわね」

気がつくと、髪の毛ごしに雨粒をしっかりと感じるようになっていた。雷の音が、遠くに聞こえる。まるで怪獣がうなっているように。

「あれ? 秀美、どこにいってたのかしら」

「赤井さん……」


あたしたちには目もくれず、一点を見据えて《女帝》がいく。ただ、その様子はあまりにも悲しい。


「あたし、いってきます」

「ん、わかった。私はここにいるわ」


踏み出した足の下で水が弾ける。雨の量はこの数分で急に増えてきた。ゲリラ豪雨ってヤツだろう。足元のコンクリートは水を吸うこともできず、いくつもの水溜まりができてきた。あちこちで人が慌ただしく動く。雨の音、ビニールシートを畳む音、傘を開く音。


「赤井さん!」

「どうしたの、風邪引くから奏と一緒に建物に入ってた方がいいわ」

「そんなことより、赤井さんはどこに行くんです?」

「え? 大会の本部に」


あたしは、次の言葉が言えなかった。

ジュニアクラスのレースだけでもやれるように、本部に訴えにいくつもりだ。もうオープンクラスの一次予選がさばき切れないのはわかっている。ならば、数の少ないジュニアクラスをなんとかやらせてほしい。自分のためだけではない、そのふるまい、《女帝》と呼ばれるにふさわしい。


「あの」


片手を上げて声をかけるだけで、スタッフが振り返る。そしてハンチングをかぶったメインらしいスタッフが呼び出されてきた。あたしは、隣で言葉を待った。


「この雨です。早く中止のアナウンスを」

「え、あ、赤井さん!」

「いいのよ。怪我や病気の人がでたら大変でしょ」

「でも」


スタッフの人は、帽子を目深にして一つうなづいてテントの奥へ入っていった。


「仕方ない。仕方ないのよ」


言いながらかがみこんだ背中に、あたしは声をかけることも、手を差し出すこともできなかった。


Sector-6 :KANADE-2

一つの道がふさがれたなら、

次の道を探しにいく。それが本能みたいね。あの娘たちの。


「お、お疲れさまです」

「はい」

「ん」


ファストフード店の奥、私の乾杯に残りの二人はついてこない。

まあ無理もない。結局、秀美が訴え出てすぐに大会の中止が決定した。オープンクラスの一次予選は最後まで終わらず、何人かの執念深いオトナが大会本部に駆け込んだのうだったが、ほとんどの選手はそそくさと会場からいなくなった。

涼川さんも奏も、文字どおり電池が切れたマシンのような状態だったけど、引きずるようにしてここまで運んできた。

それぞれにドリンクと、テーブルの真ん中にフライドポテトの山。三つの手が代わるがわる伸びて山を崩してゆく。ざわつく店の中、この一角だけが静かだった。


「天気はどうしようもないものね。こういうとき『バーサス』なら」

「それな」

「それよ」


二人が急に、スマホを手にとって何かを調べ始めた。右手で画面を操作しつつ、左手はポテトを口に運んでいく。一流のチューナーは左右の手で別々の作業をこなすと何かで読んだけど、正にその光景が目の前に二つあった。


「ありました!」

「いくわよ!」

「え、なになに、待ってよ!」


自分のカップだけ持って、二人とも立つ。残されたトレーは私が運ぶことになる。そんなつもりはないのに、だ。


「会長、ごめんなさい!」

「下の階、トイショップにいるから」

「え、あ、ちょ、おま」


駆け出していく背中は、さっきまでの弱々しいそれとは違う。何を見つけたのかはわからないが、元気になったのはよかった。

私はトレーを片付けてから、エスカレーターを下った。秀美が言っていたトイショップの店頭に人だかりができている。

子供向けのトレーディングカードゲームに並んで、それは置かれていた。軽金属の筐体が2つ、その間に液晶のモニター。映し出されているのは、ついさっき見た、ミニ四駆サーキット。


「懲りないわね、秀美も」


バーチャル空間のスタート位置に、真っ赤なマシンがセットされた。人垣の向こうに、ニヤリと笑う横顔が見えた。



SECTOR-FINAL:TEST

-COURSE:H.D.Circuit 2015

-LENGTH:197m

-LAPS:5

-WEATHER:SUNNY

-CONDITION:DRY


1P

-CAR:AERO THUNDER SHOT

-CHASSIS:AR CHASSIS

-TUNER:SUZUKAWA, AYUMI


2P

-CAR:ASTUTE Jr.

-CHASSIS:VS CHASSIS

-TUNER:AKAI, HIDEMI


1P RESULT

-LAP01 8.012

-LAP02 OUT

-LAP03 No Time

-LAP04 No Time

-LAP05 No Time

TOTAL NO TIME


2p RESULT

-LAP01 8.563

-LAP02 8.392

-LAP03 8.014

-LAP04 7.943

-LAP05 7.972

TOTAL 40.884


SIMULATED BY

VIRTUAL CIRCUIT STREAMER: <VS>


SEE YOU NEXT RACE.

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