41:禊の儀

 次の日からの三日間は、俺のピグモル生の中で最も幸せな時間だったに違いない。

 首根っこに噛みつかれ、死ぬ寸前まで血を吸い取られた俺は、グレコのおかげでなんとか命拾いし、その後はエルフの綺麗なお姉さま方に手厚く看病され、今までにないくらいに極楽な日々を過ごしていた。


 朝はお姉さま方の優しい吐息で起こしてもらい、美味しいご飯を(自分で食べられるのに)食べさせてもらって、お着替えを(自分で着替えられるのに)手伝ってもらう。

 日中は膝枕で(すべすべの太腿に頬擦りしながら)本を読んでもらったり、簡単なボードゲームをして(お姉さま方は必ず負けてくれる)楽しく過ごす。

 日が暮れてきたら夕食を(これまた自分でできるのに)食べさせてもらい、眠りにつくまで(できるだけ長~く)子守唄を歌ってもらう。

 歯を磨くのも、体を洗って乾かすのも、その後のブラッシングに至るまで、(全部自分でできるのに!)全てお姉さま方が甲斐甲斐しくやってくださるのだ。


 それだけではない!

 俺が今いるこの場所は、ファンタジー好きなら一度は行ってみたいと願うエルフの隠れ里!!

 ここが素晴らしいのなんのってもうっ!!!


 様々な草木が生い茂り、咲き乱れる美しい花のかぐわしい香りが、どこからともなく風に乗ってやってくる。

 穏やかな小川の流れを耳にしつつ、どこかで誰かがハープを奏でると、自然と誰かがそれに合わせて歌を歌い始める。

 建ち並ぶ石造りの家々は、もうそこにあるだけで趣があり、干してある洗濯物でさえ景観の一つだ。

 時折、道を歩いて行くエルフ達は、みんな美しい顔立ちに完璧なスタイルで、服装も想像に違わずアンティークでお洒落極まりない。

 どこを切り取っても、本当に、素晴らしい……


 寝泊りさせてもらっている部屋のバルコニーからは、そんな里の風景が一望できるのだが、これがもう、一日中見てても飽きないくらいに、俺のハートにドストライク! もう最高っ!!

 さすがはエルフの隠れ里だ、期待を裏切らないこの素晴らしさ……、心が震えるぜぇっ!!!

 ここでの暮らしは俺にとって、まるで天国、まるで楽園!!!!

 こんな幸せが待っているのなら、血なんていくらでも吸われて結構ですっ!!!!!








「モッモの首を噛んで殺しかけたのは、この村の巫女様なの」


 と、グレコの言葉。

 なるほど、それでこの破格の待遇なのだなと、三日目にして俺は知った。


「巫女様は、先月から【みそぎの儀】のために断血をしていて、昨日がちょうど断血が終わる日だったの。禊の儀は、東の海岸で歌を歌い、歌と匂いにつられてやって来るジーラクという大きな魚を食すことで終わる。けれど昨日は、ジーラクが姿を現す前に、モッモが歌と匂いにつられてやって来てしまった、ってわけ」


 あ~なるほどねぇ~。

 なんかね、海に辿り着いてからは、不思議な感じだったんだよねぇ~。

 妙にこう、ハイテンションになったり、他の事とかすっかり忘れていたり……

 確かに、今思えば、凄く良い匂いがしてたしねぇ~。

 俺ってば、知らず知らずのうちに、惹きつけられてしまっていたのねぇ~。


「その、禊の儀ってのは何なの?」


 尋ねる俺。


「一年に一度、巫女様が一か月間、血を断つことを禊の儀と呼ぶの。私たちブラッドエルフは生き物の血を飲む。それも生き血……、もしくは死んですぐの新鮮なものしか飲めない。だから私たちは、血を得るために生き物を殺さなければならない。たとえその肉を食べないとしても、血だけを欲して命を奪わなくてはならない……。禊の儀というのは、そんな私たちの罪を洗い流すための儀式。私たちの為に、尊い命を落としてしまった生き物たちへの、懺悔ざんげの儀式なのよ」


 ほ、ほほう……

 そう聞くと、知らなかったとはいえ、なんだか立ち入ってはいけない場所に、俺は立ち入ってしまったんだな。

 ちょっぴり反省。


「まぁ、最近では清血ポーションが作られるようになって、血だけのために生き物を殺すこともなくなったから、巫女様の負担を減らすためにも禊の儀はやめようって話があったりもするんだけど……。巫女様自身がやめないって言うもんだから、誰も止められなくてね。私たちブラッドエルフは、一定期間血を飲まなくても別に死んだりはしないんだけど、飲まずに一か月間も過ごすとなると、相当な精神力が必要になるの。ほら、渇くって、前にも説明したでしょう? 渇きは血でしか潤せない……。あまりに渇くと、我を失ってしまう者もいる。あの時の巫女様も、相当限界だったのよ。じゃないと、モッモのような小動物に、わざわざ噛みついたりしないもの」


 そうだよな、普段なら俺みたいな小動物、相手にしないよな。

 俺みたいな、小動物、なんかね……、フンッだ!


 グレコの心無い言葉に、ちょっぴり憤慨しつつ、俺はその髪の毛をじっと見つめていた。

 三日前、捕獲されて投獄される前には、真っ黒だったはずのグレコの髪が、今は少し色が抜けたような焦げ茶色になっているのだ。

 いったい何故……?


「ちょっと気になってたんだけど……、グレコの髪の毛、どうしたの? そんなに茶色だったっけ?? 周りを見ても、真っ黒な髪の人ばかりだし、お姉さま方も真っ黒だし……。グレコも、ちょっと前までは黒かったよね???」


 自分で質問してみて、ふと思い出す事実。

 そういやグレコって、出会った時は金髪だったよな?

 ……あれ??


「今思い出したんだけど……、グレコって、出会った時は金髪だったよね? それが、タイニーボアーの血を飲んで黒くなったよね?? 巫女様は白髪だったけど……、あれも血を飲んだら黒くなる、みたいな??」


 まさかね、と思いつつ、勝手に推理してみる俺。

 すると……


「そうよ。ブラッドエルフは、渇き始めると髪の色が薄くなってくるの。黒から茶色、茶色から金髪へ。最終的には白髪になるけれど、それは限界の証拠。里のエルフ達はほぼ毎日血を飲んでいるだろうけど……。私はここ数日飲んでいないから、少し色が抜けてきているわね」


 うわおっ!? 俺の推理が正解っ!!?

 ふむふむ、なるほどねぇ~。

 なんとなく、ブラッドエルフの生態が分かったぞ~。

 

 しっかし、とんだ目に遭ったな。

 エルフに血を吸われるなんざ、どこのファンタジー小説読んでも、なかなかない体験じゃないか?

 まぁそのおかげで、三日前は投獄されてたはずのこの俺が、こんな極楽生活を送れているわけだけども……


「それで……、巫女様がね、直々に謝罪したいって言っているのよ」


 ほう? 巫女様が? それはそれは律儀な事で。

 ……けどあれだな、血を吸われた相手となると、やっぱりちょっと怖いな。

 

 俺は、グレコそっくりだった巫女様のお顔……、俺に噛み付く寸前に、怖〜い真顔になったそのお顔を思い出して、ブルッと体を震えさせた。

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