48.「屍山血河」の異名を持つ女剣士・市山結花

「客人にござりまする」


 俺の用心棒というか身辺警護をしている市山結花いちやま ゆいかもいっしょだった。

 さっきまで、部屋にいたのかと思ったが、気配を感じて出て行ったのだろうか。


 江戸時代では背の高いといえる源内さんより、背の高い女剣士だ。

 男のような出立いでたちで二本差しだ。凛として全く隙のない立ち姿。

 ややキツメだが黒い大きな瞳は常に周囲を警戒しているかのようだった。


「蔦重とこよったらよぉ、ワタル殿が、引っ越したってぇからなぁ」

「いいえ、本当に、お世話になりっぱなしですよ」


 そもそも、蔦重さんに俺の新居を探してくれるように頼んだのは源内さんなのだ。


「こりゃすげぇな。ただ…… こうしてみると、柱が多くて無駄が多いなぁ」

「いいえ、そんなことはないですよ――」

「ん~ 家の設計もなんかこう、色々できるんじゃねぇか? なあ、ワタル殿」


 次から次へと何をやりたいのか。本当に好奇心と探究心の結晶のような人だ。


「いえ、まあそれはそうと、秩父鉱山の方は?」

「ふふ、知りてぇかい。まあ、そうだよなぁ~」

「とにかく、ここで立って話すことじゃないですか……」

「ま、そうだな、じゃ、お邪魔するぜ」


 そう言って、源内さんは履物を脱いで濡れ縁に上がった。

 蔦重さんも、遠慮しながら、頭を下げてそれに続く。


「全く、源内さんらしい」


 俺は口の中で、小さくつぶやいた。思いのほか自分の声が嬉しそうだった。

 ウダウダ悩んでいた胸の奥のつかえがなくなったような感じがした。

 とりあえず、俺は源内さんと、蔦重さんを部屋に招きいれたのだった。

 

 市山結花は、隣の部屋に控えてもらっている。

 まあ、何かあれば、その気配を先に察知するのは彼女だろう。

 

 とにかく、今は彼女でもあまり聞かれたくはない話をするのだ。


「これさ、もう大変なことになるぜぇ。川越藩の奴は血相変えていたぜ」


 心底嬉しそうに言って、源内さんはおれに、白い石をみせた。

 俺でも分かる。その白い石には、金色の筋が入っているのだから。

 間違いなく金脈だった。


「金脈に当たった。銀も銅も出るだろうぜ―― まあ、当たり前と言えば当たり前なんだろうけどな」

「確かに、これが…… これが金なんですか」


 俺も金鉱石というか、ここまではっきり金を含む鉱石というものを見たのは初めてだった。

 小さな白い小石をつまんで色々な角度から見た。金色の帯がサンドイッチの具のようになっている石だ。

 ネットで「金鉱石」と画像検索しも、こんな見事なのはそうそう無いと思うくらいだ。


「ま、川越藩は関係ねーといえば、関係ねーんだか、蒸気機関の開発も手伝わせてぇんで、少し絡ませてやってもいいかと思ってる。蒸気機関には、炭が必要だしな」


 確かにあの辺りは森林が多く炭がとれる。

 

「実際、鉱山は、領地としては川越藩ですから、なるべく摩擦の無い方がいいですね」


 俺は言った。無駄な衝突は避けていきたい。交渉だってコストがかかる。

 秩父鉱山の利権は、田沼意次をバックに持った俺たちの物である。

 ただ、ここでひとり占めするよりは、周囲の恩恵を与えた方が、今後の事業展開には有利なはずだ。


「田沼様も、そのあたりは十分承知だろうぜ」

「このことは、田沼様には?」

「ああ、これからだ。先に、ワタル殿とこによって行こうかってね」


 この時代の障壁を簡単にぶち破りそうな天才が俺を優先して会いに来てくれたことがなんかすごく嬉しかった。

 いや、天才とか関係ない。

「源内さん」がそうしたことが、俺にはうれしかったんだと思う。


「ところで、土岐殿…… 実は――」


 声を潜め、頭を寄せて欲しいと蔦重さんが手招きする。

 俺はそれに従う。

 日本家屋は隙間が多く、普通の部屋では密談などできたものではないのだ。

 それもおいおい、改造はしたいと思う。


「あの、市山結花殿ことですが……」


 蔦重さんは声を潜めて言った。

 俺が雇った用心棒―― 身辺警護の女性剣士の名前を口にしたのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


「その噂…… 本当ですか? 蔦重さん」

「まあ、噂は噂ですけが、このタイミングで田沼様が推挙してきたとすれば、十分にあり得るかと」

「うーん…… 確かに。隠し子って…… あのおっさん、女好きって話だけは本当なんだろうなぁ~」


 俺の身辺警護に雇った女剣士、市山結花いちやまゆいかは田沼意次の妾の子どもだというのだ。

 まあ、この時代の偉い人が妾(愛人)を持つのは普通といえば普通だし。

 それだけで、田沼意次を女好きというのも、言い過ぎだったかもしれない。


「で、『屍山血河しざんけっか』ね…… 市山結花の異名ってなんか出来すぎな感じだけど」


 市山結花は、読もうと思えば「しざんけっか」と読める。


「まあ、偶然、名前がそう読めること。道場破りに対する、恐るべき仕打ち―― その名の通りの存在ですよ」


 蔦重さんが市山結花についての評判というか、噂を仕入れてきたのだった。

 江戸一番の版元であり、その情報収集力は確かだ。噂と言ってもバカにはできない。


「あれだ―― 田沼様。ワタル殿と、その女剣士をくっつけようしてるんだろうぜ」

「え?」

「私もそう思いますな」


 蔦重さんも源内さんの意見に賛成した。


「考えそうなこったなぁ~ 直接、田沼殿から言われたらワタル殿も断りずれぇだろうしなぁ」

「そ、それはそうですけどね……」


 確かに、田沼様から「ワシからあいじんを用意して《プレゼントしてやろう。ワシの娘だ」とか言われたら、困るなんてもんじゃない。

 つーか、あいじんではなく、俺は結婚してないので、嫁になるのではないか?

 

 確かに現代でも滅多にいないレベルの美貌の持ち主だけど――

 凛としたまるで、鍛え上げられた鋭い刃のような美しさをもった女性であることは確かだし、十分以上に魅力的だ。


「ま、だから。だからこそ身辺警護からってことかねぇ~ ワタル殿が身辺警護を探してるってのは、田沼様にとって渡りに船だったんじゃねーか。

 いや…… むしろ切り出す頃合いを見計らっていたのかもしれねぇなぁ。寝技に引きずり込まれてるのかもなぁ。ま、悪いこっちゃねぇがよ」


 マジの寝技に引きずり込まれたら、抵抗などできそうにないぞ、俺は。


「腕の方は本当に確かですよ。この前、浪人を子ども扱いしたように、まず、江戸であの女剣士に挑むものはいなくなりましたな」


 蔦重さんは相変わらずのヒソヒソ声だった。

 

「いなくなったって、前はいたんですか?」

 

 俺は、田沼様の推挙が無ければ、本来雇ったかもしれない浪人との立会を思い出した。

 わざと剣を捨てて、間合いを詰め、団子の串で相手を屈服させたのだ。それだけ見ても並みの使い手じゃない。

 で、異名が「屍山血河ざんけっか」だ―― つまり……


「あの美貌ですからな。懸想(けそう)する物は多かったようですが『己より弱い男にはとつがない』と言って、挑んできた男たちを、ことごとく血の海に沈めております」

「やっぱりそうですか……」

 

 まあ、大体、俺の思った通りだ。

 

「これは、本当です。そしてついた異名が『屍山血河しざんけっか」です」

「はははは、おもしれぇじゃねぇか。ワタル殿、嫁にしろよ。すげぇ面白れぇ。夫婦喧嘩したら、殺されるぜぇ。見てぇなぁ~、ワタル殿とその女剣士が夫婦になったところをよぉ」

 

 源内さん――

 人の人生を「面白い」で決めないで欲しいんだけど。

 全くこの人は、好奇心を満たす面白いということを最優先するからな。


「無理でしょ! だいたい『俺より強い奴を婿にする』とか『敗北を知りたい』みたいな女剣士が俺を選ぶわけないから」

「ん、ま、考えてみればそうかねぇ。ん、その通りかもしれねぇ」

「左様にございますが、田沼殿とて、無策では――」

「ま、そればかりはどうだかね? 本人に聞くわけにもいくめぇよ」


 という訳で、源内さんと、蔦重さんとの話は続いた。市山結花についてはこれくらいで終わり。

 後は、現在進行中のプロジェクトで「江戸城電化計画」については、源内さんのサポートが得られそうだ。

 二一世紀のテクノロジーを分析し、思いもよらない奇想を口にする天才がいるのは心強い。


 前倒しの計画になりそうな蝦夷地探索。そこの鉱山も源内さんは興味を持っているが、ずっと江戸を離れて蝦夷地に行ってもらうというのも困ると言えば困る。蝦夷地は遠すぎる。それに、もう人員は決定しているのだ。あの教科書に載っている最上徳内も下っ端として着いていくことになっている。


 問題は現代の資金だ。

 こればかりは、源内さんでも難しい。なんせ、映像でしか現代を知らないのだ。

 それに、この天才のリソースは、江戸時代で生かすべきだろう。


「ま、今日はこんなとこだろうよ」


 源内さんは言った。

 そして、源内さんと蔦重さんは出て行った。


「オレは、田沼様の屋敷に寄って秩父鉱山の件を報告してくるが、それとなく探りもいれといてやるよ」


 そう言って源内さんは田沼様の江戸屋敷に向かっていった。

 時間的には丁度訪問者がいなくなるころだろう。


「では、わたくしめは引き続き警護を、隣の部屋に控えておりますゆえ」

「わっ!」

 

 何の気配も感じさせず、後ろからいきなり声をかけられた。

 そもそも人の「気配」というのは、科学的に証明されており、空間内の音の反響状態が変化することを無意識が感知することで感じるものだ。

 それを感じさせないとか、どんな技術なんだ?


「土岐様は、正直者です」


 市山結花は黒く光る瞳で真正面からこっちを見つめ言った。

 唐突にだ。


「え…… 正直って――」


 江戸時代に存在しない、黒目を大きく見せるコンタクトでもつけているかのような大きな瞳だ。

 流麗なラインを描く二重まぶたに、長いまつ毛。

 

 柔らかそうな桜の花びらの色のような唇が笑みの形を作った。

 この美貌のままで、多くの男を血の海に沈めたのかと考えると、背骨が痺れそうになる。


「しかし、なにか大きな秘密をもっていらっしゃる。私など想像もつかぬような――」

「え…… それはいったい?」

「匂いです。私は人の匂いで、おおよその思い、考えていること、嘘もわかります」


 そう言って、彼女はすっと顔を俺の首元に近づけた。

 江戸時代の女性がいきなりこんなことをするなんて、俺は習ってない。


 市山結花は、俺の首筋の匂いを嗅いでいく。

 まるで、それは彼女に首筋を舐められているかのような感覚だった。

 吐息が耳元にかかる位置まで来た。温かくいい匂いのする吐息だった。


 彼女がふっと離れた。そして唇に妖艶とさえいえるような笑みを顔に浮かべていた。


「好みの匂いです。変わった臭いです。今までの男にはいませんでした―― ただ、ちょっと女の匂いが…… すこし……」


 唇に切れるような笑みを浮かべ、「屍山血河」の異名を持つ女剣士・市山結花は言ったのだった。

 俺の男の本能が、脳内で警戒警報を鳴らしていた。


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