雨とロリポップキャンディ
傘をさすと、友達と並んで歩きにくくなる。
うっかり水たまりに足を突っ込んだりしたら、靴も靴下も濡れて不快だし、歩いている人より車の数の方が多い田舎では、すぐ横を走り去る車に泥水をかけられることもしょっちゅうだ。
そして何より寒い。
凛子は鎖骨まである黒髪を、二つに分けて耳の後ろの低い位置で結っているが、湿気のせいかこの黒髪がひどくうざったく感じられた。
凛子が雨と同じくらい好きになれない、自分の冴えない顔が、更に暗い表情になっていく。
真っ白な半袖のセーラー服に、マスタード色のスカーフを揺らして、凛子は家路を急いだ。
凛子が暮らす東北の田舎町は、もうすぐ夏休みだというのに、梅雨明け宣言がまだ出ていなかった。
高校に入って初めての夏休み。その前の最後の難関、期末テストの初日である今日も、しとしとと雨が降り続いている。
いつもなら一緒に帰る親友は、テスト期間の今日もしっかり塾に行くと言うので、少し前の曲がり角で別れた。親友の塾は凛子の家とは別方向にある。
凛子の高校は、中心地の駅から少し離れた住宅街の中にある。凛子の家は、その駅や駅前の商業施設たちと高校に背を向けて二十分ほど歩いたところにある。
家の方へ行けば行くほど周囲は民家ばかりになっていく。
平日の昼で、雨も降っているとなれば、歩いている人はほとんどいなかった。
うつむくと、模範的に着こなした制服の濃紺のスカートの裾が見えた。膝上五センチをしっかり守った丈で、靴下も学校指定のものだ。
校章のワンポイント刺繍が付いた白い靴下の、足首あたりに泥がはねている。
――早く帰ろう。
そう思った直後。
空が光った。
凛子があっと思う間もなく、ゴロゴロと不穏な音が響く。
雷だ。
凛子は雷も大嫌いだ。
急いで帰ろうと足を速めたその時、傘にボタボタと大粒の雨の玉が落ちてきた。
ヤバイ!
そう思うが早いか、雨はまさに「バケツをひっくり返したような」降り方になってしまった。
こうなってしまっては傘など、あってないようなものだ。
膝から下は、もうビショビショに濡れてしまっている。
鞄を前に抱きかかえるが、あまり意味はなさそうだ。
バシャバシャと盛大に足元の水たまりをはねさせながら、雨音しか聞こえなくなった住宅街の中を駆けていく。
細い路地を必死に駆けて駆けて、小さな個人医院の軒下に駆けこむ。
幸いこの個人医院は一階部分が駐車場になっていて、階段かエレベーターを上って二階の受付に入っていく構造になっているので、雨宿りにはもってこいだった。しかも今の時間帯は昼休みで、診察をしていないから患者もいない。駐車場はがら空きで人の目もない。
「ふう」
何とか傘を閉じて一息ついた。
セーラー服も、マスタード色のスカーフも鞄もビショビショだ。
髪はかろうじて濡れていないが、足元は悲惨だ。
早く帰って着替えたい。
五分も待てば少し落ち着くだろうと思いながら、もう一度ため息をつく。
「ねえ、雨宿り?」
「――っ!」
突然、背後から声がした。
凛子は驚いて、声も出なかった。
肩をすくめて、弾かれたように振り向く。
最初に目に映ったのは、真っ白な髪の前下がりのショートボブ。
凛子より少し年上に見える、私服姿の女子が立っていた。
スラリとした長身の、体型がよくわかる細身のカットソーと黒いダメージジーンズ。上に羽織った黒いパーカーは、裾がビリビリに破けたようなデザインになっていた。
振り向いた凛子を見て、にっこり笑った口元に、ロリポップキャンディがくわえられている。
「ね。その制服ってさあ。あっちにある高校のヤツだよね?」
白い髪の女子は、雨の音がうるさいからだろう、キャンディを片手で持って少し大きな声で聞いてきた。
「あ、はいっ」
「何てガッコ?」
「えっ?」
「ガッコの名前。何コーコー?」
「あ、えっと……城東……高校……です」
とまどいつつ答えると、白い髪の女子は「フーン」と言って視線を高校がある方向へと泳がせた。
「ねえ、寒くない? 大丈夫?」
ぴょこんと跳ねるように、素早く凛子の方へと振り向いた彼女は、真っ直ぐに凛子の目を見つめてきた。
ショッキングピンクのアイシャドウに縁どられた大きなアーモンド型の目は、カラーコンタクトでも入れているのだろう、モスグリーンの瞳だった。
まるで猫みたいなその瞳にすっかり見惚れた凛子は、ドキドキしながら答えた。
「あ、あの、大丈夫……です」
そう言いつつも、びっしょり濡れた半袖のセーラー服は、寒がりの凛子の身体を容赦なく冷やしていた。
「ちょっと待っててー」
そう言うと、白い髪の女子はキャンディをくわえなおして、駐車場の奥へと駆けていく。
目で追いかけると、車止めのコンクリートブロックの上に置かれていたボディバッグから、派手なマルチボーダー模様のタオルを取り出して戻ってきた。
「ハイ! 使って!」
「えっでも……」
「いいから、ホラホラ」
そう言うと、彼女は濡れて冷え切った、凛子の剥き出しの腕をタオルで拭いた。
「あ、あの……すみません、なんか……」
「いいの、いいの」
オドオドする凛子を尻目に、続いてセーラー服の水滴を払い落とすように拭き始める。
タオルを握る手の中指には、ハリガネで出来た、指全体を覆う鎧のような、関節付きの武骨な指輪がついていた。
凛子は戸惑っていた。
いくら田舎とは言え、髪を染めている人が全くいないワケではない。だが、真っ白な髪の人はそうそういない。というか、凛子は初めて見た。
絶対不良だ。
私服だし。
そうじゃないにしても、フツーの人じゃない。
怖い人なんじゃ……。
何で話しかけてきてるのか解らないし……。
混乱している凛子の心を見透かしたように、白髪女子は困ったような顔で笑った。
そしてふっと隣の建物を見て、悲しそうな目をした。
凛子には、泣きそうな顔に見えた。
「あの」
「ねえ」
二人の声が重なった。
凛子はびくっとしてうつむいてしまった。
白髪女子は、一瞬驚いたような顔をした後、ふっと笑った。
「寒いっしょ。震えてる」
七月に入ったとは言え、梅雨時の雨は寒がりの凛子には辛い。
本当なら、制服の上にセーターかカーディガンを着たいくらいなのだが、変に目立ってしまうのではないかと不安になって、結局着ないで出てきてしまった。
「えっと……」
大丈夫ですと言おうとした凛子には見向きもせず、白髪少女は来ていたパーカーを脱ぐと、凛子の肩にかけた。
「はいっ!」
「えっ? あの……」
「大丈夫! 脱いでも長袖だから、アタシ! あ、一応汚くないよ! ちゃんと洗ってるからね」
「あ、いいえあの、そうじゃなくて……」
白髪女子は凛子の不安や葛藤などお構いなしに、凛子の肩から手を放すと、ぴょんと跳ねるように方向転換して外を見た。
「おっし、止んだね!」
「へ?」
いつの間にか雨は上がり、雲間から青空が覗いていた。
「あ、あのっ!」
凛子が何と言ったらいいか解らず戸惑っている隙に、白髪女子はボディバッグを肩にひっかけ、透明なビニール傘を持って出て行こうとしていた。
「待ってくださ……」
「サナ! アタシの名前!」
「え?」
サナと名乗った白髪女子は、肩越しに凛子を見てにっこり笑った。
「夏休みに入ったら、またこの辺に来るから。それ、そん時会えたら返して! じゃーね!」
「え? あの、ちょっと――」
白髪女子――サナは、まるで羽根でも生えているかのように身軽に、水たまりだらけの道を気にする様子もなく、駆けて行く。
凛子が呆然としている間に、白い頭は見えなくなってしまった。
「どうしよう……」
凛子は思わず呟いた。
肩にかけられたパーカーにそっと触れる。
「サナ……って言ってたかな」
サナのぬくもりが残るパーカーは、ほんの少し、お香のような、甘い香りがした。
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