3.コンタクト 5

 週末は、すぐにやってきた。


 図書館での勉強会当日、その日もいい天気だった。

 勇吾は、朝早く目が覚めてしまったので、一通り体を動かして、早めの昼食をとってから、図書館へ向かった。

 今日は教科書を忘れるな、と和也にしつこいくらいに念押しされたから、きちんとリュックに教科書を入れて家を出た。


 図書館に着くと、すでにほとんどが来ているようだった。入口近くの日陰で、ダベりながら全員が揃うのを待っていた。


 和也が、勇吾を目ざとく見つけ、手を上げて合図する。勇吾はそれに応えて、近づいて行った。


「俺で最後か?」

「うんにゃ。ノブとホリがまだだ」


 そう言われ、ぐるっと辺りを見渡すが、真琴の姿が見えなかったので、「マコトは?」と問うと、和也が吹き出した。


「もうちょっと視線を下げようか」


 和也に言われるままに、目線を下げると、和也のかげに真琴がいた。彼女は、怒りでか、ぷるぷる震えている。


「気にすることないよ、笹原さん。僕もやられた」


 クロウニーで一番小柄な春樹が慰めるが、その春樹でさえ真琴より10cm以上高い。


「いや、見えていなかったわけじゃない」


 言い訳になるが、本当に見えていなかったわけではなかったのだ。ただ、真琴だと気付かずに、見慣れない奴がいるな、とスルーしていたのだ。


 真琴は、シンプルなTシャツにホワイトジーンズ、サンダル、いつもの通学用リュックと言う出で立ちで、違和感なく、クロウニーのメンバーの中に溶け込んでいた。なんなら、和也の格好の方が華やかでさえある。


「いい。チビなのは自覚してるから」


 つん、と拗ねた様子で言う真琴に、何センチなんだ?と聞いたら、目線を合わせないまま、


「ひゃく……ひゃく、ろくじゅう……」

「嘘だろ?」

「156だよ!」


 そう言う意味の嘘だろ?ではなかったのだが、真琴はサバを読んでいたようだ。


「……小さいな」


 別に悪口のつもりではなかったが、思ったことをそのまま口に出したら、真琴の機嫌をそこねたようだ。


「ユーゴがでかいんだよ!」


 そう言って、ぽこっと腹を叩かれたが、全く痛くなかった。



 バカ話をしているうちに、全員揃ったので、図書館の中に入った。

 館内は、冷房が効いていて快適だった。今までの勉強会が、クーラーの切れた教室で行われていたことを考えると、天国と地獄だった。


 勇吾は、本当に教科書しか持ってこなかったことを非難されたが、周りに文房具を借りて、なんとか勉強できる態勢が整った。


 広い机に陣取り、それぞれが不得意な勉強に取り掛かる。髪の毛の色や着ている物こそ図書館に馴染まなかったが、真面目に勉強しているその姿は、いわゆる「不良集団」のイメージからはかけ離れていた。


 勇吾は、こんなに勉強するのは高校受験以来だな、と思い、それから半年ほどしか経っていないことに愕然とした。

 中学の時に、こうやって友達と図書館で勉強する未来など、考えたこともなかった。それよりも、その日を生きることで必死だった。

 だが、今は、仲間に恵まれ、こうやって一緒に勉強している。それに、そんなに遠くないが、将来さきのことを考えて行動できている。


 俺は変わったのか、変われたのか、と思い、周りを見ると、和也と目があった。

 その表情が、中学の時よりも明るいことに気がついた。素直に、今、楽しいと物語っている表情だった。


 高校に入ってから、和也は変わった。いや、変わったわけではない。何も知らなかった子供の時に戻ったようだった。それは、いいことだと、彼とずっと一緒にいる自分は知っている。


「どした?ユーゴ。わかんねぇとこ、あったか?」

「いや、大丈夫だ」


 そう言って、勉強に戻ろうと思ったが、やっぱり一言だけ言うことにした。


「カズヤ。勉強、頑張る。留年しないで、皆で二年になるぞ」


 それだけで、いろいろ伝わったらしい和也は、


「おー、頑張ってくれ、俺らのリーダー様」


 と、にっかりと笑った。


◇◇◇


 ノートにかじりついていたせいで、背筋が固まってしまったように感じる。

 集中していたら、かなりの時間が経っていたようだ。いつの間にか、真琴が隣に座っていた。和也に、数学を教えてもらっている。


 勇吾は、一冊のノートを、額を突き合わせて覗き込んでいる二人を見て、なんとなく似ているな、と思った。


 外見が似ているわけではない。派手な和也と、地味な真琴。だが、時折見せる表情がよく似ていた。

 それが、どんな表情だったか……と考えながら、勇吾は椅子にもたれかかって伸びをした。すると、真琴の背中が視界に入った。


 真琴は、身を乗り出すようにして、和也の説明を真剣に聞いている。

 その背中が、いつもより華奢きゃしゃに見えた。そういえば、教室では、ブカブカのツナギをずっと着ていて、背中のラインや二の腕を見るのは初めてかもしれない、と言うことに気がつく。


 マコトの腕は、若枝のように生命力がありながらも、女性特有の細く、しなやかな腕だった。そこから目を上げていくと、薄い布に隠された細い肩、それに続く桃のような薄い産毛の生えたうなじが見える。


 ユーゴはそれを見て、衝撃ショックを受けたが、うまく言語化できずに、結局「この細さなら、一捻りでれるな」などと飛躍した思考に飛んでしまった。


 そんなことを考えながら首筋を見ていると、珍しくポニーテールにまとめられた毛先がうなじをかすめてふわふわと揺れた。



 あ、と思った時には、遅かった。


 勇吾は、気がつくと、真琴の揺れる髪の毛に手を突っ込んでいた。しかも、勢い余って、後ろから頭を押さえる形で、である。


「あゔ?」


 真琴から変なうめき声が漏れる。

 和也は、一瞬驚いたが、そのあとニヤニヤするだけで、口も手も出す気はなさそうだった。

 和也からのヘルプはないと悟った勇吾は、この場をどう切り抜けていいかわからず、結局、フワフワだな、と、よくわからない感想を言ってしまった。


 ぎぎぎ、という音を立てながら、真琴がゆっくりと勇吾の方を振り向いた。その目には、怒りもあったが、急に髪の毛を触られた恥ずかしさの方が勝っているように見えた。


「フワフワだよ。癖っ毛だからね。コンプレックスなの。ほっといてくれる?」


 真琴が、恥ずかしさを誤魔化すためだろうか。イライラしています、とわかりやすくアピールするように一息で言った。

 今日の真琴は怒ってばかりだな、と、他人事のように勇吾は思った。


「てゆーか、できたの?飽きたの?」

「……飽きて……ない、けど」

「けど?」

「できてもいない」

「できてないんかよ」


 真琴はお手本のように突っ込むと、勇吾のノートの方に身を乗り出す。勇吾も、椅子に預けていた体勢を前に戻すと、ふわりと真琴の匂いがした。


 それについて考える隙を与えずに、真琴が訊ねた。


「どこで詰まってんの?」

「ここだ」


 別に詰まってもいなかったが、言い出せずにノートを指差す。


「あ〜、ここか。これなら私でもわかる。これはね……」


 そう言って、真琴は解説を始める。


「わかった?」


 勇吾がこくんと頷くと、じゃ、この問題やってみ、と別の問題を指された。言われるままに解き始めた勇吾を満足そうに見て、真琴は自分の勉強に戻る。


 先ほどと同じように、和也の方を向いて、真剣な顔で問題に取り組んでいる。その頭からは、もう、勇吾が髪の毛を触ったことなど消えてしまったようだった。


 その切り替えの早さに、勇吾はモヤモヤしたものを抱えてしまった。抱えたが、どうすることもできないまま、勉強へと戻る。

 答えの出なさそうなことを考えるより、はっきり正解が設定されている問題のほうが、楽だと思ったのだ。


 そうやって勉強に集中しているうちに、モヤモヤはどこかへ消えてしまったのだった。

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