37.源内の辞書に「自重」の文字はない
料亭での話は、現在の情報の共有とか、商売の状態なども確認した。
商売は順調そのものだった。
余剰金は、年末を待たずして5万両を超えるかもしれなかった。
金持ちがため込んだ行き場のない金が二一世紀から持ち込んだ商品に、流れ込んでいたのだった。
で、俺は講義の真っ最中だ。
蘭学者。主に蘭学医の前で、講義をしている。
杉田玄白の塾である「天真楼塾」を間借りしての講義だ。
一番後ろで、源内さんが立ってこっちを見ている。
見学に来たのだった。
(蒸気機関か…… それはなぁ~)
源内さんの顔を見て、先ほどの料亭での話した「蒸気機関」のことを思い出す。
クリアしなければいけない問題は多そうな気がするのだ。
俺は講義の方に頭を切り替えた。
「で、米ぬかです。簡単に入手できると思います」
俺の前に大きなビーカーが置かれている。
二一世紀から持ち込んだものだ。
こういった機材がハッタリになる。
「このようにして、三〇匁(一一二グラム)の米ぬかを水につけます。一日くらいは漬けておきます。そうしますと、水の中に脚気を治す滋養が溶け込むのです」
今、講義しているのは、脚気治療の手軽な方法だ。
ビタミンB1は水溶性なので、水に漬けておけば、その中に溶け込んでくれる。
江戸時代にビタミン剤を持ちこみ、売るのは出来なくはない。むしろ売りたい。
ただ、大量の患者に供給できるほど、持ちこめるかどうかが分からない。
どれくらいの患者がいるのか、分からないのだ。史料を見てもはっきりしないが、相当なかずであることは確かだ。
ビタミン剤は金持ち用の薬として、お金儲けに専念しておこうと思っているのだ。
江戸では白米山盛りで食べて、おかずをあまり食べない。
それで、ビタミンB1が欠乏する脚気が生じる。
いわゆる「江戸患い」である。その原因についてはもう講義を行っていた。
今回は、それを治療するための、ビタミンB1の簡単な抽出方法と、摂取方法を教えているわけだ。
まあ、玄米を喰えば治るのだが、それを信じて患者が実行するかどうかが分からん部分もある。
この時代の人間にとって白米は抗いがたい魅力があるのだ。
それに、重症の脚気患者には玄米食だけでは通用しないのが、調べて分かったのだ。
というわけで、米ぬかによる薬の作り方を講義しているのだ。
「それを患者に飲ませるのですか?」
杉田玄白が質問でしてきた。本来であれば、この塾で教えている立場。
この時代の蘭学者ネットワークの中心人物。当然、教科書に載っているし、テストにも出てくる人物だ。
「一気に飲むのは難しいですし、一度に飲んでも滋養が吸収できないのです。ですから、何回かに分けて飲んでもいいです」
歴史的な蘭学医に俺は、二一世紀のにわか知識で講義するのだった。
ビタミンB1の一日の必要摂取量は1.1ミリグラムだ。
この方法であれば、十分にその量が摂取できる。
「ふむ…… しかし、中々、飲みづらそうですが……」
「いえ、それほどでもないですよ」
俺は米ぬかを漬けた上水を匙ですくって飲んだ。
(うっ…… やっぱ、クソ不味いいぃぃ……)
俺は「クソ不味いです」という表情をしないように必死に笑顔を作る。
俺の表情を見て、後ろで見学していた源内さんが、プルプル震えていた。
笑いをこらえているのだろう。
そんなに、俺は変な顔をしたのか?
俺は、この「土岐総研塾」で病気の治療法や英語、世界情勢、天文なんかの講義を行っている。
「英語」「理科」「社会」という感じだ。
英語は幕末に出版された「英語箋階梯」を持ちこんでいる。
なんとネット通販で二一世紀でも買えるのだ。電子書籍として。
塾講師だった俺だが、教科書レベルの蘭学者たち相手の講義は緊張する。
しかも、今日は江戸に戻ってきた、源内さんが見学に来ているのだ。
「まあ、良薬口に苦しという言葉もありますので―― 死にたくなければ、飲めということです」
二一世紀から持ち込むビタミン剤との住み分けだ。
江戸では庶民も白米を喰う。よって脚気になるのは金持ちだけじゃない。
庶民は「米ぬか抽出液」、金持ちは「ビタミン剤」で行くという方針だ。
それが、結果としてより多くの人を助けることになると思うし、現実的だった。
◇◇◇◇◇◇
「さすがだぜ、土岐先生よぉ。オレゃ感心したぜぇ。ありゃ、分かりやすい」
久しぶりに自宅に戻った源内さん。
ポリポリと「カキの種」食べながら、ビールを飲んでいる。
ちょっとほろ酔いだったのか、俺の講義を褒めてくれた。
「まあ、ボチボチですけどね……」
なんか、この人の褒められると嬉しいというか、自信みたいなものが湧いてくる。
天才が認めているということになるからか。まあ、俺はただ時代のアドバンテージに乗っかっているだけだけど。
「ま、米ぬか汁を飲んだ顔は傑作だったがよ」
「いや、あれ不味いですよ。どうやって飲ませるか、工夫が必要かもしれないですね……」
「死ぬよりゃ、マシだがな」
源内さんは笑みを浮かべ、講義で俺が言った言葉を繰り返した。
部屋の外では、発電機の音が響き、中は夜にも関わらず、現代と同じくらい明るい。
小さいながらも冷蔵庫もある。ビールはそこでよく冷えている。
江戸城が電化したら、冷蔵庫は持ち込む最優先の家電になるだろう。重いけど……
「しかし、源内さん。蒸気機関って…… かなり大変ですよ。それに秩父鉱山じゃ必要ないのでは?」
俺と源内さんは、蒸気機関について話をしている。
料亭でも少し話したのだが、その続きだった。
源内さんは、俺が持ちこんだ史料で蒸気機関の存在を知ったのだ。
そして、それが最初はどういう風に使われていたかも知っているはずだ。
蒸気機関は、まず鉱山の水を排出する機関として発展してきた。
この時代、遠く離れたイギリスでは、ガンガンそいつが動いてはいる。
ただ、秩父鉱山では排水の問題は解決していると言っていたはずなのだ。
「秩父だけじゃねぇよ。鉱山は日本中にあるんだろ?」
「まあ、そうですね」
二一世紀から江戸時代に、鉱山分布地図を持ちこんでいる。
蝦夷地には全く手をつけていない鉱山が山ほどある。
それ以外にも、高品質の金鉱脈を持つ、菱刈鉱山なんかもこの時代は手つかずだ。
鹿児島県なので、薩摩藩の領地内になるのだろうが……
結構、微妙だ。
「どっかで必ず必要になるぜ。それに、オレらっていうか、この時代の人間の手で造ってみるってのが大事なんだと思うんだよ」
「まあ、持ってこいと言われても、蒸気機関なんて、持って来れないですけどね」
リヤカーで運べるものしか持って来れないのだ。
一台のリヤカーで七五〇キログラム。
二台合わせても、一五〇〇キログラムが一度に運べる量なのだ。
しかも、輸送ラインは、電動補助自転車と俺の脚に支えられている。
「大量の鉄と、石炭も入りますか…… まあ石炭は、しばらくは木炭で代用できるとしても、鉄ですね――」
江戸時代の鉄の生産量は、時代によって増減して、約一万トンといわれている。
需要に対し、それほど多くなくだから鉄製品は高価なものだ。
「その鉄で缶を造る。完全に密閉して、高(たけ)ぇ圧力に耐えるようにすりゃいいわけだろ?」
「まあ、そうですけどね」
「なあ、やろうぜぇ、ワタル殿ぉぉ。オレ、蒸気機関造りたいんだよ。あんだろ? 資料はもっとよぉ」
「秩父鉱山はどうするんです」
「だから、秩父で造るんだよ。動力ができれば、鉱山じゃ使い道はいくらでもあるんだ。排水だけじゃねぇよ」
江戸の天才科学者は、二一世紀から持ち込んだ灯りよりも目をキラキラさせて俺におねだりするのだった。
この天才の辞書に「自重」という言葉は無かった。
■参考文献
現代知識チートマニュアル(著)山北篤
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