異世界でお友達から始めよう
無限ユウキ
第一章『天に願いを』
第1話「まるで天使」
第一章1話「まるで天使」
その日、マグニチュードの飽和を突き抜けた超震災が起こり、日本という小さな島国は地図上から消滅した。その被害は日本に留まらず、地球上に存在するあらゆる生命体を容赦なく根絶に追い込むほどのものであった。
建造物はトランプタワーのようにあっけなく崩れ去り、大地は裂けて深淵へ続く大きな口を広げ、縦揺れで空に舞い上がる人々を次々と飲み込んだ。
後世にこの出来事を残す者すら消え去った
地球は——リセットされた。
負傷者:不明
死亡者:不明
行方不明者:不明
生存者:不明
異世界転移者:1名
◆◆◆◆
トンネルを抜けたら、そこは雪国だった。
そんな言葉を聞いたことはあるが、目の前に突如として開けた光景はそれを遥かに凌駕する驚きと——恐怖があった。
「やべやべやべやべやべべべべべ!!!!」
何がどうなっているのかさっぱり理解できないまま、少年は腹の底から叫ぶ。生まれてこのかた十七年、ここまで大きな声を出したのは初めてかもしれない。
全身に叩きつけられる暴風。バランスの制御が効かず、身体の中の臓物が暴れ狂うようなえも言われぬ感覚に、口から絶叫以外のあれこれが飛び出しそうな浮遊感だった。
浮遊感?
いや、実際に飛んでいる。というか、落ちている。遥か上空の彼方から。
「なにこれ夢?! 夢だよね?! こんなリアルな感覚まで再現できるなんて、いつの間にか俺の妄想力も天元突破したんじゃね?!」
風が皮膚を引っ張り波打つ感覚など体験したことはないし、風切り音が耳元で酷くうるさい。普通に呼吸をすることもなかなかに難しく、いくらもがいても風以外の何にも触れることは叶わない。
まるで世界から拒絶されて爪弾きにされてしまったかのような孤独感があった。
このままだと赤い花を咲かせて大地と熱い抱擁を交わすことになるが。
「冗談じゃねぇ! パラシュートくらい完備してろよ俺の夢!」
背中にあるべき頼れる相棒の姿を確認することはできず、ぶっといゴムに繋がれているわけでもなく。
完全に丸腰でスカイダイビングしていた。
「なにこれどうすればいいの?! アイキャンフライとか叫べばカットバックドロップターンとかできちゃう流れ?!」
妄想力が天元突破しているのならば、それも可能かもしれない。
が、それはあくまで夢や妄想の中での話。
何もかもが信じられないほどにリアルで、どうしようもないくらいに現実で。目の前に広がる世界は広大で、待っているのはあの世への片道切符。
「くそくそくそくそくそ!! どうするどうする?! どうすればいい?!?!」
思考回路が焼き切れんばかりのフルスロットルで高速回転し、生きる道へ繋がる選択肢を必死に手繰り寄せる。
「あれは!」
鬱蒼と茂る森の一部に、口を開けるようにして拓けた場所があった。そこは大地に輝く青い煌めきを溜め込んでいて、一縷の望みをそこに託すしかなかった。
「ナイス湖! なんとかなるか?!」
バラエティー番組で観たスカイダイビングの映像を脳内再生し、それを参考にして自身に投影させる。
腕と脚を開き、肘と膝は軽く曲げて風を体で受け止める。手のひらで方向を微調整し、重心を僅かに傾けることで湖がある方向へ身体を寄せていく。
「オッケーオッケー、ぶっつけ本番にしちゃ上出来だぜ俺! 天才かよ!」
盛大に自画自賛してひとまず大地との熱い抱擁は回避できそうだ。
だが問題はそれだけではない。
「タイミングが合わなきゃ一巻の終わりだけどな!」
まだ夢気分なのか、どこか他人事でいまいち緊張感に欠けた少年の発言。
遥か上空から水面に叩きつけられるのは、アスファルトに叩きつけられることとほぼ同義。体の『面』で着水したら木っ端微塵だが、手を畳み脚を伸ばして槍のようになり、可能な限り面積を減らして『点』で着水できれば命は助かる可能性がある。
しかし、湖を射程圏内に収めたとはいえ、着水するスピードは遅いに越したことはない。
限界まで体で風を受けて落下速度を抑え、ギリギリのところで体勢を槍のように変える。これが少年の中にある最適解だった。
そうこうしているうちに、ずっと遠くにあると思っていた地面がいつの間にかかなり近い位置まで近づいていて、その瞬間が刻一刻と迫っていることをわかりやすく伝えてくる。
「まだだ……まだ……」
ほぼ勘のみで地面までの距離とスピードを測り、体勢を変えるタイミングを見計らう。恐怖で気が狂いそうになる心の暴走を、言葉を口にすることで誤魔化す。
もうちょっと。あと少し。ほんの僅か。
「い——う、ぉああ?!」
今だ! と言おうとした瞬間、乱気流と言う名の悪魔のイタズラが吹き荒れる。
前後上下左右から吹き荒れる風に揺さぶられて、スカイダイビング初心者がバランスを保てるわけもなく。
なんとか平静を保っていた心の均衡までも乱されて、大いに慌ててパニックに陥ってしまう。
さっきまでできていたこともできなくなってしまうのが、パニック状態の恐ろしいところ。経験したこともない方向にぐるりぐるりと体が回転し、前後不覚に目が回る。
「神様仏様女神様! 精霊とか妖精とかそういうんでもいい! なんでもいいから助けてくれえええぇぇぇぇぇー!!!!」
心の奥からの願い。腹の底からの懇願。喉の奥からの絶叫。
荒れ狂う風に揉みくしゃにされて、一筋の蜘蛛の糸もない、すがる藁もない中空をそれでも必至に掻き寄せる。
もうすぐで、終わらないと思っていた滞空時間も終わりを迎える。それは同時に命の終わりも意味していた。
「助け、てくれよおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
血が滲むような悲痛な咆哮は誰の耳にも届かない。
帰る家があって、美味しいご飯を食べられて、温かいお風呂に浸かって、柔らかな布団で安眠する。
なんでもない、なんてことない日常こそが幸せだったのだと……こんなところで、こんなタイミングで知るなんて。
これが、失って初めて気づく大切なこと。
母親にはいつもありがとうとお礼を言おう。お陰でここまで大きくなれたと感謝しよう。
父親にはお仕事お疲れ様と労おう。我が家の大黒柱は誰よりも頑張ってるんだと誇りに思おう。
妹と弟には意地悪して悪かったと謝ろう。それでも笑顔で呼びかけてくれる二人が大好きだ。
先生にはちゃんと挨拶をしよう。授業も真面目に受けよう。宿題を忘れないようにしよう。友達ともっと交流を深めよう。
出来ることはたくさんあった。——いつでも出来るからとやってこなかった。
人生は短いと祖父が言った。——まだ50年以上もあるからと遊び倒した。
やりたいことはあった。——いつかやれるようになると甘えていた。
夢から覚めたらそうしよう。なにがなんでもそうしよう。
いくら少年が反省したところで、すでに遅い。二度と覚めない夢は夢ではない。
——現実だ。
「……っく!」
奥歯を割れんばかりに噛みしめる。瞼を固く瞑り、暗闇の中で夢から覚めろと強く念じながら落ちていく。
もう間も無くだ。
……。
…………。
………………?
だが、待っても待っても激突の衝撃はやってこない。衝撃にハッと目を開くとベッドから落ちていて、いつもの天井を見上げている……その予定なのに。
いつまで経っても地面との熱い抱擁を交わす瞬間は訪れなかった。
もしかして、衝撃を感じることも無く赤い花を散らしてしまった? すでに自分は死んでいて、固く瞑った瞼を開けばまた見覚えのない世界が広がっているのか。もしそうだとしたら、そこはきっと天国か地獄だろう。
訳がわからないまま、せめて天国でありますようにと願いつつ少年は恐る恐る目を開き、現状を確認する。
「う、浮いてる……?」
どういうわけか、少年の体は猛烈な上昇気流によって持ち上げられ、水面ギリギリのところで高度を保ち浮遊していた。
目を瞑ったまま吹き上げる風に乗っていたから気づかなかったが、臓物が動いてこそばゆくなるような、落ちているときに感じる特有のあの感覚がなくなっていた。そんなことにも気づけないくらいに追い込まれていたのだと、今になってわかる。
「なんか、こういうのテレビで見たことあるな」
だがもちろん湖の上なので送風機など見当たらない。天然の風に乗っている。
「もしかしてアイキャンフライ? さす
極めればなんでも思い通りにできる夢ならば、こんなことも可能なんだと思い知るが、まだついて行けなくて疑問形になっていた。
「マジか……」
美しく輝く湖面には、空中に浮かぶ自分の姿が映り込んでいる。人一人を浮かべるほどの風が吹いていながら、緩やかに、穏やかに揺れる水鏡。
そこには、命が反射していた。
自分は生きているのだと、助かったのだとようやく実感する。
命の危機かもしれなかった時間から解放されて、少年は安堵と安心からくる虚脱感でアホの子のように口を開けて惚けるばかり。上昇気流で口内がどんどん乾燥していくのも気にならない。
[「キミー! 大丈夫ー?!」]
「うん?」
不思議な声が聞こえてきた。風の音が耳元でうるさくても、なぜか聞こえてくる女の子の澄んだ音色。
「いってて……」
唐突にやってきた謎の頭痛に眉根を寄せながらあたりを見回してみると、岸からこちらに向かって大きく手を振っている人影が確認できた。
フード付きの白いローブを羽織っていてシルエットではよくわからないが、他に人影らしい人影は見当たらないので、さっきの女の子の声は彼女で間違いなさそうだ。
[「今こっちに寄せるわねー! そのままジッとしててー!」]
口元に両手を当ててメガホン代わりに呼びかける少女。
「いっ
高高度からの落下の影響なのか、少女の言葉がどうにも頭に響く。我慢できないほどでもないが、味わったことのない感覚から、単なる頭痛でもなさそうだった。
そもそも聞こえかたが何かおかしい。
テレビ番組の主音声と副音声を同時に聞いているかのような、元の音声と吹き替えが重なった映画を見ているかのような——謎の言語に日本語が重なって聞こえている気がするのだ。
とうとう頭がおかしくなったかと眉根を寄せて唸っていると、岸がゆっくりと近づいてくる。
「いや、俺が近づいてってるのか」
絶妙な風向きで少年の体は徐々に陸地へと寄っていく。不思議と暖かい風が全身を包み込んで、だんだんと穏やかな気持ちになっていく。
透き通る水面からは底がよく見えて、すでに足が届きそうなところまで来ていた。
陸地までもう少し。少女の姿をはっきりと視認できる距離。しかしフードを目深にかぶっていて顔はよく見えない。
「キミ、大丈夫?」
耳をくすぐるような甘い響き。近いのでもう大きな声を出す必要はないし、声を聞いても頭痛はなく、重なって聞こえることもなかった。
純粋に安否を心配しているのだと、その甘い響きから聞き取れる。
——ああ、大丈夫。
そう言おうとして、少女のフードが風で持ち上げられる。
彼は絶句した。
透き通る湖面よりも美しく輝くプラチナブロンドの長い髪。クリクリとした大きな
白い肌は何者も寄せ付けぬほど純白で、長いまつ毛が落とす影がよくわかる。柔らかく小ぶりな唇から紡がれる音は天上のハープのように清らかだ。
その姿はまるで——
「天使だ……」
頭に輪っか、背中に翼を幻視して、思わずポツリとこぼす。
飾らない言葉で言うならば、少年の直球ど真ん中ストライクの超絶美少女だった。
「俺、君と恋に落ちるためにこの世界に落ちて来たのかもしれない」
100%の勢いだけで口が勝手に口説き文句を吐き出した。言っている本人さえも無自覚な言葉は確かに少女の耳に届き、
「どわっ?!」
少年を持ち上げていた上昇気流が唐突に止み、バシャーン! と盛大に水しぶきを上げて湖に落ちた。
いや、落とされた。
「……キミ、大丈夫?」
同じ言葉でも、二度目の響きには一歩引いた音が木霊し、その眼差しには戸惑いと困惑が滲んでいた。
「私みたいな人にそんなこと言うなんて、とっても変な人ね。少し頭を冷やしたほうがいいわ」
いきなり水の中に落ちて、心の準備をしていなかった少年は驚きのあまり飛び跳ねるように水面から顔を出し、ぴょんぴょんしながら急いで岸へ上がる。
「耳に入ったー! 耳がボーボーするぅー!」
大地に無事で足をつけられた少年は、首を横に傾けてジャンプしながら側頭部をトントン叩いて耳の穴に潜り込んだ水を追い出そうと躍起になる。
感動の生還もまさに水が差されて台無しだ。
何が起きたのかよくわからないが、丸腰のスカイダイビングで命が助かったというのに、少年は命のことよりも少女を口説くことに全力を傾けるなんて、少女の言う通り変人らしい。
命の危機に瀕して、頭のネジをどこかに落としてしまったのかもしれない。
耳から水を追い出した少年は、ニッカリと歯を光らせて笑う。
「なに言ってんのさ。君みたいな人だからこそ、俺はそんなことを言ったんだ。頭が冷えて冷静になった今でもそう思ってる」
「…………」
考えの変わらない少年の発言に、少女はやはり困惑の表情。どんな反応を返せばいいのかわからない。そんな様子だった。
「『人生はなにが起こるかわからない。だから全力で進め。全力で坂道を転がり落ちろ』って俺のじっちゃんが言ってたよ。『全身全霊で流れに身を任せれば後悔のない人生になる』ってさ。俺、この言葉の意味がよく理解できてなかったんだけど、たった今、理解した」
今この瞬間を楽しむんだ。盛大に寄り道をしろ。馬鹿正直に目的地に進むだけではつまらない。もったいない。いろんな事をやれ。いろんな場所に行け。いろんな人に会え。いろんな人と話せ。
少年の祖父が伝えたかったことは、たったいま確かに伝わった。
だから少年は、全力でこの瞬間を生きることに決めた。後のことは後で考えよう。今考えるべきは今のことなんだ、と。
「…………」
口を結んだままの少女に、精一杯の想いを伝える。
「俺、君のこと好きになった! こんな感覚は生まれて初めてだ! すっごいドキドキするのに、全然嫌な気持ちじゃないんだよ!」
心をくすぐるような高揚感。フワフワと浮き上がる気持ちの昂りは、今までに感じたこともない幸福感を少年に与えてくれた。
隠しダンジョンのラスボスを倒したときよりも。
美味しいものを食べたときよりも。
テストで100点を取れたときよりも。
どんなことと比べても、この幸福感を上回ることは決してない。
そして幸福感ほど、足を前に進める燃料は他にない。ニトロを得た少年の勢いを止められる者はもうこの場にはいなかった。
「…………」
止められないのなら、
少女は押し黙る。少年の真意を測りかねているのだろうが、正真正銘、正直な気持ちを言葉に乗せて口説いている。彼の目に宿る真剣な光が、それを如実に表していた。少女もそれを感じ取っているからこそ、答えあぐねているのだろう。
「急にこんなこと言われたらそりゃ困るよな。だから友達からでいい。友達から始めよう。ゆっくりでいいから俺のことを好きになれたら、二人でハッピーエンド! どう?」
流石に勢いよく一方的に喋りすぎたか?
どう? と言われてもなんと返せばいいかわからないか?
さまざまな思惑が交錯するが、熟考した上でようやく口を開いた少女の言葉はいたってシンプルなものだった。
「ムリ」
全力で事故った。
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