第88話 危険物は逃げるか闘うか?

――好きな漫画は何ですか?

 こう問われたとき、私の答えは決まっている。

「北斗の拳です」


 去年の今頃。

 私はAmazonで『北斗の拳』完全版を買うかどうか悩んでいた。

(色々なバージョンがあるので)

 なのだが、実は二十歳になるまで単行本に触るのも嫌なぐらい嫌いだった。

 原因はグロテスクなシーンに子供だった私には耐えられず、アニメに至っては第一話を見てトイレに駆け込んで嘔吐した。

 それが成人式で髪の毛のセットの時に美容室のお姉さんか渡されたのが『北斗の拳』だった。

 内心、かなり嫌だったがすでに頭をセットし始めていたので断ることもできず嫌々読み始めた。

 確か、ケンシロウが聖塔で涙するシーンだ。

 このシーンが嫌に印象的で、しかも、グロくなく普通に読めた。

 そこから、徐々に『北斗の拳』が好きになって行った。


 さて、本題である。

『鬼滅の刃』が大ヒットしている。

 コロナの影響下にあって(大分薄まっている感じはあるけど)沢山のコラボ企画や実写化の話も出ている。

 一方で「残酷シーンがあるから子供には見せられない」という保護者の意見もある。

 この手の映画やドラマでは必ず起こる「残酷シーンは見せるべきか否か」問題。


 私の答え。

「個人差があるので、その子が包丁を使えるようになったら見せても大丈夫」


 子供は大人以上に個人差がある。

 心優しい子供もいれば動くのが大好きな子もいる。

 私のようにグロいシーンを見て嘔吐する子もいれば弟のように楽しむ子供もいる。

 それを世間や周りの意見に押し流されて子供が見たいのに見せなかったり、逆に嫌がるのに見せるのはどうだろう?

 ただ、「じゃあ、子供の主体性を大事にしましょう」というのも違う。

 子供は善悪や現実と空想の区別が上手にできない。

 例えば生後間もない赤ちゃんに「興味を示したから」という理由で包丁を持たす親はいない。(アレな親ならもしかしたら?)

 包丁を持つということは、もっと言えば、家事をするということは空想と現実を見極めることの証左だと思う。

 おままごとセットのような誰も傷つかない、傷つけない偽物の包丁ではなく、扱いいかんによって自分も相手も傷つける包丁や火の取り扱いを知ることが出来れば、人を傷つけることの如何や相手のことも考えられる。

 そこまで成長できれば自分から暴力シーンやグロテスクなシーンに対して逃げたり遊ぶことが出来る。


 というか、最近の『○○は教育によくない』というコメントを出すテレビはどうにかならないか?

 あと、教育学者とかいう奴ら。

 それって『自分たちの教育は○○に負けました』と宣言しているようなものだ。

 もっと言うのなら、親も学校もマスコミも子供に対して無責任だと思う。

『自分たちに責任はないけど言いたいことは言う』といってお互いに責任を擦り付けあうのは本当に辞めてほしい。

 その中で最も罪深いのは「教育学者」たちだろう。

 マスコミの被害者かも知れないが、周りに責任や価値観を押し付けすぎ。


 なお、私の書く小説は残酷シーンでもあっさり読めるようにしております。(はい、言い訳)

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