第109話 テンプレートにおける死の意味

 かつて、私の知り合いから言われたことがある。

「今の子ってゲームみたいに死んでも魔法やアイテムで生き返るって思っているんだって?」

 私はムッとした。

 当時二十歳前後。

 青かった。

「そんなことないですよ! 私たちだってちゃんと倫理観はあります!」

 

 それから、同じ年月が過ぎた(はい、そこ! 私の年齢を計算しない!!)。

 正直、その知り合いの言葉を身に染みて分かるようになった。

 今回のテンプレートに限らず、『死』に対して知り合いが言ったように無頓着に様に思う。

 いや、フェクションだけではない。

『終活』なんて言葉がはやる程、『死ぬこと』はイベントのようになっている。


 私は過去、六回以上葬式に出ている。

 好きな作家に対しては墓参りもしている。

 ただ、死そのものに関しては何も書かない。

 だって、死んだことないし、死の危険にはあるけど(今、ちょっと色々あり過ぎて)死ぬこともない。

 死ぬ義理もない。

 ただ、生きている側(物語なら主人公側)に思うことはある。


 それは人の死に対して無頓着、下手をすれば笑いものにする。

 これが許せない。

 私は時代劇小説が好きだ。

 それこそ、下手すれば人がダース単位で死んでいく。

 でも、それは因果応報だったり、それなりの理由がある。

 主人公側も自分が殺されることを覚悟している。

 死に対して笑いものにしない。

 そして、安易に生き返る死者。


 よく聞く言葉だが『有限の生だからこそ、その価値がある』という。

 永遠の命を持つものはない。(まあ、それも定義や条件によっちゃいるんだけど)

 なのに、最近のラベノ、特にテンプレートには『永遠の命』を持ったものが多い。

(そして、万能)

 そんな存在に何の価値がある?

 人の死を「不完全な存在」と笑い、気まぐれで人を生き返らせて手駒にする。

 仮にそいつ(敬意? ねぇべ? だって、敬意は人にあるんだから)が目の前にいたら言いたい。

「お前こそ、史上最低最悪で無意味な生き物だ」


――神だから

 というのも理由としてはあるだろうし

――確かに非現実的だけど心のリアリティを追求した

 なんて理由もあるだろう。

 そんな言い訳をする作者に言いたい。

 最悪。

 いや、ちゃんとした人物描写や敬意があればいい。

 それがないのだ。

 単に物語が盛り上がるから主要人物を安易に殺す。

 それも、面白おかしく。

 作者からすれば高揚感のあるのだろうが、私には苦痛でしかない。


 あー、あれに似ているな。

 虐め。

 虐められたことがない人間が書く虐めは虐められていた人間からしたら胸糞が悪くなる。

 (程度などは変わりますけどね)

 

『書くな』とは言わない。

 でも、せめて、他者や死に対する敬意を持ってください。

 他人に敬意が持てない人間に対して他の人が敬意を持つことなんてないから。

 自分が死んだときに誰も悲しまないなんて嫌でしょ?

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