23:濁った小川
「はぁ、はぁ、うっ……、おえぇ~!? ゲホッ、ゲホッ!!? はぁ、はぁあぁぁ〜……。い、生きてる? わよね?? し、死ぬかと、思った……」
なんとか体を起こしたグレコだが、昼間食べたタイニーボアーの肉をほとんどリバースしてしまったようだ。
辺りにツーンとした胃液の匂いが漂う。
「だから、言った、でしょ……? リーシェは、駄目、なのよぅ」
なぜか少しオネェ口調になってしまった俺は、地面に大の字で寝転んだまま、空を仰ぐ。
二度目だから、ある程度予想はしていたし、それなりに慣れていたものの、やはり良い気分はしない。
三半規管がやられてしまっているのか、耳の奥がグワングワンしているし、脳までやっちまったのか、視界に見える景色がゆらゆらと揺れているのだ。
言うならば、絶叫マシーンに乗った後の状態だなこれは。
吐きはしないけど……、ダメージがでかくて、すぐには起き上がれません、ぐふっ。
すると、聞き覚えのある、サラサラサラ〜っという涼やかな音が、俺の耳に届いた。
幼い頃から聞き親しんだ、小川のせせらぎである。
なんだか随分と懐かしく感じられ、あ~村に帰って来たんだな~と、実感する。
……うん、まだたったの三日しか経ってないんだけどね。
しかしながら、ここで問題が一つ。
何を隠そう、前述したように、村を発ってからまだ三日しか経っていないのである。
こんなに早く村に帰ったら、怪しまれるだろうか?
北の山々へは、最低でも片道五日はかかるって言われたし、往復となれば十日以上かかるはず。
山を登って聖地まで行ったとすると、もっとかかってもおかしくない。
それを三日で帰るとなると……、うむ、早過ぎである。
またしても適当に嘘をつくか、それとも真実を伝えるか……
う〜んと考える俺。
だけども俺は、難しい事を考えるのは苦手だし、嘘をつくのも苦手なのだ。
うんっ!
面倒だから、本当のこと言った方がいいな、うんうんっ!!
神様の事も、精霊の事も、これから旅に出なければいけない事も……
村のみんなには、包み隠さずに全部話そうっ!!!
呼吸を整えて、ようやく視界が定まったところで俺は体を起こす。
そして、辺りを見渡して……
おやおや? どうやらリーシェは、村を通り越して、更に南の場所に俺たちを置いてったらしいな。
周りにテトーンの樹が生えているものの、どれも見覚えのないものだ。
けれどもまぁ、そう離れてはいないだろう。
この小川に沿って北に向かえば、すぐ村に帰れるはずだ。
……と、小川に視線を移した俺は、かすかな異変に気付いた。
「んん?」
いつもなら、川底が丸見えなほどとても澄んだ川なのだが、今日はなんだかこう、泥水のような色が混じっている。
そして……
「なんか、臭い?」
「あ……、ごめん、ちょっと吐いちゃって……」
「あ、ううん、それじゃない。なんか、獣の匂いがする」
吐いたことを詫びるグレコに対し、首を横に振った俺は、小川を指差す。
グレコの胃液の匂いで気付かなかったが、泥水のように濁った小川からは、土の匂いに混じって、微かだが、嗅いだことのない獣の匂いがしてくるのだ。
兎でも小鳥でもない、タイニーボアーでもなさそうな、異様な獣の匂い。
そして、川辺に、妙なものを見つけた。
「あれは……、え? 畑の、柵??」
間違いない。
あれは、俺が村の畑に立てた柵の一部だ。
畑に柵を立てておかないと、せっかく作物を育てようと種を植えても、元気な子ピグモル達が、耕したフカフカの土の上で遊んでしまうのだ。
それを防ぐ為に、細めの丸太を葉の繊維で作った縄で固定した簡易的な柵を、みんなでいくつも作ったのだ。
あれがあるのとないのとでは、全然違う。
しかし、それが今、村から離れたこの小川の川辺にいくつも流れ着いている。
それも、所々が破損した状態で。
これが意味する事……
小川の泥水、獣の匂い、流れ着いたボロボロの柵。
俺は、背中にヒヤリと冷たい水が流れたような感覚を覚えた。
すくっと立ち上がり、コンパスで方角を確かめる。
金の針も、銀も針も、揃って北を指している。
「グレコ……。ちょっと、先に行くね!」
まだ立ち上がれそうもないグレコにそう言い残し、俺は駆け出した。
「えぇっ!? ちょっ、ちょっと!!? 待ってよモッモ!?!?」
背中でグレコの声が聞こえていたが、俺は振り返らなかった。
タッタッタッタッタッと、森を走る。
木の根を避け、小石を飛び越え、全速力で村へと向かう。
……なんだろう、すごく嫌な予感がする。
隣に流れる小川は、村に近づくにつれて、どんどんとその水を濁していく。
そして、きつくなる獣臭。
流れてくる、畑の柵や道具といった村の物。
まさか、まさかね……
だって、村はテトーンの樹に守られているはずだ。
そんな、まさか魔獣が襲ってくるなんてことは……、ないはず。
大丈夫、大丈夫だっ!
しかし、的中したのは、俺の安易な期待ではなく、嫌な予感の方だった。
「はぁ、はぁ、そんな……? う、嘘だ……??」
俺の目が捉えたもの、それは……
何者かの巨大な足によって、無残にも踏み荒らされ、跡形もなくなった畑と、薙ぎ倒された数本のテトーンの樹。
そして、その光景を目の当たりにして、力なく項垂れた村のみんなの姿だった。
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