29.ソチと共にしゃわぁを浴びたい
「ふむ、籠よりは、乗り心地がよい」
田沼意次がリヤカーの上で言った。
俺は「時渡りのスキル」で作ったタイムトンネルの中を移動中なのだ。
道は、舗装された以上にツルツルなので、そりゃ乗り心地はいいだろう。
俺は前のリヤカーに老中・田沼意次を乗せ、後ろのリヤカーには千両箱、着物、刀の鍔、簪(かんざし)、漆器やらを積んで引っ張っている。
普段より軽いと言えば軽い。
「田沼様、絶対に落ちないで下さいよ。絶対にですよ」
「分かっておる。ソチが普通に曳いておれば、落ちることもなかろう。土岐殿」
このタイムトンネルを通って一八世紀の江戸と二一世紀の現代を行き来できるのは、俺と田沼意次だけ。
しかし、田沼意次は自力では移動できない。俺が運ぶという条件付きで移動ができるのだ。
絶対にリヤカーから落ちてはいけない。
俺にこのスキルをくれた大元帥明王様によると、落ちると「この世の因果の外に吹っ飛ぶ」らしい。
身体の一部でも下に触れたらアウト。
ちなみに、自転車とリヤカーと俺の履いている靴は、後から「セーフ」というルールを付け加えてもらったものだ。
今思うと、原付きバイクくらいまで粘って交渉すればよかったかなと思う。
現代と江戸をつなぐ輸送インフラは非常にか細いのだ。
電動アシスト自転車で引かれた、最大積載量三五〇キロのリヤカー二台しかない。
いずれは、江戸の時代に「生産移転」しないとどうにもならなくなるだろう。
そのためには、現代から、工作機械を持ちこみ、それを使える人間を江戸時代で養成する必要もでてくるだろう。
まあ、それはまだ先の話になりそうではあるが。
「田沼様、今回は夜九つ(深夜〇時)までに戻るんですね」
「うむ、時間は限られるが、今しばらくは仕方あるまい」
七年後の未来、自分の失脚を知ってる田沼意次は、多忙を極めている。
中々城を空けるということはできないのだ。
政敵になると思われる徳川(一橋)治済、松平定信対策。
蝦夷地調査の準備、根回しも悠長にはできない。
さらに、三年後には天明の大飢饉が迫っているのだ。
老中の通常城勤めは午前一〇時から午後二時くらいだ。
しかし、それ以上に彼は働いている。
今回は午後に江戸を出発、俺の自宅周辺。つまり鮒橋周辺を視察して帰還する予定だ。
鮒橋市は人口六〇万人を超え、二一世紀の日本で政令指定都市を除く最大の都市なのである。
人口で言えば、当時の江戸の半分くらいであるが、二一世紀の日本のサンプルにはちょうどいいだろう。
「下総船橋…… 鹿狩りを行った辺りか」
江戸時代の鮒橋は、成田山詣での街道が通り、宿場町でもあったが、漁村でもあった。
そして、鮒橋とか習志野あたりは、だだっ広い原っぱが広がっていた。
「今は、かなり開けてますけどね」
俺は少しだけ「郷土愛」を感じながら言った。
後は見ない、万が一のことがあるといけないので前を見つめて自転車を漕ぐのである。
「ふむ、楽しみであるな…… ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……」
田沼意次のワクワクとした喜びの声が聞こえる。
俺は、前を向いていたので顔は見えない。
ただ、相変わらず、その笑みは「悪人面」何だろうなと思った。
◇◇◇◇◇◇
「あ、暑いのぉぉ―― こちらは盛夏か」
田沼意次の第一声。
締め切った俺のアパートの2DKに充満した灼熱の空気が肺に流れ込む。肺が焼けそうになる。
田沼意次は着ている着物の襟を開き、汗を拭いた。荒い呼吸を繰り返している。
田沼意次は、さほど派手ではない着物を着ている。
ただ、真夏にこの格好は目立つかもしれない。
「出かける時には、こちらの着物を貸しますので、それで行きましょう」
「確かに、この暑さはたまらぬ」
向こうが八月で、こちらは七月だ。
それに新旧の暦のずれが加わって、季節はずれている。
江戸は秋に入っているが、現代はこれから夏本番だ。
これから更に暑くなるのだ、連日三五度越えの日々がやってくる。
「今、エアコンつけますので。どうぞ、座って、あと、飲み物はコーラでいいですか」
「うむ、頼む」
田沼意次は椅子に座ると「ふぅ~」と息を吐きだした。
現代人の部屋に来たという驚きよりも、まずは暑さに驚いたようだった。
俺は、エアコンのスイッチを入れる。
そして、冷蔵庫からコーラの二リットル入りペットボトルを出す。
さすがにラッパ飲みはできないので、氷を入れたコップに入れて出した。
「ギヤマンの器に、夏に氷―― これが、モノを冷やせる源内のとこにもあるという機巧(からくり)か?」
「冷蔵庫ですね。エレキテルで空気を冷やしておくわけです」
「恐るべきよな、エレキテル……」
そう言って田沼意次はグッとコーラを飲んだ。一八世紀の江戸人だがコーラが好きなのだ。
喉が渇いていたの、一気にごくごくと飲んでいく。
「むぅ…… 風が冷たい――」
エアコンの冷風がゆるゆると流れてきたのだ。
買い換えたばかりなので、性能は良い。
「ああ、エアコンが効いてきましたね」
「えあこん?」
「空気を冷やす機巧(からくり)ですよ」
「窓を開けずともいいのか? おお、窓もギヤマンの一枚板―― これほどの大きさで……」
「ああ、窓はいいんです。閉めておいてください」
「江戸城にエレキテルが引ければ、『えあこん』も使えるのか? 土岐殿」
「うーん…… できなくはないですが、部屋を改造しないとダメでしょうね」
「ふむ……」
江戸時代の家屋は隙間が多い。湿気対策で風通しを良くするためだろうと思う。
エアコンを設置することはできるが、部屋の機密性を高めるような改造も必要だろう。
「部屋の隙間をしっかり塞げば、いいと思いますよ」
田沼意次は俺の言葉に、頷くと落ちついてきたのか、ようやく周囲を観察し始めた。
「そうか…… しかし、やはり二三〇年後の世界、珍奇なモノが多いのぉ…… ぱそこんか? これは」
液晶テレビを見て、田沼意次が言った。
彼が今まで見た二一世紀の機械では、確かに似ているといえる。
「これは、テレビと言ってですね、エレキテルの力で色々な場所で起きていることや、芝居とか相撲とか見れるわけです」
「ほう……」
俺はスイッチを入れた。電子の映像が液晶に映し出される。
ワイドショーか何かの番組だ。
「なるほど、珍奇な格好よ…… 誰も髷をゆっておらぬな」
すでにパソコンの動画を見ているので、テレビではそれほど驚きはしなかった。
エアコンが効いてきて、部屋は大分涼しくなってきた。
ただ、俺の身体は汗でべとべとだった。
約四キロの道のりを電動アシスト付きとはいえ、荷物を引いて漕いできたのだ。
「すいません。ちょっと汗を流してきます」
「ぬ、行水か?」
「似たようなもんですよ。『シャワー』っていますけどね」
「『しゃわぁ』とな‥… これまた、興味を惹かれるものよ……」
田沼意次は基本的に、新しいモノ、未知なモノ、珍奇なモノが好きなのだ。
でなければ、あの平賀源内を評価して、ブレーンとして起用するわけがない。
「いや、ただ水が噴き出す仕掛けですよ。それほどのものじゃないですよ――」
「ふむ…… そうか」
「江戸の街だって水道引いてあったじゃないですか、その点じゃ二三〇年後も似たようなもんです」
「確かに、江戸には水道があるが…… 『しゃわぁ』なるモノ、気になる」
ジッと俺を見つめて「それ見たい」とキラキラした目で訴える御老中様だった。
まあ、俺がシャワー浴びている最中に、ご老中が乱入。
でもって、訳の分からぬ「誰得」のラッキー助平状態になるよりは、先に見せた方がいいかと思った。
「大したものではないですけどね…… 見てみます」
「おお! それでこそ、土岐殿よ!」
ダイニングを出ると、ムッとした空気がまたしても俺たちを襲う。
俺は風呂場に田沼意次を案内する。
「ここが風呂場ですよ。で、これが『シャワー』です。この管を水とかお湯が通って出るわけですけどね」
そう言って俺はシャワーから水を出した。
「おおッ!! これはッ!」
「仕組みは簡単ですからね。似たようなものなら、江戸でもすぐ作れますよ」
高いところに水の容器を置いて、そこから、管を通して、小さな穴の開いた部分から水を出せばいい。
思いつけば、江戸時代の銭湯でも実現できるものだ。
「じゃ、俺は汗を流しますので――」
言外に「すいません、出て言ってくれませんか」という意味を込めて俺は言った。
しかし、田沼意次はジッとシャワーから流れる水を見つめていた。
「土岐殿……」
重々しく田沼意次が口を開いた。
「共に、その『しゃわぁ』を浴びてみたいのだが」
「はい?」
「ワシもソチと共にしゃわぁを浴びたいのだ」
「共に? 一緒にですか?」
「然り――」
「え…… ひとりずつ交代とかだめですか?」
天下の老中の望みである、田沼意次にシャワーを浴びさせないと言うつもりはない。
だけど「一緒に」と言うのは勘弁してほしいのだ。
なんで、老中とはいっても、初老に差し掛かったおっさんとふたりでシャワーを浴びなければならぬのか?
「ひとりでは、心細い。二三〇年後の機巧をワシだけで使いきれるか……」
「で、一緒にシャワーですか? そんな、使うのは難しくないですけど……」
携帯ガスコンロで湯沸し、カップめんを食べる人なら、シャワー使うはわけないと思うのだが……
汗を流そうと、風呂場に来たら、別の意味で、背中に嫌な汗が流れてくる。
しかし、老中だし、そんな無碍にもできないし……
その時―――
ボボボボボボボンと、ドアを連打する音が響いた。
呼び鈴も連続して鳴った。
「先輩!! 先輩!! 先輩!! 土岐先輩! いるのですね!! 電気のメーターがクルクル回っています! いますよね! 先輩! 愛しているのです! 開けてくださーい!」
エロビッチ眼鏡チビ……
田辺京子だった。
なぜ、このタイミングで―――
奴は昼間は、大学で講師をしているはず……
あっと思う。今日は何曜日なのか――
俺は、曜日感覚が喪失していた。慌てて頭で丁寧にカレンダーを確認する。
そして、今日が土曜であること。
土曜はアイツが休みであったことを思い出した。
前門の田沼意次――
後門の田辺京子――
今、俺はそう言う状況に追いやられていた。
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