第121話 出張版『ナレーションに恋をして 特別編』
街は日々変化する。
一年、一か月、一日、下手をすれば一秒たりとて同じ姿はしていない。
群馬の田舎でさえ、最近は古い家が取り壊され新築住宅や空き地になっている。
今年、町内会班長である私の家の周りは高齢者が多く再び町内会班長をする十年後、どうなっているかは分からない。
これが大都会東京になれば、それこそ、凄まじいスピードで人々は動き、変化する。
特に今年は東京オリンピックに加えてコロナ禍で街の様相はかなり変わった。
実は、あまり大声では言えないが緊急事態宣言下に置いて毎年恒例だった作家の墓参りに行った。
無論、衛生面などを考えて師匠に会わず、人との接触なども最小限にして約二時間でとんぼ返り。
でも、一年間だけ間を置いただけで街は様変わりしていた。
地下鉄を降りて地上に上がった時にあった焼きそば屋さんが閉店。
いつも昼食を食べていたコンビニは巨大なマンションが建設中だった。
昼に行ったのに町はどこか暗かった。
――こりゃ、確かに辛い
池波正太郎が東京の変化に絶望し長野や京都に引っ越しを考えた。
その気持ちが分かるような分からないような気分になる。
別の理由で日本に絶望した人がいる。
いかりや長介。
伝説の『ドリフターズ』のリーダーであり名俳優であった。
ナレーション好きからすると『人生の楽園』のナレーションのイメージがある。
彼の芸能人人生は舞台とテレビと共にあった。
しかし、熟した果実が腐敗して落ちるように、メディアもまた慢心しだんだん、『テレビ受け』しか考えない芸人が増えた。
テレビもまた、『世論』という言い訳をして作りこまれたお笑いよりも即興的な笑いを求めるようになる。
舞台で鍛えられた人だ。
彼は俳優になった。
最初のうちこそ「えー、お笑い人が俳優?」という目で見られたが『踊る大捜査線』などに出演し名優となる。
かつて、PTAから嫌われていた人が世間から諸手を揚げて歓迎されるようになる。
だが、そのドラマでさえどんどん、様変わりする。
世間も変わる。
いかりや氏のナレーションは心地よかったし、楽しそうだった。
でも、いかりや氏の人生の楽園は海外だった。
キューバ。
社会主義国で閉鎖された国。
電気はあるが度々停電を起こすのは当たり前。
古いアメリカ車が現役で走っている。
そんな国にいかりや氏は古き良き生まれ育った東京を感じた。
人々は陽気でよく働く。
物を大切にする。
そこでいかりや氏は日柄一日のんびり過ごしたという。
案外、死後の世界で「池波先生、昔の東京に行きませんか?」なんて言って二人でキューバに行って、志村けん氏が探していたら、それはそれで面白いかも。(妄想万歳)
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