400:緑色の水

暗闇の中で感じるのは、腐った水草のような臭いと、カビの臭い。

ヌルッとした湿った空気の流れと、それから、微かな水の音。


前を行くカービィの杖の明かりのおかけで、周りの様子はなんとか見て取れるのだが……、なんともまぁ、酷い場所だ。

足元にある階段と側面にある壁は、どうやら木製のようで、長年放置されていたからか、かなり湿気でやられている。

白カビやら青カビやらが其処彼処に繁殖していて、板と板の隙間には緑色の苔がビッシリと生えていた。


うぅ……、なんちゅう不衛生な場所なんだ。

この壁の白カビといい、この強烈な臭いといい、絶対に入っちゃいけない場所だぞこれ?

うわっ!? ムカデがいるっ!!? 小さいけどぉっ!!??


ビクビク、ソワソワしながら、これ以上先に進みたくない! という本心を押し殺し、俺は階段を降りる。

怖いもの知らずのカービィが、躊躇なくどんどんと降りて行くからだ。

好奇心というものが、これほどまでに恐ろしいものだったとは……

今の今まで知らなかったぜっ!


仕方なく俺は、ギシギシと音を立てる、今にも崩れそうなその階段を、カービィの後に続いて慎重に降りて行った。


「ん? え……、げっ!? 水だっ!??」


先を行くカービィが足を止め、嫌そうな声を出した。

見ると、階段のその先にあるのは、水没した、開け放たれたままの小さな扉だ。

そこには濁った緑色の水がユラユラと揺れていて、暗がりの中で、杖の明かりをキラキラと反射していた。


「うわぁ~、さすがにこれじゃ入れないね」


水は、どれくらいの深さがあるのか全くわからない。

扉が3分の1まで浸水しているところを見ると……、おそらくだけど、俺とカービィの身長だと、首辺りくらいまでの水位があるんじゃなかろうか?

泳げなくもないが……、いや、これはやめた方がいい。

この毒々しい緑色といい、鼻をつく悪臭といい……、入ったら最後、いろんな意味で死んじゃいそうな気がする。


「こりゃ~、湖の水が滲み出てんだな~。……泳ぐのはちょっと無理だな」


そうだよ、無理だよ、やめておきなさい。

さすがのカービィも、前回のコトコ島の聖なる泉の時とは違って、いきなり水に飛び込む! なんて無茶な事はしなさそうだ。


「この水をどうにかしねぇと……。炎魔法で蒸発させるか、氷魔法で凍らせて、外に運び出すか」


なかなかに大胆な提案をするね、カービィ君よ。

しかしながら、どっちの方法もかなり面倒臭そうだし、非合理的だ。

こんな狭い空間での炎魔法は危険だし、これだけの水を氷にして外に運び出すのは、かなりの重労働である。

何か方法はないかと考えた俺は、ふと、ムカつくあの魚顔を思い出した。


「あ~……、ねぇ、水の精霊呼ぼうか?」


「おっ!? ウンディーネかっ!??」


「うん。もしかしたら、何とかしてくれるかも……」


パッと顔をほころばせるカービィ。

だけど俺は、提案しておきながら、あいつを呼ぶのは少々面倒だなと、呼び出す前からウンザリしてしまう。


しかし、この地下室いっぱいに溜まった水を、俺とカービィの二人でどうにかする事は不可能に等しい。

使えるものは使わなきゃ、損だよね?


「お~い、ゼコゼコ~? 出てきて~」


かなりヤル気のない声で、彼の名前を呼ぶ俺。

すると、どこからともなく、プワ~ンプワ~ンと光る水の玉が現れた。

それはまるでシャボン玉のように揺れて、緑色の水の上に落ちると同時に、パシャンと割れた。

そこから現れたのは、不細工な魚野郎。

彼は、開口一番、こう言った。


『ぬぬっ!? 不潔な水っ!?? 危険っ!!! 危険っ!!!!』


緑色の水に浸かりながら、今にも死にそうな顔でバタバタと泳ぐゼコゼコ。

姿もさながら、ここが狭い空間故にこだまする彼の声は、酷く醜い声だ。


「あぁ……、なんだ、こいつか」


以前、助けてもらったにも関わらず、随分な物言いをするカービィ。

どうやら、すっかりこいつの事を忘れていたらしく、綺麗なお姉さんが登場するとでも思っていたらしい。

表情は完全なる無で、ゼコゼコを見つめるその目は死んでいる。


俺だって、この目の前の魚が、かの有名な水の精霊ウンディーネだなんて……

何度呼び出しても信じられない……、いや、信じたくないです、はい。


だけど、仮にもこいつは水の精霊なんだ。

緑色で悪臭を放っている水だって、きっと何とかしてくれるだろう。


「ゼコゼコ、ここにある水をどうにかして欲しいんだ」


抑揚のない声で依頼する俺。


『なぬっ!? 朕に命令するとは不届きなや……、はっ!?? ご主人様であらせられましたかっ!!??』


いつもの調子で突っかかってきたゼコゼコだが、俺の姿を目にして、早い段階で自分の立場をわきまえてくれた。

うん、成長したね、ゼコゼコ君よ。


「この先にある部屋に用があるんだよ。溜まってる水をどっかやってくれない?」


『なっ!? がっ!?? しかし……、ぐぅう~……。分かりましたでございますぅうぅぅ!!!!』


ゼコゼコは、もともと不細工な顔を更に醜く歪ませて、ほぼほぼ半泣きで、俺の要求を受け入れた。

そして、顔の面積のほとんどを占めている大きなお口をパカリと開けて……


ズゴゴゴゴゴゴ~~~~!!!!!


目にも留まらぬ速さで、緑色の水を飲み込み始めた。


「うっわ……、よく出来るなぁ……」


「見てるだけでも吐きそうだぜ……」


涙目になりながら、見るからに腐っているであろう悪臭を放つ緑色の水を必死で飲み込むゼコゼコに対し、俺とカービィは唖然としてそう言った。


まさか、いくらなんでも、これを飲み込むだなんて……、思ってもみなかった。

ゼコゼコ、ごめんよ、こんな事を頼んでしまって……

そして、ありがとうっ!


俺は初めて、ゼコゼコに対して哀れみを感じ、心からの感謝の気持ちを抱いた。

そして程なくして、地下を浸水していた緑色の水は綺麗さっぱり無くなって、そこには怪しげな地下室が現れた。


『ぜぇ……、ぜぇ……、ゲフッ、おえぇ~……』


今にも吐き戻しそうな顔付きで、全身をピクピクと痙攣させながら、床に転がるゼコゼコ。

まるで、間違って陸に上がって干からびてしまい、力尽きる寸前の魚のようだ。


「お、お疲れ様、ゼコゼコ。ご……、ごめんね?」


さすがに無茶をさせてしまったと思った俺は、ゼコゼコに優しく声をかける。

するとゼコゼコは、キッ! と俺を睨み付けて……


『この恨みっ! いつか果たすっ!!』


醜い声でそう叫んだかと思うと、パッとその場から姿を消した。


「なははっ! 使役してる身で召喚師にあんな態度とるなんざ、精霊の風上にもおけねぇなっ!!」


ケラケラと笑うカービィ。


まぁ確かに、いつもの俺なら、なんだあいつ!? あいつの父ちゃんに言いつけてやろうかっ!?? とか思うところなんだけど……

未だこの部屋に充満している悪臭を考えれば、今回はかなり頑張ってくれたんだから大目に見てやろう、と思うのであった。


気を取り直して、改めて辺りを見渡す。

カービィの杖の明かりだけでは、部屋の全貌は分からない。

しかしながら、上階に比べると、少々狭い空間である事は確かなようだ。


「ここ、何なんだろうね? ……ん??」


キョロキョロと視線を泳がせる俺の目に、それは唐突に映った。

暗闇の中でゆらゆらと、不自然に蠢く、影。


な、に……?

あれは……??


目を凝らし、ゆっくりと視線を上へと向ける俺。

決して、見たくて見たわけじゃない。

勝手に視界に入り込んできたんだ。


「ふ……、ひっ!? ひぃいぃぃ~!??」


俺は思わず後退り、腰を抜かして、情けない叫び声を上げた。


「どうしたモッモ!?」


「あれっ! あれぇっ!! あれ見てぇえぇぇっ!!!」


ブルブルと震える指先を、前方の天井へと向ける俺。

カービィがそっと、杖の先でそこを照らすと……


「なっ!? 何だありゃあっ!??」


そこにあるのは、いくつもの白骨死体。

天井から垂れ下がる鉄の鎖に繋がれ、空中で静かに揺れている、何者かの亡骸だった。

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