死事人

祖バッタ(羊)

怨まれ役

 8月13日、ちょうど昼に差し掛かるくらいの時刻、空は快晴、暖かな日の光を浴びて中西遥斗は窓辺にひじを置いて、眠たそうに外の景色を見た。

 中西は2週間ほど前からストーカー被害にあっていた。しかし、警察というものは実害が無ければ動くことは無い、かと言ってこのまま外に出るのも気が引けるので有給を取って いる。が、どうも目覚めが悪い。

 と言うのも、若手にして会社で上へ上り詰め、人生初の大役を仰せ司った所へこれだ。

 機密事項も預かっているため、変に事を荒立てないよう会社より命ぜられている。

 家はさほど裕福でなく、結婚もしていない。

 仕事も趣味も失った今となっては、外へ買い物をしに行く他はないのだが…。

 一週間ほど前、外へ買出しに出かけた時ばったりストーカー女に出会った。

 それ以降、どうも……頻度が多くなった気がする。自らの家を敢えて「檻」と例えるなら、あのストーカー女はさしずめ「監視者」というわけか。

 最近は、黒いフードをかぶりながら家の前をうろついたり、角から窓を凝視したりしている。現に今もこちらに向けられた視線は私を離すことなく、まるで瞬きを惜しむかのように目を見開いているのがわかる。

 しかしなぜフードを被るのだろうか、ストーカーの目的の多くは「自己の認識欲求」や「自己顕示欲」から生まれるものだと中西は考えている。ならば顔を隠すような服装は目的と食い違ってはいないだろうか?

 中西は監視の目から脱するべく、二階にある自分の部屋を後にして冷蔵庫へ向かい、ビールの缶を開けて出所祝いをした。

 つまみに、寝起きに作っておいたジャガイモと2種のチーズ&マヨネーズが盛り付けられた皿をレンジの中に入れ、3分ほど温めた。

 じゃがいもの切れ目に白も黄色の2種類のチーズが溶け込み、それを修飾するようにマヨネーズが上からかけられている。

 じゃがいに箸を入れて割ると、中から大量の湯気と乳製品の匂いが台所を包んだ。

 中西は匂いを満喫し、置いたビールへともう1度手をつけようと振り向きざまに手を伸ばした。

 すると手は空を切り、ビールの缶を倒してしまった。

 軽い舌打ちとため息、配偶者のいない身軽さが吉と出るか凶と出るか、部屋中に響いた缶の落ちる音を耳にこだまさせながら雑巾を探した。

 すると、視界にノイズのようなものが入り、たちまち船の上にいるかの様な不安定さ、酔いが中西を包んだ。

 中西は床へ偃し、安寧を求めて目を閉じた。



「通りゃんせ、通りゃんせ…此処は何処の細道じゃ。天神様の細道じゃ…ちいっ…と通してくだしゃあせ〜…」

 私は家の気配を感じとり、無断で家の中に入り込んだ。

 今西遥斗、こいつが今回の厄介者だ。

 こいつは一週間前、ストーカーにばったり出くわして殺されている。

 彼はそのことに気付かず、長い間「まだ生きている」という、当たり前かつ強力な思い込みによって他の死神を退けてきた。最も、「生きている」と錯覚しているこの男は何も気付いていないが。

 そこで私は、この男に催眠をかけた。

 死神であるこの私が例の「ストーカー女」に見えるよう施し、ここの所観察していた。

 この世に魂だけが放浪することは許されてはいない。よってこの様に死んでから1週間も経つとバランスが崩壊して崩れ去ってしまうのだ。

 最も、閻魔様の管理がなければ私は、こんな面倒な仕事も受けず彼岸島で惚けていられるのだが。

 さて、私はこの男の目を覚まさせ、ネタばらしをしなきゃいけない。

 私の仕事は、これから始まる。



 中西はゆっくりと目を覚まし、眼前の光景に唖然とした。

 ストーカー女が目の前にいる。

 戸締りもしたはず、とするとこいつは窓でも割って入ったのだろうか、自己顕示欲に満たされた人間が何をしでかすかは知らないが、私の命も長くは無さそうだ。

 不意に女は応えた

「そうさ、長くはない。あんたの魂ももう時期終わりを迎える。」

 しまった、心の声が漏れていたか?

 しかし、それにしても返答がおかしい

「魂…と言ったのか?」

「そうだ、お前は一週間前この女に殺されている。そこでお前の『命』は終わった。今ここにあるのは、『魂』だ。」

「バカバカしい、ストーカーをする程度には頭がおかしいと思っていたが、まさかこれ程とは」

 中西は呆れ果てて見せた

「あの後ストーキングの頻度が増えたのは、ある別の目的を持ったものが二人いたからだ。」

「二人…?」

 すると、目の前の女は姿を変え、見た目20歳くらいの男性へと変化した。

「私はストーカーを装い、お前がこうして崩れる瞬間を監視していたんだ。もう1人はご存知ストーカー。お前の死体はあのストーカーの家へと運ばれたが、物足りないのか私物を奪う機会を伺っていたぞ。」

 そんな危ない奴がいる中窓を割ったのか?

 中西は無理やり立ち上がろうとした、が、無理だった。

 体に力が入らず、まるで今度は超重力の檻にでも入れられた気分だった。

「窓は割ってない、この様に、私はもののすり抜けをすることなど容易い。

 今お前は私を見て「変化」という言葉を浮かべたが、間違いだ。私はお前を洗脳していたに過ぎない。お前自身が正気に戻っただけだ。」

 死神は台所の壁に手を突っ込みながら話した。

 いよいよを持ってこの話を信じるしかなくなった。しかし

「俺にはやり残したことがあるんだ、ただ仕事の内容を部下へ伝えるだけでいい。何とかならないか?」

 死神は少し顔を強ばらせ、間を開けて答えた。

「1度だけ、彼岸へ来てもらう。閻魔様が裁き、お前の不条理、それと功績を伝えれば一つだけ願いを叶えさせられるんだ。これは本来来世の決定へ使われる事だが…」

 中西は目を輝かせた

「いや、いい。私は今の自分だけが大事なんだ。」

 死神は頷くと、俺の体をまた洗脳させたのか、強制的に歩かせた。



「……御用の無い者遠しゃせぬ…このこの7つのお祝いに…御札を納めに参ります〜…」

「…行きはよいよい帰りは怖い、怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ、でしたっけ」

 男は後ろから声をかけてきた。

「こわい、は疲れたという意味だと聞きましたが…はぁ、歳を重ねるにつれ、魂になっても疲れが出るようになってしまい…」

「それは貴方が魂としてあちらに滞在しすぎたのですよ、お若いのにそれ程まで仕事に熱心になれるとは…」

 男は目を伏せた

「……私ね、昔恋人が目の前で死んだのですよ。」

 ……来る

 心無しか、彼岸へ向かうこの川の空が、川の色が、黒く見える。

 ただ、黒に染まらず、紅く咲き続ける彼岸花がただただ美しい。

「私はそこで自由を諦めたのです。彼女のいない世界に、意味は無いと」

 彼岸が一つ、また一つと増える

「鉄骨が落ちてきただけの事故死。誰に責任も押し付けられず、私の憤りは魂と共にさ迷っていたのかもしれません。」

 川は……黒を喰い尽くし、紅に染まる。

「しかし家族に押し付けられるか?

 それは出来ません。こんな家族は私を支え続けてくれた。」

 次に、次に、言葉が漏れる。言葉を受け取る。

「建設会社の人々か?

 いいえ、彼らは十分過ぎるほど警備を厳重にしていた。あれは気候、運がなかったのです。しかし、それじゃ私の魂の、憤りが治まらない。」


 言葉が、わかる。


「ねぇ、貴方を怨まずにはいられない。」


 彼岸花は全て消え去り、全て元に戻る。

「冗談です、貴方も貴方の仕事を全うしているだけだ。」

「………こういう仕事ですから、私を恨んでくれても構いません。」

「やめてください、閻魔様にお願いをし、仕事を終えたらこの魂の記憶は消えるのでしょう?」

「……………えぇ、きっと」



「━━━━判決、彼の死は他により不条理に奪われ、また、生前は大きな罪を犯すこともなく真っ当な人生を歩んでいた。」

 閻魔様は中西を見つめた。

「良き人生でした、天国で休養をとり、来世を歩むと良いでしょう。」

 中西は次の言葉を待った

「━━そこの、良くやった。お前に任せればどんな仕事もそつなく、こなしてくれるものだな。」

「ありがたきお言葉」

 中西は次の言葉を期待する。

 閻魔が口を開く。

「それでは、」

 中西の『魂』は期待で揺れる。

 私はその期待を目で見て感じていた。

「それでは、この者の魂を天へ召せ。また皮を渡らせて、悪いな。」

『え?』と、聞こえたようだった。

 私は鎌を用意する。

「死神さん、あなたさっき」

 異様な雰囲気を感じてか、空間そのものが黒く染まる。

 閻魔はただ光景を見つめた。

「私の願い、叶えるんじゃなかったのですか?閻魔様が取り計らってくれるって」

「それは……」

 私は答えを渋る、閻魔はそれを見て、無慈悲に声を放つ。

「それは嘘です。死んだ魂を元の世へ戻すことは許されていません。」

 …鎌を振り上げた。

「この鎌の切り付けをもって、君の魂はリセットされ始める。こんな怨みを抱えていれば、もしかしたら天国への門も開かないかもだからね。」

 中西は静かに私を見つめ、静かに言い放った。

「さっきの話、やっぱり、あなたを怨んで逝けそうだ。」

 彼岸花が、

 悲願がひとつ。


 裂いた。


「そこの、洗脳を使えるのならなぜ初めから連れてこなかった?」

 閻魔様は私を引き止めた。

「成仏を狙っていました。彼の怒りや怨みは、本人が思ってる以上に強大なものです。」

 無意識であるはずの中西の手は、確かに私の首根っこを捉えている。

 閻魔様はそれを見て、私を激昂した。

「そうじゃない!お前が怨まれる必要は無かったと言っている!…その怨み、暫くは消えないものと思え。」



 私は船を漕いだ。

「通りゃんせ、通りゃんせ…此処は何処の細道じゃ。天神様の細道じゃ…ちいっ…と通してくだしゃあせ〜…」

「御用のないもの通しゃせぬ…このこの七つの御祝いに、御札を納めに参ります。」

「行きはよいよい帰りは怖い、怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ…」


「中西さん、『怖い』の意味の一説。

『監視者に見られているのが怖い』って説もあるらしいですよ。」


 彼岸花がまた一輪咲いた。

 まぁ、こういう仕事だから。

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死事人 祖バッタ(羊) @tamitune370

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