第91話 安心の材料になるのは嫌です
人は当たり前だが、生涯ずっと悩み苦しむ。
時々、「悩まない人生を送っています」という人がいるが、それは単に問題から逃げているだけである。
そして、恐怖にさいなまれる。
自分の本心や正体がバレて他人から疎まれたり馬鹿にされないだろうか?
世間から見放されるのではないか?
この時、その人の態度によって、人生の味わい方がだいぶ変わる。
最近、特にインターネットが普及しだして一気に増えたのが「安易に安心を求めた結果、周りから総スカンか総攻撃を食らう」というもの。
よくネットやテレビなどの芸能人や批評家で「本音で語る」とか「自分は正直者」という自称を見る。
そして、他人の弱点をあげつらったり、最悪、関係のない容姿や主義主張を馬鹿にしたりする。
彼らこそ、嘘つきで性悪で人生を投げ捨てている。
同調圧力がいいとは言わないが、世間常識とか社会人マナーと言われるものは大抵の場合、(少なくとも日本社会においては)円滑な社会運用、分かりやすく言えば上手にコミュニケーションをとるための知識やマナーである。
それを破るということは、「もう自分は世間に背中を向けました」という意味もある。
なのに、非難されると開き直ったり謝罪する。
「え? お前にとって言葉ってそんなに軽いの?」
と絶望すら覚える。
逆に昔から読み継がれているエッセーや名前があまり知られない在野の心あるネットユーザーの書き込みなどはとても心を潤す。
そこには相手や事象に対しての真摯な態度がある。
自分の優位性を保ちたいがために他人を傷つけようとする気持ちはない。
彼らこそ、正直者で優しくて自分の人生を十二分に味わっていると思う。
何故なら、自分の身に起こる事象に対して『自分の責任』において選択し戦っているからだ。
――無頼に語り本音で斬る
昔、某所でホームページを作っていたときに知り合いがつけてくれたキャッチコピーだ。
ホームページは諸事情あって閉鎖したが、この言葉だけは今も心の奥にしまってものを書くときに思い出すようにしている。
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