第38話「天に願いを」

   第一章38話「天に願いを」




 ゴブリンたちが援軍に来てくれたおかげで形勢は一気に逆転した。


 戦いにおいて、数はそのまま力となる。これだけのゴブリンがいれば、ニドルウルフなど恐るるに足らず。

 絶対的不利に追い込まれたとき、ニドルウルフはどう出る?

 森側は大量のゴブリンによるバリケード。川側には手負いの人間が二人だが、川が行く手を阻んでいる。


 この場面で逃げる選択肢を取ることは難しい。


(影の中に逃げ込まれたら手出しができない……その前に!)


 リアエルは先手を打った。


 一番近い位置にいたニドルウルフ二匹を同時に暴風で吹き飛ばし、リアエルの頭上を飛び越えて川の中へ放り込む。

 何が起こったのか理解できないのか、ニドルウルフだけでなくゴブリンまで一瞬呆気に取られていたが、立ち昇る自爆の水柱で我に帰ったゴブリンたちが、それを合図に一斉に攻勢に出る。


 どうやらニドルウルフの自爆はオートではなく手動によるもの。よって自爆される前に倒してしまえば被害は抑えられることがわかった。

 槍や弓などリーチの長い武器を駆使して離れた位置から安全にダメージを与え、一気にとどめを刺す。


 リアエルは意識を失ってしまったコウを守るため、その場を動くわけにはいかない。隙あらば先と同じように加護で川まで吹き飛ばして、確実に戦力を削っていくことしかできなかった。


 もちろんニドルウルフもやられるばかりではない。

 この硬質な棘は任意に狙い発射することができる。四方八方から破裂音が響き渡り、飛翔する棘に穿たれて倒れるゴブリンも続出した。

 それでもゴブリンは絶妙なコンビネーションを発揮して、負傷したものを下げさせて治療し、その間に他の者が戦うという、入れ替わり立ち替わりの戦法を取って絶えず攻撃を続けた。


[グオォォォォォォ!!]

[グギャァァァァァァ!!]


 ゴブリンの奇声じみた雄叫びが上がる。コウに意識があればなんと言っているのか正確にわかるが、リアエルにはわからない。

 わからないが、闘争本能を掻き立てるような、魂を揺さぶる咆哮だった。


 不思議と、体に力が入る。まるで尽きかけていた体力が戻ってきたかのようだ。

 まだ戦える。ニドルウルフを倒せる。村を救える。コウを守れる。


 ——ゴブリンの力を借りれば、不可能じゃない!


 リアエルの中にあったゴブリンに対するたがが外れた。なりふり構ってなどいられない。

 足元に倒れている彼が教えてくれた。

 人類の敵であるゴブリンとわかり合うことだってできるのだと。

 力を合わせることだって、不可能ではないのたと。


 ここに来て、リアエルに宿る【風りの加護】は急成長を遂げている。自然と、今までできなかったことができるような気がした。


 両手を前に突き出し、視界に映る全てのゴブリンに対して〝矢除けの風守〟をかける。対象者に対して触れなければ発動できなかった能力ちからが進化したのだ。

 これで棘によるダメージはかなり軽減されるはず。効力も増している実感が持てた。


 ——ワオォォォォォォォォン…………


 はるか遠くから、オオカミの遠吠えが聞こえた。

 それを聞いた途端、ニドルウルフの動きが止まる。


 ——ワオーーン。——アオォォォン。——ゥオオオオオン。


 連鎖するように次々と遠吠えを始め、折り重なっていく。奇妙な光景に誰もが手を出すことができなかった。


「……なに?」


 身震いするような悪寒が背筋を舐め回し、吹き出る冷や汗が教えてくれる。

 何か、とてつもないものが来る、と。


 ガチガチガチガチガチガチガチガチガチ…………


 ニドルウルフの全ての剛毛が逆立ち、ぶつかり合って騒音となる。

 これと似たような状況を、ついさっき見たような気がする。

 それは確か、コウと森の中を走っているとき、ナイフを投げて反撃を喰らったときだ。

 尻尾の毛が逆立ち、その毛を飛ばしてきた。でも今回は全身の毛が、しかも全ての個体が、だ。

 あれ以上の何かが……来る。


 影に潜んでいた個体まで姿を現し始め、耳を塞ぎたくなるほどの騒音が場を支配する。


 コウが起きていたら、ニドルウルフが何をしようとしているのかわかっただろうか。

 わかったとして、どうすればいいのかすぐに判断できただろうか。

 この少年ならやってのけるだろう。そんな期待を寄せるくらいには、いつの間にか頼りにしていた。


 でも、いま頼りの少年は気を失っている。

 無理もない。

 あれだけの怪我を負ったまま、村を救いたい一心で行動してきたのだから、その無理がついに祟ったのだ。

 いつ死んでしまうかわからない。もう目覚めないかもしれない。


「そんなの……許さないんだから」


 決死の覚悟とともに呟いた。


 自分のことを『天使』呼ばわりした報いは受けてもらわなければならない。でないと取っておいた握りこぶしをどこにぶつければいいのだ。

 やりきれないこの気持ちは、どこに吐き出せばいいのだ。

 受け止めてほしい。

 その役目は、彼でなければ駄目なのだ。

 だから——


「お願い!!!!!」


 倒れているコウを背後に庇うように前に出る。


 数多のニドルウルフが、膨張した。次から次へと、風船のように丸々と膨らんでいく。


「——死なないで!!!!」


 全力全開。持てる力の全てを〝矢除けの風守〟に注ぎ込み、広範囲をサポート。




 ガチンッ




 牙を打ち鳴らし、膨張したニドルウルフが、爆音とともに炸裂した。


 死角など微塵もない圧倒的な密度で肉片と棘が散らばる。その棘が別の個体に命中し、誘爆。


 誘爆。誘爆。

 誘爆誘爆誘爆誘爆誘爆誘爆誘爆誘爆——


 巨大な津波が押し寄せてくるような逃げ場のない数の暴力が、周辺一帯を蹂躙する。

 地面は棘が深々と突き刺さり針のむしろを思わせる地獄と化し、分厚く頑丈な木々さえも跡形もなく粉砕される。


 鋼鉄さえも貫ぬくようなその威力に耐えられるわけもない。

 ニドルウルフの集団自爆をまともに喰らって生き残れる生物など、数える程しかいないだろう。


 ——その中に、新たな名前が刻まれた瞬間だった。


 濛々と立ち込める土煙の中、無数の人影が浮かび上がる。


 両手を突き出したまま肩で荒い呼吸を繰り返すリアエルと、惚けるように立ち尽くす痩せ細ったゴブリンたち。


「はぁ……はぁ……く……っ?!」


 膝をつき、手をつき、滝のように流れる嫌な汗がポタポタと大地を濡らす。


 見たところゴブリンは無事。致命傷を負った者はいない。

 彼は——彼も、無事だ。

 そう思った瞬間、ふっと、力が抜けてしまった。


 ——いけない、まだニドルウルフが残ってるかもしれないのに。


 安全が自分の目で確認できるまで、倒れるわけにはいかない。私まで倒れたら、誰が彼を守るのだ。


 意思とは裏腹に、体は言うことを聞かない。動かそうとしても力なく震えるだけ。

 自身の重さすら支えられず、リアエルはとうとう地に伏してしまう。

 限界まで加護を酷使することによって訪れた結末に納得がいかず、力なく歯ぎしりをして、リアエルの意識は容赦なく刈り取られた。




   ***




「うっ……」


 短い呻きを上げてリアエルは目を覚ました。


 辺りはまだ暗く、意識を失ってからそんなに時間は経っていないことはすぐにわかった。

 それよりも、おかしな現象が起きていることに困惑した。


 仰向けになったまま動いていないのに、周りの景色が流れている。まるで川に浮かんで流されているような、そんな感覚。

 でも水の冷たさは感じないし、見える景色も森のど真ん中。


 体は……まだ思うように動かせない。全身の骨が鉛になってしまったかのように重くてだるい。

 視線だけを動かして、周囲を確認する。まずは右手側を見ると、視界の端に濃い緑色をした人影が多数見えた。


 ゴブリンだ。音から察するに反対側も同じだろう。

 思いながら反対側を見ると、コウが複数のゴブリンに担がれて運ばれていた。

 そして自分も同じ状況であることにようやく気づく。


「なんとかなった……のかしら」


 いま自分がこうして運ばれているということは、そういうことだろう。


 ニドルウルフの一斉自爆。とてつもない威力で周辺を薙ぎ払った悪魔のような攻撃。

 かろうじて凌ぎ切ったものの、体力どころか気力まで搾り尽くして最後まで意識を繋ぎとめておくことはできなかったが……。


[ギャ]

[グャゥア]


 リアエルが目を覚ましたからか、それに気づいたゴブリンが何やら言っている。


 しかし彼女にはゴブリンが何を言っているのか理解できなかったし、わかったとしても答えられるほどの元気はまだない。

 それよりも気がかりなのは、少年の安否だ。


 ゴブリンに担がれて運ばれているからと言って、無事である保証などない。もしかしたら死体を運んでいる可能性だってある。


「リッ——」

「——!」


 なんとか生死だけでも確認できないかと凝視していたら、少年の口から掠れた吐息が漏れる。


 聞き間違いかもしれない。リアエルは今一度耳をすませてみた。


「す——きだ」


 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


 呆れた。安心もしたが、それ以上に呆れてしまった。


 あれだけの死線をくぐり抜けて生き残ったのに、出てくるうわごとがよりによってそんな言葉なんて。

 それによく見てみれば、負傷した足もしっかりと応急処置がされている。仮に死んでいたとしたら、手当なんてしない。


 心配するだけ損だったか。


 この少年は殺しても死なないというか、死のうとしても死ねないような強運を持っているような気がする。

 そしてその強運を他人に分け与えるような、不思議な影響力を持っている。だからリアエルも、あの絶望的な状況下において生き残ることができたのではないか。

 彼女にはそんな風に思えてならなかった。


 記憶が無くて、出身もわからなくて、何を言っているのかもわからない。

 はっきりしているのは『アマノ・コウ』という名前だけ。

 一緒に過ごしてきてわかったのは、いろいろなことを知っているということ。

 それ故に何を言っているのかよくわからないことは多いけれど。


 広大無辺なほどの知恵、柔軟な発想と思考に幾度となく助けられた。

 目を覚ましたら、お礼を言おう。そして怪我の調子が良くなったら一発ぶん殴らせてもらおう。


 それくらいはさせてもらわないといろいろと発散できない。


「……ふぅ」


 何はともあれ一件落着か。


 リアエルが安堵の一息を吐くと、視界を覆っていた木々が途切れ、墨色に宝石を散りばめた夜空が視界を埋め尽くした。どうやら森の外に出たらしい。

 ということは、もうすぐ村に到着する。


 出発する前のこともあるので村に帰るのは躊躇われるが、まともに動けるような状態じゃない。


 ひとまずはこのままゴブリンに身を任せて安全な場所まで運んでもらおう。

 それから少年の手当てを大至急やってもらわなければ。

 一命は取り留めたものの、大怪我を負っていることに違いはない。早く治療してやらないと、最悪片腕と片脚を失ってしまう。


 ——しばらくして。


 徐々に体の重みは抜けていき、恐らく歩くくらいは問題なく行えるくらいには回復した。


 が、リアエルはそのままお神輿みこしされ続けていた。

 ゴブリンの言葉がわからないので『降ろしてくれ』とお願いできなかったのだ。仕方なくそのまま流れに任せてゴブリンに村まで運ばれていく二人。


「おい、あれ!」「帰ってきたぞ!」「リアエル様のお戻りだ!」


 村の入り口で、大勢の村人とゴブリンが二人の帰りを今か今かと待ちわびていた。


 コウとリアエルの二人だけが戻ってくるかと思いきや、大量の痩せ細ったゴブリンを引き連れて戻ってくるものだからギョッとした村人も多い中、最初に駆け寄ったのは一足先に異変に気づいたマライカだった。


「アマノさん?! ああこれは大変だ! 大至急治療の用意をしてください!」


 即座に村人に指示を出し、コウを担いでいるゴブリンたちを安静にできる場所まで誘導する。


 リアエルはようやくゴブリンから降ろされ、地に足をつけた。

 まだ体はわずかに重く感じるが、多少の倦怠感を感じる程度でだいぶ回復したと言っていい。


 体にまとわりつくような重苦しい重力を鬱陶しく感じながら、それ以上に突き刺さる居心地の悪い好奇の眼差し。

 久しい感覚。


 リアエルが身に纏っていた白いローブはコウの応急処置のために脱ぎ捨ててしまった。

 今の彼女は、完全に素顔をさらけ出した状態であったのをすっかり失念していたのだ。


「あ……これは、その——」


 背を向け、しどろもどろに言い訳を探す。


 青い月に照らされたプラチナブロンドの長い髪は星を散らしたように美しく煌き、透き通る肌に整った目鼻立ちは老若男女問わず、否応無く視線を集めてしまうほどの絶世の美少女。


 居心地悪そうに佇むその姿でさえ、天からのため息がこぼれ落ちてくるかのよう。


 ——ただの人間なのに。


 どう言い繕ったところで誰も信じてくれやしない。今まで出会った人はみんなリアエルのことを『天使』と呼び、崇めるか迫害するかの二択に限られていた。

 この村の人は前者なので、肉体的に痛い思いをするようなことはない。それでも一人一人が『天使』と言うだけで心が締め付けられるようだった。


「よくぞお戻りになられた、リアエル殿」

「村長さん……?」


 村人を代表するように、一歩前に出た立派なヒゲを蓄えた老人。


 そっと背後を確認するようにリアエルは振り返った。

 村長は手癖でヒゲをなでつけながら、優しい声音で語りかける。


「貴女がご自身の外見のことを気にしているのは最初からわかっておりました。まさかそのようなお顔だったとは思いもしませんでしたが、儂が厳しく言い聞かせておきましたから、安心してくだされ」


 確かに村人たちから好奇の眼差しはあれど、決めつけるような態度は感じられない。事情を知った村長が、しっかりと村人たちを説得してくれていたのだ。


「ありがとう、ございます」


 恐る恐る村長と向き直り、頭を下げる。


 変わらず集まる視線は少し怖いが、今まで感じてきた視線の中ではどこよりもまともだった。


「大体のことは、子供とチジオラ殿から聞きました。その後なにがあったのか、聞かせてはもらえんかのう?」


 村長もゴブリンの言葉はわからないはず。つまり気を失っていたサラハナは意識を取り戻したと受け取っていいだろう。


 黙って頷くと村長は満足したように優しく笑い、


「リアエル殿も怪我をしておる。治療しながら聞こうではありませんか」


 リアエルもコウと同じ場所に通され、村の医者に手当てを受けながらコウと二人きりになった後のことを簡潔に語る。


 森を逃げ回り、川に大半を落とし、ゴブリンの援軍があってから、一斉の自爆。どうにか凌いで、ゴブリンがここまで運んでくれた。


「そのようなことが……二人にはなんとお礼を言ったらよいか……」

「いえ、気にしないでください。私たちが決めたことですから」


 小さく首を振って村長の肩を持つ。


〝名前のない森〟に棲むニドルウルフは間違いなく生息数が激減した。ゴブリンと協力体制を築いた今、しばらくは安全と言っていい。繁殖して数が増えるか、その前に淘汰とうたするかは村の判断に任せよう。


「…………」


 ベッドに横たわったコウを手当てしていた村医者が、絶望的な雰囲気を纏わせながら大きく息を吐き出した。


 嫌な予感を感じたリアエルは顔を覗き込むように声をかける。


「あの……?」

「……すみません。ここではこれ以上手の施しようが……」

「そんな!」


 村医者は申し訳なさそうに顔を伏せる。


 ここは地図にも載らないような辺境の村なのだ、焼けてしまったこともあって設備が整っているはずもなく、重体を負ったコウを治療するには不十分だった。


 最善を尽くしてくれたのは素人目に見てもわかる。それでも、どう見てもこのままでは治療としてはとても足りない。


 リアエルの脳裏に『切断』という最悪の光景が浮かぶ。

 このまま放置していては傷口から腐り、せっかく繋いだ命も無駄になってしまうかもしれない。


 そうなってしまうよりはマシでも、少年が目を覚ましたときに体の一部が欠損していたら、いったいどんな顔をするだろうか。

 泣くだろうか。怒るだろうか。落胆するだろうか。

 気を使って、笑ってみせるだろうか。


『大丈夫、平気だぜ』と。無理にはにかんで、親指を立てながら。


 そんなのは心が張り裂けそうになる。

 森でたまたま助けただけの関係なのに親身になって歩み寄ってくれて、力まで貸してくれたのに。


 こんな結末、望んじゃいない。

 もし自分が本当に『天使』ならば、この少年の命を救うこともできただろう。

 都合がいいのはわかっている。


 それでも今だけ、今回だけは、天に願いを。


(どうか、彼を助けて……!)


 必死に祈るリアエルの願いが、聞き届けられたのかもしれない。

 それは本当に、たまたまの偶然だったのかもしれない。

 奇跡というのは、求める者の元に舞い降りる。


「いったいなに事じゃ……?」


 家の外が騒がしい。村にざわめきが走っている。


 村長も訝しむように呟くと、家の扉が開かれた。

 そこに立っていたのは、愛らしい少女。


「失礼します。こちらにリアエルお姉様がいるとお伺いしました」


 丁寧な口調に凛とした佇まい。

 栗色のショートカット、小麦色の肌を白と黒を基調にした服で包み込んだ、小柄な少女だった。

 村の住人からしたら初めて見る顔でも、リアエルには見覚えがある。


「ユイ?!」


 こんなところにいるはずのない姿を目にして、驚愕の声を上げる。


「お戻りが遅いので心配になって様子を見に来たのですが……正解だったようですね」


 リアエルの傷だらけな格好を見て、複雑そうに囁くユイと呼ばれた少女。


「村の中を平然とゴブリンが跋扈していてそれを享受しているなんて、聞いたことがありません。お姉様、詳しいお話を——」


 異様な光景を目撃して、真意を問い詰めようとする白黒の少女。


 それに構わず、リアエルは駆け寄った。


「ちょうどよかった! ユイ、頼みがあるの、聞いてちょうだい!」

「わかりました」

「まだなにも言ってないんだけど?!」

「お姉様の頼みとあらば、たとえ火の中土の中、です」


 問答無用で聞き入れたユイに重ねて驚かされるが、それはそれで頼もしい。ありがたい限りだ。


「なら——この人を教会まで運んで欲しいの。大至急!」

「この男を……?」


 ベッドに横たわる重体の少年をゴミでも見るように睥睨へいげいするが、呆れたように嘆息してから頷いた。


「では早速。その男を外へ」


 白黒の少女はくるりと踵を返し、外へ出て行く。


「り、リアエル殿……?」

「どたばたしちゃってごめんなさい村長さん。——彼を動かしても平気ですか?」

「ええまぁ、それくらいなら……」


 話についてこれず、呆然と声を漏らすばかりの村長と村医者。

 リアエルは深々と頭を下げる。


「お世話になりました、落ち着いたらまた来ます。詳しい話はそのときに」


 村医者はなるべくそっと少年を抱え、外へ。リアエルと村長もそれに続く。


 外では少女を取り囲むように野次馬が集まっていた。集まる視線を意に介さず、真っ直ぐにリアエルを見つめる。


「戻ったらちゃんと説明してくださいねお姉様」

「ええ。わかってるわ」


 念を押してくるユイに約束を交わして歩み寄るリアエル。


 ユイはおもむろに白黒の服を脱ぎ捨て、下着すら身に纏わぬ裸身を晒す。

 そのまま綺麗に服を畳み、リアエルに手渡たした。


 細く控えめでありながら女性らしい曲線は艶めかしく、まるで田舎村に突然現れた妖精のよう。

 しかしその正体は——




 ガギグキッ




 少女の体から異音が。


 小麦色の柔肌が手足の先から鱗状に硬質化していき、肩甲骨が肥大化して巨大な翼へ。尾てい骨から太く逞しい尾が生える。琥珀色の双眸は縦に長く瞳孔を細め、手をついて四つ足になると額の真ん中から飛び出してくる角。

 そして一気に巨大化し、変身・・は完了した。

 その姿は、太古の昔から人類に崇められ、おそれられた存在。


 ——ドラゴンであった。


 リアエルは首に跨るように上に乗り、土気色のドラゴンになったユイは少年の襟首を器用に咥えると大きく羽を広げる。


「待ってユイ! ここで羽ばたいたら家が壊れちゃう! 離れて!」


 慌てて声をかけると固まるドラゴン。


 一瞬の沈黙が支配してから、ドラゴンは村の外へ助走をつけるように駆け出し、充分に村から距離を取ると地面をえぐる跳躍の後、力強く羽ばたいて空を飛び去っていったのだった。




 この出来事を、村は忘れない。

 天使ではない天使と、力を持たない英雄が、村を救ったということを——。








   ——第一章『天に願いを』・完。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る