179:ただのチュー

その場でガクッと膝をつくギンロ。

突然の出来事で力が抜けたのか? と思ったのだが、何やらかなり苦しそうだ。

大きく息をして、目を見開き、地面を凝視している。


「ね、ねぇ……、ギンロ、なんだか様子が変じゃない?」


隣のグレコが不安気な声を出す。


「ギンロ様、人魚って、どういう生き物か知っていますか?」


小首を傾げて、笑顔のままギンロを見下ろすフェイア。


「どういう、生き物か、だと……?」


ようやく顔を上げたギンロは、やはり具合が悪そうだ。

眉間に皺を寄せ、困惑した表情でフェイアを見上げている。


「一昔前は、こんな風に言われてました。海で人魚に出会ったならば、迂闊に近付いてはいけない、魂を吸われるぞ、って……」


たっ!? たますぅいぃっ!??

何それ怖いっ!!??


「な、何が、言いたいのだ……? 我に、何をした??」


「うふふ♪ ギンロ様苦しそう……。けど安心して下さい、すぐに楽になりますから」


ひぃっ!? まさかギンロ!?? 魂を吸いとられたのっ!???


「ちょっと! どういう意味よそれっ!?」


ぎゃっ!? グレコぉっ!??


あまりの光景に、居ても立っても居られなくなったグレコが、怒鳴りながらズカズカと歩き、ギンロとフェイアに近付いていく。


「ぐ、グレコ? モッモ……??」


驚いた顔のギンロの目が、グレコと俺を捉えた。


やっべ!? 俺の存在までバレたじゃないかっ!??


もはや隠れていても仕方ないので、ソソソ~とグレコの後に続く俺。

グレコは、ギンロを守るようにフェイアの前で仁王立ちする。


「あら、グレコさん? ……だったかしら?? 昨晩は助けて頂いてありがとうございました♪」


悪びれる様子もなく、笑顔で感謝を述べるフェイア。


「昨日のことなんてどうでもいいわ! ギンロに何をしたのっ!?」


「うふふ♪ 見てたのでしょう? 私とギンロ様は、夫婦の契りを結んだのです♪」


「何よそれっ!? どうしてギンロは苦しそうなのよっ!?? すぐ楽になるって……、まさか命を奪うって事じゃないでしょうねぇっ!???」


そんな……、まさか……、まさかだよねっ!?

ギンロぉおぉぉっ!??


「グレコ……、我は大丈夫だ。先程よりかは幾分マシになっている」


フーッと大きく息を吐き、立ち上がるギンロ。


「たっ、立って大丈夫っ!?」


アワアワする俺。


「うむ、案ずるなモッモ。しかし……、フェイア殿、我にいったい何をしたのだ? 先程の虚脱感……、並大抵のものとは思えぬ……」


真っ直ぐに、フェイアを見つめるギンロ。

するとフェイアは、いつもの可愛らしい笑顔に戻って、こう言った。


「私……、ギンロ様との子を授かりました♪」


は? ……はぁあぁぁっ!?


照れ臭そうに笑うフェイアを他所に、俺もグレコもギンロも、驚愕の表情で固まった。






「私たち人魚の国では、成人すると、子孫繁栄の為に子を成す事が法律で定められています。それは男も女も平等に、みんな子を持たなければならないのです。けれど、先程も言ったように、男の人魚は数が少なく、私たち女の人魚は外界でパートナーを探さなくてはなりません。私も成人して、陸に上がり、ここジャネスコでパートナーを探していました」


ほ、ほほう……、で?


「けれど、正直言って……、この町にはあまり心トキメク殿方がいらっしゃらなかったものですから、どうしようかと悩んでました。そんな時に、ブーゼ伯爵に攫われて……。もう駄目かと思ったあの瞬間、ギンロ様、あなたが私を助けてくれました。我を忘れてしまう程に、必死になって、私を……」


ポッ、と頬を赤らめるフェイア。


ふむ、これは……、フェイアがギンロに惚れているというのは事実だと見たぞ。


「子を成すって……。え、ちょっと待って……。じゃあ、さっきの口付けが?」


え……、嘘、まさかぁ~?

それはいくらなんでも無いんじゃないかなグレコ。

ただのチューでそんな、子どもなんぞが出来るわけがないじゃないの。

子どもを作るっていうのはね、こう……、ホニャホニャして、ハニャハニャしないと駄目なのよ??


「はい。人魚の口付けは、相手の生命力を吸い取る事が出来ます。そして、吸い取った生命力と、自分の生命力を体内で融合させて、子を成すのです♪」


うおぉっ!? マジかぁっ!??

じゃあさっきのキッスは……、子どもを作るためのキッスだったわけね!???

なんっ! なんて破廉恥なキッスなんだぁっ!!!!!


「我の、生命力を吸い取ったと? だからあの様に力が抜けたのか……」


ようやく、いつもの様子に戻ったギンロが、自分の手をニギニギしながらそう言った。


「いきなりそんな事してごめんなさい。でも、こうでもしないと私、時間がなくて……」


反省しているらしいフェイアは、可愛らしくションボリして俯いた。


何やら訳ありらしいが……


フェイアの話が長くなったので要約しよう。

つまり、こういう事だ。


成人したフェイアは、パートナーを探す為に陸へ上がった。

人魚が陸にいられるのは一年間だけで、もう半年が過ぎていたから焦っていたらしい。

フェイアは、パートナーになるなら、出来れば自分を好いてくれる相手、かつ自分も気に入った相手が良かった。

けれど、一向に見つからず……

もし、一年の間にパートナーが見つからなければ、単身で国に帰り、子を成せなかった女としての烙印を押されて、一生を惨めに暮らさなければならないそうだ。

でも、子を成せずに帰ってくる人魚はほとんどいないという。

例え、陸でパートナーが見つからなくても、国へ帰るまでの道すがら、海で船乗りを誘惑し、半ば強制的に海へと引きずり込んで契りを結ぶとかなんとか……


お、恐ろしすぎるぅ~……


「人魚の口付けは、生命力を吸い取ります。それも、新たな命を生み出す為に、必要なだけ吸い取ります。なので、相手が貧弱な種族であれば、命を奪う事にもなるのです。だから一昔前は、人魚は海に暮らす恐ろしい魔物として恐れられていました。近頃は女王様の意向もあって、強く逞しい種族の方をパートナーに選ぶ者が増えたので、死者が出る事も少なくなっていると思いますけど」


なるほど、そういう事ね。

じゃあ……、もしフェイアが、気まぐれで俺をパートナーに選んだりしてたら……

うぅぅ~、考えるだけでちびりそう。


「けれど、最近になって、人魚の血肉には不老不死となる力が宿っている、などという出鱈目が世界中に広まって……。沢山の仲間が犠牲になりました。だから私は、わざわざ姿形を変えて、陸に上がったんです」


そこまで話すとフェイアは、両腕を胸の前でクロスさせ、目を閉じて、光と共に元の人魚の姿へと戻った。

尖っていた耳は丸まって、ヒレのようなものが生えた。

真っ白だった肌は少し緑がかり、首元にはエラが現れ、手の平には水掻きができた。

ウェーブが美しいピンク色の髪の毛はそのままに、更に長く伸びている。

そして下半身は、髪の毛と同じ色の鱗が生えた、魚類のものへと変化した。


一見すると、かなり奇妙な生き物だけど、そこはかとない美しさを持っている。

昨晩は暗い海の中だったので、あまり注視出来なかったのだが……

なるほど、これが人魚というものなのか。


「……この姿を見ても、ギンロ様、あなたは私を愛してくれますか?」


少しばかり涙を浮かべた瞳が、ユラユラと揺れる。


くぅうぅぅ~! 姿形が変わっても、顔はめっちゃ可愛いままだぁっ!!


「我は……。どんなフェイア殿でも、想っている」


かなり照れながらも、ギンロはキッパリとそう言った。


よっ! ギンロっ!! 男が上がるぜっ!!!


「ありがとうございます。私、きっと、丈夫な子を産みます! あなたの為に。そして、二人で会いに行きます!! あなたがこの世界のどこにいても!!!」


なっ!? なんて感動的な言葉だっ!!?


するとフェイアは、そのままチャポンと海へ入った。


まさかっ!? もうお別れなのっ!??


「ギンロ様、これを」


そう言って、水の中から何かを差し出すフェイア。

ギンロが受け取ったそれは、薄ピンク色の大きな二枚貝の片割れだ。

太陽の光を反射して、キラキラと七色に輝いている。


「それを、持っていてください。いつかどこかで、必ずまた出会えるように……」


「承知した。肌身離さず、持っているぞ」


力強く頷くギンロの言葉に、フェイアは笑顔を称えて、海の中へと姿を消した。

ザザーン、ザザーンと、波の音だけが残っていた。

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