第104話 未完の大作「ベルセルク」に思う
「ベルセルク」などを執筆した漫画家の三浦建太郎さん(享年54歳)の訃報。
若い巨匠の死に世界中の多くの人が嘆き、悲しみ、哀悼の意を送った。
私は、この作品をほんの少ししか読んでいないことを告白しよう。
だから、ファンの人には大変申し訳ないと思う。
でも、それでも、「すごい作品だ」と思った。
半ば怨念めいた細かい背景や設定に驚いたし、残酷で濃密な物語(実はここで私はギブアップした)に圧倒された。
ただ、私にはあまりに濃厚過ぎて正直、お腹が痛くなった。(ええ、小心者なので)
その中で覚えている話がある。
親に虐待されすべてに絶望した少女は主人公と旅に出ようとする。
しかし、主人公・ガッツは「どこにいても戦いはある」と少女を突き放す。
私が子供のころ。
生きることは戦いであった。
あの少女のように生きるのが辛くてしょうがなかった。
逃げようとすれば何者かが言う。
「逃げても戦いがあるのなら今、この場で戦ったほうが楽だぞ」
現在。
逃げることは『正しい』ことになった。
辛くなったら、仕事をやめても、学校を休んでもいい。
むしろ、闘う人間をあざ笑う光景さえある。
私自身、「PTSD」と言う障碍者になることで一般枠の会社員ではない、障害枠に逃げた。
私は戦うことも逃げることも悪くないと思っている。
戦いばかりなら精神や肉体を消耗し、最悪自殺になる。
逆に逃げてばかりだと自分の意に沿わないことから目を背け、これも最悪自殺になる。
こう書くと『逃げる』VS『戦う』という二者択一になりそうだが、それは自分自身の判断で如何様に変えていいと思う。
例えば、私は精神を病んでいるためある時限界が来る。
普段は真面目な会社員として働くが、そればかりだと倒れる。
なので倒れそうになったら逃げる。
早い話、休暇を取る。
もっと書くと、ずる休みをする。(みんなには秘密だぞ)
利用するものは何でも利用する。
病院の診察日も誤魔化す。(先生公認)
こうして何とかバランスを取っている。
こんな言葉を聞いたことがある。
「正しい選択などない。しかし、その選択を可能な限り『よかった』にする努力はするべきで、それが最終的に他者から見て『正しい選択』になるのだ」
逃げても、戦っても、その向こうには、また戦場がある。
ならば、せめて生きよう。
漫画家の三浦建太郎さん(享年54歳)、本当に早すぎる死でした。
追悼の念を送ります。
追記・けど、数年後に「完結編」とか「続編」が全くの無関係者で作られないことを(アニメも含め)祈る。
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