ばーちゃん
大きな硝子窓は、ついさっきまで降っていた雨で、今も濡れていた。ものすごい大雨だった。
まるでサナと初めて出会った日の夕立のようだった。
「――しゅくる……知ってたんだ」
萌花は目を見開いた。
萌花は凛子にしゅくるを教えてくれた張本人だ。
凛子にとってしゅくるのファン仲間は、ずっと萌花一人だけだったのだ。
「うん。それでその日はしゅくるの話、したんだ」
「へー。ずっと? 丸一日?」
「うーん……二、三時間かな? サナ、時計見て、帰らなきゃって言うから。電車で来てるのかな? いつも時間気にしてた。あ、あのさ、しゅくるの歌、いっぱい配信されてるアプリ、教えてもらったよ」
「ホント?!」
「後で教えるね」
「ありがとー!」
萌花は凛子をがばっと抱き締めた。
ふわりと甘い、バニラの香りがした。
「ああ、そっか」
凛子はふと気付いて、思わず声に出して呟いた。
「ん? 何?」
「サナも、お香の香りがしたの。モカの好きな、ココナッツとか、バニラのキャンドルみたいな香りだった」
凛子は萌花をモカと呼んでいる。二人は物心つく前からお隣同士で、家族ぐるみで付き合ってきた。幼い凛子が「もえか」と言えずに「もか」と呼んでいたのが始まりだったが、今は萌花自身が「モカの方がクールでかわいい」と言って、モカと呼んで欲しがるようになった。
「何か、そのサナってコ、私と趣味合いそうだね」
「うん。モカとも絶対仲良くなれそう」
凛子は微笑んた。
不意に凛子たちの後ろを、小さな子供たちがパタパタと駆けてきた。凛子たちが振り向くと、障子戸を開けて和室に入っていく姿が見えた。
凛子はベンチを立って、和室の前を通り過ぎると、広いホールへと歩いていく。萌花も一緒に歩き出す。
ホールでは、大きな扉が三つ並んでいて、それぞれ前に祭壇がある。その中の右端の壇上には、写真と花が飾られている。
白い花に縁どられた黒い木枠の中で微笑んでいるのは、凛子の祖母だった。
凛子はその前を通りすぎて、ホールの隅にある小さなお地蔵様の前にしゃがみこんだ。
お地蔵様の周囲は小さな池のようになっていて、お地蔵様の横にある滝を模した小さな噴水から絶えずその池に水が流れ続けている。
池のふちに置かれた白木の柄杓を取ると、凛子は滝の水を受けて、お地蔵様の頭にそっとかけた。
萌花も隣にしゃがみこんでもう一つある柄杓で水をかけた。
「ありがと」
凛子は少しひび割れた声で言った。
萌花は涙目でぶんぶんと頭を横に振った。
「ばーちゃん、喉、乾かないようにね」
二人は今、火葬場にいた。
凛子の祖母は先日、病気で亡くなった。
萌花の家は、近くに祖父母や親せきのいない両親共働きの家庭で、世話好きだった凛子の祖母は、幼い頃から萌花を孫の凛子と同じように可愛がった。
萌花の両親が仕事で大変な時には、凛子の家で萌花を預かったり、病気をした萌花の面倒を看たりしてくれたのだ。
だから、萌花にとっても「ばーちゃん」は、実の祖母と変わらない存在だった。
そんな背景もあって、この地域では通常親族しか出席しない火葬に、萌花も母と一緒に参加させてもらっていた。
「ばーちゃんが教えてくれたんだよね。じーちゃんの葬式の時」
萌花がポツリといった。
「火で焼かれてる間、熱くて熱くて、喉が渇くから、こうしてお水をかけてあげるんだって。これは子供の仕事だって」
「うん」
頷きながら、凛子は祖父の葬儀のことはあまりよく覚えていなかったので、萌花がしっかり覚えているらしいことに驚いていた。
確か、二人は当時三歳だった。
「ま、この会話くらいしか覚えてねぇけど」
萌花の言葉にほっとした凛子は、にっこり微笑んだ。
「で? そのサナってコがどうしたって?」
「あ、うん、それで、仲良くなって、夏休みの間けっこう何回も会ったんだ」
「へえー」
萌花は驚いたような顔をした。
「LANE(レーン)も交換したし」
「へぇえー!」
LANEとは、若者たちの間で連絡を取り合う手段の主流となっているSNSのアプリのことだ。メールよりも簡単にやり取りができるし、かわいいスタンプツールもあり、無料通話機能もある。女子高生のほとんどが使っていると言っても過言ではない。
「でね。この前会った時、夏休み中に会えるのはもう最後だろうって話になってね」
「それっていつ?」
「うーん先週。五日くらい前……」
凛子は五日前のその日、サナの為にクッキーを焼いて行った。
「おいしい! 凛子天才!」
サナは満面の笑みでクッキーを食べてくれた。
凛子は嬉しかった。
凛子は肩が出たオフショルダーのワンピースを着ていた。淡い黄色に花柄で、肩口と袖にはフリルが付いている。
サナの方は、右肩だけが出たワンショルダーの長袖カットソーで、インナーのピンクと黒のボーダーのタンクトップが覗いている。
乙女チックな服装の凛子とちがって、サナはクールでカッコイイ。凛子はまるでサナに恋でもしたかのように、心の中でほうっとため息をついた。
「よかった! サナも、今日もカッコイイ!」
「知ってる」
サナは斜に構えてウインクをした。
凛子は楽しくて「ふふふ」と笑った。
二人はいつも通りに、サナの家の裏庭でしゅくるの話で盛り上がった。
あの可愛い声とクールな声をうまく使い分けた歌い方がいいんだとか。媚びない感じがいいんだとか。泣ける歌はどれだとか。サナがライブに行った時の話だとか。
それからサナは時折、凛子の高校の話を聞いてきた。
自分は通信制の高校だから、普通の高校に興味があるんだと言っていた。
そして、いつもと同じようにあっという間に時間が過ぎて、いつものようにスマホを見たサナが「もう時間だ」と寂しそうに呟いた。
その後だった。
「そうだ、凛子。一個さ。ヨゲンしてあげる!」
「ヨゲン?」
「そうそう! 未来のこと当てちゃうヤツ!」
「ああ、予言!」
サナの発音が変だったので、凛子は笑った。
「そんな言い方じゃわかんないよ」
「フフフ。でも、びっくりさせちゃうよ!」
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