38.日本の近代化に必要な本当のモノ

 現代のエレキテルが、源内邸の一室を明るく灯している。


「蒸気機関ですか……」

「そう。造りてぇよなぁ~ もう、頭中じゃ仕掛けは分かってるんだよ」


 平賀源内の逸話には、温度計を一目見て仕組みを理解して、同じものを造ってしまったというものがある。

 今まで付き合ってきて散々感じているが、見たことない機械、装置でのその仕組みを見抜く、分析するという能力が異常に高い。

 脳の中でリバースエンジニアリングをしているとしか思えない。


「まあ、源内さんなら、あの資料を見れば、仕組みは分かるでしょうけどね…… 造るとなると」

「蒸気圧に耐える缶を造れるかってことかい?」


 源内さんは、蒸気機関製造のネックをきちんと把握していた。

 その上で、造り上げる確信があるのだろうか。


(設計が出来るとして…… 一八世紀江戸の冶金技術でそれを実際に製造できるのか?)


 俺は「うーん」と考える。

 俺はやらねばならないことを結構抱え込んでいる。

 蒸気機関を造るプロジェクトまで、同時並行で走らせるのは難しい気がした。


 二一世紀から持ち込んだ発電機の重低音が微かに部屋の中に聞こえてくる。

 今のところ、その音のことで周辺住民からの苦情とか、変な噂はたっていない。

 音は屋敷の外までは漏れていないようだ。


 源内邸は、金貸しの自殺と刑死が連続した訳あり物件として有名なのだ。

 夜中に江戸時代の人が聞いたことない機械音が聞こえていたら、噂になっているだろう。


(しかし、蒸気機関は危険だよなぁ……)


 蒸気機関は、高圧蒸気を缶の中に閉じ込めて、高圧蒸気を作り上げるシステムだ。

 缶の強度が圧力に耐えられない場合、大惨事になりかねない。


「強度の高い缶をこの時代で作れますかね……」


 チート級の天才がひとりいたところで、周辺技術が追い付いてなければ、蒸気機関は作れない。

 幕末には提灯職人が蒸気機関を造り上げているし、やればできるのかもしれないが……


 源内さんは煙管を取り出し、煙草を吸い始めた。

 一〇〇円ライターは自然な感じで使っている。


「半鐘造りの技術を利用すりゃ、缶は造れるだろ?」


 ふぅ~っと煙を吐くと、源内さんはそう言った。


「半鐘? 寺の鐘ですか?」

「おうよ、それ、似たようなもんだろ?」


 確かに似ている。

 寺の鐘をふたつつなぎ合わせれば、形としては缶のようになる。

 しかし、金属のつなぎ合わせとか―― 溶接や鋲打ちの技術は江戸時代にはない。


「鉄の輪こさえて、焼き嵌めで固めりゃ、頑丈にできるんじゃねぇか」

「焼き嵌め…… ああ、その手がありましたか――」


 熱膨張を利用して、鉄などを接合する技術だ。

 大砲などを造る時に利用されていた技術だ。

 戦艦大和の主砲とかも、内側と外側が熱膨張を利用した技術で接合されている。

 しかし、江戸時代にすでにあったのか……


「とりあえず、資料は持ってきます―― やってみますか」


「おう、さすが、ワタル殿だ。物分かりが良くて助かるぜ!」


 源内さんは新しいおもちゃを買ってくれると言われた子どものように目をキラキラさせ喜んでいた。

 まったくもって、いつものペースだった。

 源内さんには敵わない。


        ◇◇◇◇◇◇


 寺の鐘が夕刻を継げる回数だけ鳴り響く。

 もうすぐに陽が落ちるのだ。

 

「源内さんはいつまで江戸に?」


「おう、明日には秩父向けて江戸を出ちまうがな。その前に、顔は見せておいた方がいいだろぉ」


「そりゃ、そうですね」


 俺と源内さんは 神田上町の上屋敷にある田沼意次の江戸屋敷に向かっていた。

 源内さんは田沼意次の非公式ブレーンのような存在だ。まあ、今の俺の立場も全く同じようなものなのだけど。


「秋の日は釣瓶落とし」というが、江戸はもう晩秋なのか、一日が短い。

 幕政のトップともいっていい田沼意次の上屋敷は、昼間は訪問者でいっぱいだ。

 だから、訪問は夕刻をすぎてからということになる。


「田沼様の屋敷はいつみてもでけぇなぁ。土岐殿の屋敷もこれくらいの大きさにするかい? そう蔦重に言っておくけどよ」

 

 ニヤニヤ笑いながら源内さんはいった。

 田沼意次の江戸屋敷の囲いの前だ。俺たちは裏口の方に回って歩いていく。

 

「そんなデカイ屋敷…… まずいでしょ。それは」

「ま、そんな屋敷はねーだろうけどなぁ」


 源内さんが秩父鉱山の仕事で向こうにいる間は、とりあえず留守番もかねて、居候ということになった。

 ただ、江戸に住むための屋敷だけは先に決めておこうということになった。

 明日、源内さん方から蔦重さんに話をしてくれるとのことだ。


 江戸時代には、不動産屋は無い。

 となると、不動産仲介業のような商売を始めれば、儲かるのかもしれないが、それはまた後で考えることだ。

 とにかく、そういった関係の口利きに人間に伝手を当たって物件を探すことになる。

 中古でも貸家でもいいし、土地があるなら新築でも構わないと言ってある。


 ただ、そこそこの大きさの建物が必要だ。

 塾もそちらに移すし、江戸での事業拠点とする予定のところなのだから。


 すでに周囲は薄暗がりが広がっていた。

 裏口の前にポツリと立っている人影が見えた。


「よう、三浦殿」

「これは、源内様、土岐様。こちらに」


 田沼意次の用人三浦庄司が、裏口に待っていた。

 彼は一応周囲を警戒しつつ、俺たちを中に招き入れる。


 田沼意次は筆頭老中として幕政の主導権を握る権力者であるが、成りあがり者として政敵も多い。

 身元不明の俺や、江戸時代という枠の中で自由人のような平賀源内と深く繋がっているというのを知られると何を言われるか分からんのだ。

 それで、失脚どうこうの問題にはならないだろうが、わずらわしいことは避けた方がいい。


「大書院にて殿がお待ちになっております」


 俺と源内さんは、三浦さんに先導されて田沼意次の江戸屋敷の中を移動する。

 中に入ると更に広さを実感できる。廊下が長いこと……

 ただ、もう別に案内など必要ないのだが、まあこれも彼の仕事なのだ。


「今日も訪問者は多かったのかい?」

「もう、毎日大変にございますよ」

「さすが、天下の田沼様ってことだな」


 源内さんと三浦さんが話をする。

 権力者に取り入ろうとして、訪問する人間はいつの時代でも多いのだろう。

 後世で田沼政治が、ワイロ政治といわれたのもその辺りに理由があったのかもしれない。

 手ぶらで訪問する陳情者は、いないだろうから。 

 そういえば、松平定信は、田沼意次にワイロを渡そうとして、断られたことがあったらしい。


 俺は何処かで知った知識を反芻しながらふたりの後を歩くのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


「ほう…… 秩父鉱山開発は順調か」


 田沼意次は、平賀源内から渡された鉱石を手に取って言った。

 握りこぶし二つ分より少し大きなくらいの鉱石だ。

 白っぽい大理石に近い感じの色をしている。


「金銀が出ることは間違いなしです。それもかなりの量が」


「確かに、光っておるのぉ。これが金か?」


 その鉱石には、細かい金色の粒子が混ざっていた。

 田沼意次は、乾電池式のランタンに鉱石を近づけ、クルクルと回しながらそう言った。

 ランタンの光でキラキラした粒子がよく分かるのだろう。


「もうちょいと掘れば、ドカンと鉱脈にぶつかるでしょうな」


「ふむ…… であるか」


 そう言って田沼意次は同席している息子の田沼意知に鉱石を渡した。

 意知さんが鋭い目でジッと鉱石を見つめる。


「金銀、どの程度の産出が期待できるのか――」


 彼は、問いかけたというより、まるで独りごとのようにそう言った。

 

 鉱石を手に取ったことで意知さんの上腕部分が見えた。

 なんだか、ずいぶんと腕が太くなっている気がした。

 顔つきも肉が削げて精悍さを増している気がするのだ。


「金銀が五三万貫だっけか? ワタル殿」


 源内さんが以前、俺が上げた数字を言った。現代の単位でいえば二〇〇〇トンだ。

 最盛期には一年でそれだけの鉱石が採掘されているのは歴史的な事実ではある。


「まあ、一五〇年後の最盛期には一年でそれくらいですかねぇ」


 俺は源内さんの言葉に説明を加える。

 田沼意知は「ふむ」という感じで頷くと、鉱石を源内さんに返した。

 

 そして、父である田沼意次に顔を向け、口を開いた


「幕府に金の力があれば、商人の力に振り回されることもなくなり申すというもの。世は金の力がモノを言うようになっておりますからな」


 下賤な言い方をすれば「銭勘定」。

 高尚に言えば「経済」とか「金融」的なこと。

 その点に関して、田沼意次の後継者である意知は、かなりセンスがあるような気がする。


「そのために動いておるのだからな。『貸金会所』の開設が早期にできれば、この国の有りようも変わろうと言うモノだ」


「父上のお言葉通りにございましょう」


 田沼意知は父の言葉に応えた。

 親子とはいえ、田沼意次の目指す政策が理解できるというだけで、この時代では特殊な存在と言っていい。

 親の七光りだけのボンボンではないのだ。

 史実でも、彼が暗殺された後、喝采を上げた(偶然、直後に米価が下がったので)多くの人の中で彼の才能を惜しんだ人もいたらしい。


 しかし、俺は田沼意知の雰囲気が変わったことが気になった。

 大名の跡取りというより、まるで、剣の道に生きる侍というようなオーラを発している気がしているのだ。


「意知様、なにか雰囲気というか、佇まいが変わりましたね。腕も随分と太くなったような気がしますけど」


「少々、武芸に励むようになった」


 短く強く、そしてきっぱりと彼は言った。


「そうですか……」


 まあ、武士が武芸に励むのは別に不思議でもなんでもない。

 しかし、それだけで、こんなに雰囲気が変わるのか?


「コヤツ…… 素手で剣に勝つことを考えておるのだ」


 呆れた様子で田沼意次が言った。


「素手ではございませぬ。鎖帷子を着こみ、急所は防具にて、刃は防ぐ所存にて」


 すごく物騒な話の流れになって来たんだけど。

 あれ? 暗殺対策の話なの?


「おいおい、何をやろうってんだい?」


 源内さんが声を上げた。


「城内で佐野めを返り討ちにする所存。城内にて兇刃を振るった莫迦を叩きのめす」

 

 そして、意知はグイッと右腕をまくり上げ上腕を見せつける。

 鍛え上げられた太い上腕が露わとなった。


 彼は自分を暗殺する佐野政言を返り討ちにする準備をしているのだ。

 一七八四年(天明四)、若年寄になった田沼意知は、城内で佐野政言に斬りつけられ殺される。

 五年後の話になる。

 

「いや、そういう流れにならないように、佐野政言をうまく取り込むとか……」


「明確に何が原因か分からぬのであれば、まずは起きると思って備えるのが侍であろうかと」


「確かに、原因は色々な説があって、俺の時代でも明確な答えは出てないですけど」


 佐野の暗殺の動機は今もってよく分かっていない。

 佐野が家系図を田沼意知に渡して、それを返してくれなかったことや、ワイロを渡したのに無視されたとか、黒幕がいたとか……

 確実に、防ぐという方法があるかと、問われれば確かに一〇〇パーセントな事前対策はないような気もする。


 しかし――


「土岐殿」


 色々考え込んでいる俺に、意知が声をかけた。


「なんですか?」

「土岐殿の世に、進んだ武術、体術はござらぬか? 相手が知らぬ技術があればよいのだが――」

「それは…… 無いことは無いですけど――」


 そして俺は、二一世紀から「ブラジリアン柔術」とか「クラヴ・マガ」とか「システマ」とか「自衛隊格闘術」の本や動画を持ちこむことになるのであった。

 田沼意知のために――


        ◇◇◇◇◇◇


「蒸気機関―― ほう…… それは、国のためになるのか?」


 田沼意次は「幕府のため」ではなく「国のため」というように訊いてきた。


「なりますよぉ。もう、これができりゃぁ、なんでもできますよ。すげぇことが」

「ほう……」

「もう、凄いですよ。田沼様、あれもこれも、みんな変わっちまう」

「変わる? なんでもとは―― どうなるのだ一体?」


 さっきまで、ペラペラと蒸気機関の説明をしていた源内さんの口が止まる。


「どうしたのだ? 源内」


 身を乗り出し、田沼意次が再度問いかける。


「鉱山開発にも役立ちそうですし、船とか、機巧の動力だって、色々―― あれです……」


 源内さんの頭では色々なことが思いついているのだろう。

 手をクネクネと動かし何かの仕組みを説明しようとしているようだった。

 見ていると、頭の中にアイデアが溢れかえり、収拾がつかなくなっているような感じだ。


 その動きをピタッと止める。

 源内さんはキュンと首を回して俺の方を見た。


 溢れるアイデアを細かい言葉で、説明するのが面倒になったのだろう。


「なあ、ワタル殿、凄いことになるんだろう?」


 で、俺に丸投げだ。


 俺は苦笑交じりに説明を始める。


「そうですね。田沼様が見た二三〇年後の世界、人や馬や牛が無くとも動く機巧の初期のものが作れるようになります」


「ほう…… なるほど。それは凄いことよ」


 実際に二一世紀を見ている田沼意次にはこの説明が分かりやすかったみたいだ。

 すでにイギリスでは有名なワットの蒸気機関が動き始めている。

 船や機関車が登場するのはもう少し先だ。

 そして、産業革命がおこり、日の沈むことなき大帝国が生まれるのだ。


 日本も近代化を進め、百年早く、ヨーロッパ諸国と同じ場所に建てるかどうかということでいえば、蒸気機関は重要なハードだ。

 

 だけど、近代社会は蒸気機関だけじゃ産まれないということも俺は思う。

 それは、ちょっと前から思っていたことでもある。


「田沼様、私はこの時代で塾をやっております」


「聞いておる。蘭学者を中心に新しき知識を広げること。国のためになることよ」


「それはそれでいいのですが……」


「ほう、なにが言いたい? 思うところあれば、遠慮することは無いぞ」


 ニィィッと田沼意次が笑みを浮かべる。

 本人は友好的な笑みを浮かべているつもりだろうが、どう見ても悪人顔のなのだ。

 本人のせいではないが。


「教育です。武士も百姓も無く、平等で体系だった教育。それが国のために必要だと思います」


 俺は江戸時代の常識からすれば、禁忌ともいえることを口にしていたのだった。

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