春よ来い(咲けないつぼみの上にこそ)

冬野 暉

春よ来い(咲けないつぼみの上にこそ)

 夜の公園で、街灯の下のベンチにぽつんと座っている彼の姿を見つけたのは偶然だった。

 寄り道決定。わたしは素知らぬ顔で公園に入り、自販機でホットココアを二本買った。

 近づいてみると、マフラーに埋もれた彼の鼻先はすっかり赤くなっている。

「寒くないの?」

 缶を差し出しながら尋ねると、彼は目を丸くして「寒いよ」と呟いた。

 そうだよねと頷きながら、わたしはひとり分の隙間を空けて彼の隣に腰を下ろした。

「……どうしてこんなところにいるの?」

「塾の帰りだよ。きみこそ『どうしてこんなところにいるの』?」

 プルタブを開けながら、彼は俯きがちに答えた。

「頭を冷やそうと思って」

 缶に口をつけようとしない彼に、ホットではなくアイスのほうがよかったかなと思ってしまった。

 ――わたしたちは夢見る年頃であって、しかし現実は過酷だ。

 夏には燦々と輝いていた彼の笑顔は、秋の翳りとともに沈んでいった。

 焦ることにも疲れ、あきらめに黒く萎んだ可能性のつぼみは彼のひとつ限りではない。わたしのなかにも、咲けないまま朽ちるものはあった。

 簡単な肯定なんて、できるはずもない。

 むごたらしい無責任を、わたしたちは外からも内からも味わっている。凍みるような冬の寒さに耐えきれるのは、堅実で確実な努力の結実なのだ。

 わたしたちにできるのは、てのひらに残ったちっぽけなつぼみをずる賢く長らえさせることだけ。

「馬鹿だよな、おれ」

 彼は涙混じりに笑っていた。

「どうして、きみみたいになれなかったのかな」

 わたしは、ほろ苦いチョコレートの味を噛み締めた。

「……きみが羨ましかったよ、わたしは。きみみたいに、自分の夢をちゃんと口にすればよかった」

 あのまぶしい季節には、まだその権利があったのに。

「でも、ないものねだりしてもしょうがないよ。わたしはわたしで、きみはきみだもの」

 きっと越えるべき冬は、同じようで同じではない。

 わたしたちのつぼみがひとつひとつ違う色をしているみたいに。

「……そうだね」

 彼は洟をすすってココアを飲んだ。

「冷めちゃった」

 その口調がちょっとおかしくて、思わず笑った。

「まだ寒い?」

「うん」

 わたしが手招くと、彼は再び目を丸くして、そっと距離を詰めた。

「風邪、引いたらいけないから」

 言い訳だとお互いに認めながら、それ以上は何も言わず手を重ねた。

 寒さにどうしようもなくなって、ほんの少し甘えたくなってしまった。

「おれ、がんばる」

 吐息といっしょに溶けた声に、わたしは「うん」と頷いた。

「わたしもがんばる」

 咲けないつぼみの上に綻ぶ夢は、心から満足できるものではないかもしれない。

 不完全だからこそ誇らしく思える春の訪れを、わたしは待ち遠しく願った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春よ来い(咲けないつぼみの上にこそ) 冬野 暉 @mizuiromokuba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ