46.時代を超えた両手に花は非常にやばい気がする

「先輩♥、先輩♥、先輩♥! 土岐先輩♥! 愛してますぅぅ♥!! 好きすぎて、もう京子はもう濡――」


 21世紀のアパートに戻って来たら、そこにはすでに田辺京子スタンバイしていた。


 俺は電動自転車から降りると、床に転がっていたビニールバットを手に取る。


 スコーン!!

 

 100円ショップのビニールバットが田辺京子の頭を直撃。

 なんともいえない、爽快で景気のいい音を立てる。

 大学の准教くせに、頭蓋骨の中になにも詰まっていないような音だった。

 

「いきなり、鬼畜な調教は厳しいですぅ~ 先輩♥」

「なにが、調教だ! 合鍵渡したけど、留守中に待ち構えているな!」


 勘違いとはいえ、自分を自分で「エロビッチ女」に改造してしまった田辺京子。

 出来上がった脳の「エロビッチ」ニューロン回路は、そう簡単には組み換えはできないようだった。


 つまり、俺の前では相変わらずのエロビッチ眼鏡チビのままだ。

 一応、俺の時代、21世紀では「ド変態後輩」から「変態彼女」とクラスチェンジしたのであるが。


 ただ俺に本気で一途に惚れていることは確かであり……

 で、協力者としては、絶対に必要な存在であることは間違いないわけで……

 なし崩しに「彼女」してしまったが、そのとき「合鍵」も渡していた。


 江戸改革事業には、田辺京子の知識は必須だし、俺を裏切るというか、秘密を漏らす心配もない。

 変態になってしまった彼女だが、その点における信用はだけは一〇〇%できる。


 だから「合鍵」を渡すくらいの譲歩は仕方ないかと思っていたが……


 確かに「留守中、京子のやつ入り浸ってるんじゃないかなぁ」と思っていたけど、本当に待ち構えていやがった。


 変態ビッチ行為に及ぶ可能性のある物――

 歯ブラシや、ごみ、洗濯前の下着類などは、江戸時代に行く前に、対処済だ。


 しかし、ダイニングキッチンの隅に見覚えのないものがあった。


 キャリーバッグだ。俺はそれに目を止めた。

 海外旅行とかにもっていくでかいのだ。

 少なくとも俺の持ち物ではない。


「あれなに?」

「あれとは?」

「あのキャリーバッグ」

「それは、私の先輩の家用、お泊りセットの入ったバッグなのです! 薄くても安心な物―― あッ、先輩は生が――」


 本日、二発目のビニールバット炸裂。


「もう、先輩は照れすぎなのですよ。もう、彼氏、彼女の関係なのですから♥」


 ズレた丸眼鏡(ハリーポーッターみたいなの)をかけ直し、髪の毛をてぐしで整える田辺京子。

 見た目が可愛く、愛くるしいだけに腹が立つ。勘違いで、こんな変態ビッチなったのは分かるが……

 もう、治そうという気が本人に皆無な気がしてしょうがない。


「とにかく、荷物のチェックしてくれよ。江戸から仕入れた物を見てくれよ。頼むから」


 江戸から買い集めた物品。

 かんざし、櫛などの小物や、漆塗りの小間物、着物など、色々積んであるのだ。


 ネットショップを開業して、江戸の動画を連動させ、現代でビジネスを展開する予定なのだ。

 そのあたりは、田辺京子の知識が役に立つというか、頼りなのだ。


「う~ん。仕事熱心な先輩は好き♥、好き♥、好き♥ 大好き♥なのですが……」


 もじもじしながら、田辺京子は言った。

 眼鏡の向こうの大きなクリクリした目で俺を見ている。もう瞳の中まで♥マークが出来ているじゃないかという感じだ。


(確かにコイツも見た目は可愛い…… しかし結花ゆいかさんはなぁ……)


 江戸時代で、俺の身辺警護をする女剣士・市山結花のことをチラッと思う。

 あの後、田沼意次とも事の次第を訊いた。肝心なことは、とぼけられたが。

 で、蔦重さんにも調べてもらって色々な背景は分かってきた。

 あっちも一筋縄ではいかんことになりそうなのだ……


 簡単に言ってしまえば、田沼意次は、完全に俺を自分陣営に引き込む保険を仕込んで来たのだ。

 俺が田沼意次を裏切る心配などないのだが、政争に明け暮れた彼としては十全の対策を立てたということだろう。


 蔦重さんからの未確認情報ではあるが、市山結花は、田沼意次の妾腹の娘らしいのだ。

 驚きだよ。

 田沼意次は、そのことを口にはしなかったが。タイミングを見計らっているのかもしれん。


 政略結婚――

 

 そんな言葉が頭をよぎってしまう。

 身辺警護のために雇ったのだが、それだけじゃすまない予感がひしひしと感じられる状況だ。


「先輩、何を考えているのですか? 今は京子のことだけ考えて欲しいのです」


 いや、お前のことだけ考えるような無駄な脳のリソースの使い方したくないから。

 俺はそう思うけど、まがりなりも「彼女」なのであるので、口にはしない。


「とにかく、仕事を片付けないとな」


 リヤカーには江戸からの荷物満載なのだ。

 これを売って、現代で資金を作らないと、江戸―現代交易もとん挫してしまう。

 ネットショップはまだ開業してないが、その準備はこっちの世界では最優先事項だ。


 すっと京子が俺に接近してきた。

 他人であれば、絶対にありえない距離まで近づいてきた。


「ん、なんだ京子――」

「先輩が私をギュッとしてくれたら、やります! ギュっとして欲しいのです。彼女として――」


 二六歳の有名大学、准教が乙女のようなことを言い出した。

 ちょっと俺の顔がぐんにゃりしそうになる。


「俺、汗臭いぞ。かなり――」


 嘘ではない。本当なら、即シャワーを浴びたいくらいだ。

「時渡りのスキル」で作った江戸と現代をつなぐ道を自転車漕いでやってきたばかりだ。


 俺は汗まみれだ。電動アシスト自転車といっても七〇〇キログラムの荷物搭載のリヤカーを引いて四キロメートル運んできたのだ。

 そんな感じで、江戸から戻ってきたばかりで、シャワーすら浴びてない。

 ただ、ここでシャワーを浴びると言い出すと「背中を流したいのです!」と京子乱入の可能性も否定できない。

 面倒だし、そこまで許す気にはならない。


「あ、汗が私の服につくとまずいので、私は服を脱いだ方がいいということですか?」

 

 お前の脳はどんな都合のいい解釈するんだよ?


「違うよ!! やめろバカ!」


 服を脱ぎだそうとする京子を俺は制止する。


「冗談なのです。ただ、先輩の匂いに包まれたいのです。久しぶりなのです。ギュッとしてほしいのです」


(まあ、それくらいないいか……)


 風呂乱入、裸の京子をギュッと抱くよりは、今のままギュッと抱くってなら、まだ許容範囲だなと思った。

 今までのあまりにビッチな言動に、俺のハードルもかなり下がっていたのかもしれない。


 俺は小さな田辺京子をギュッ抱きかかえた。

 小さく細い体だ。それでいてふわふわと妙に柔らかく、いい匂いがしやがる―― 京子のくせに。


「あ♥、あ♥、あ♥、あ♥、あ♥―― 先輩好きなのです…… 先輩…… あああ♥、あふぅ♥」

 

 とぎれとぎれの熱く荒く蕩けるような吐息が漏れていく。

 ビクビクンといきなり体が痙攣したかと思うと、京子の体がグタッとなった。

 小さな体から力が抜け、ズルズルとずり落ちていく。脚に力が入らないようだった。

 

「おい、大丈夫か?」


 京子は、俺の腕の中からずり落ちてその場にへたり込んだ。


「おい、京子」


 俺もしゃがみこんで、様子を見るため顔を近づけた瞬間だった。

 

「先輩ッ!!」


 京子の声が耳に、温度が唇に――

 それが、同時に感じられた。


 キスされた――


 京子が俺の唇に自分の唇を重ねてきた。

 チュッと唇と唇が触れるくらいの軽いキス。

 そして、数秒―― すっと唇は離れていった。


「えへへへ、先輩とキスしてしまったのです。京子の初めてなのです。幸せなのです」


 くそ――

 てめぇ…… 

 いきなり口の中にベロ差し込むとか、ベロチューみたいなビッチっぽいことならドン引きだったのに……

 このキス…… てめぇ、くそ、可愛いじゃねぇかぁぁぁ!! 乙女か! お前は!!


 俺の中に、なんとも言葉にしがたい理不尽な思いが湧いてくる。

 京子が可愛く見え、それを「アカン」と否定する気持ちがカオスになって訳が分からなくなってくる。

 ただ、それほど悪い気分ではない。

 

「もういいだろ! とにかく、仕事だ。仕分けしてくれ。荷物の仕分け!」

「はい、航さん」

「航さんって……」


 田辺京子が俺のことを「先輩」でなく名前で呼んだ。

 俺は、彼女から顔をそむけた。いい年こいて、顔が真っ赤になったのが分かったからだ。


 しかしだ――

 

 こりゃ、今後色々面倒というか……

 確かに、俺は大元帥明王様に「モテモテになりたい」っていったけど。

 

 現代で田辺京子。

 そして、江戸時代では市山結花。


 両方ともどうにも一筋縄ではいかない存在だ。

 時代を超えて「両手に花」というか――

 

 俺にはふたりの存在が、更なる非常に面倒くさい事態を招くのではないかと予感していた。

 そういう予感は俺の場合、よく当たるのだ。


 田辺京子は、俺が持ってきた荷物の仕分けを始める。

 なにか、ブツブツ言っているが、専門的なことなのだろう。


「先輩――」

「ん、何かあるのか? 問題でも」


 呼び名が「先輩」に戻っていた。本人も恥ずかしかったのかもしれない。

 ただ、俺は持ってきた荷物が痛んでいたのかと思って、ちょっと慌てる。


「護摩祈祷なのですが」

「護摩祈祷?」


 思いも書けない言葉が、田辺京子の口から出てきた。


「田沼意次が天明六年(1786年)五月一五日に行った降伏祈願の祈祷ですよ」

「ああ、それがどうした?」


 それが切っ掛けで、俺は田沼意次と組んで江戸の改革を始めることになったのだ。

 田辺京子にはちらりと話はしてあるが――


「それを現代でもう一度再現してみたいと思うのです!」

「え?」


 一四六センチの江戸時代の専門家にして、俺の押しかけ彼女――

 その存在が、とんでもないことを口にした気がした。

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