28.江戸近代化のための進行中プロジェクトと優先事項

「うむ…… やはり『キムチ味噌味』はよいな――」

「父上、『かれぇぬぅどる』が頭一つ抜けているかと思われまするが」

「確かに、それも旨い―― 否定はせぬ」

「で、あれば――」

「鮮烈な旨さはある。しかし、『辛み』と『めん』の程よい組み合わせでは『キムチ味噌味』が上よ……」

「それは、父上の意見とは思えませぬ。『かれぇぬぅどる』のめんに絡むトロ味は『キムチ味噌味』を明らかに凌駕いたしましょう」

「ほう―― 言うではないか。意知よ」


 親子のカップめん談義を俺は聞いていた。

 老中・#田沼意次__たぬま おきつぐ__#と息子の#田沼意知__たぬま おきとも__#が「ズルズル」とカップめんをすすりながら話してるのだ。


 俺は「キムチ味噌味」でも「かれぇぬぅどる」でもどっちでもいいけど。マジで。


 俺は、チラリと時計を見た。刻限はかなり遅い。

 現代から持ってきた時計は、夜の一〇時過ぎであることを教えている。

 田沼意次の江戸屋敷の一室。大書院の間だ。乾電池のランタンの光がほぼ現代と同等の明るさを作りだしている。


 その広い部屋の真ん中に俺を含む三人が集まっている。

 俺は、ポリポリとポテトチップを喰って、コーラを流し込む。

 別に食事会をしているわけではない。

 

 田沼政治のこれからのこと「江戸の改革」についての話し合いをしているのだ。 

 カップめんや菓子はあくまで偽装―― のはずだ。

 日本家屋は、防音性ではなんの期待もできない。


 だから、一番広い部屋の真ん中でぼそぼそ話をしているわけだ。

 それでも外に話が漏れる可能性はゼロとは言えない。

 そこで「商人が珍しい菓子を田沼様に進呈して、商売の相談している」という偽装をしている。

 しかし、二一世紀から持ち込んだ嗜好品は、田沼親子を虜にしていたのだ。


 特にカップめんについて語りだすとこのふたりは止まらなくなるのだ。

 一八世紀の江戸時代の人なのに。


「あの~ 田沼殿」


「ぬっ、土岐殿はどちらを支持されるのか? やはり『キムチ味噌味』のカップめんであろうよ」


 田沼意次は「キムチ味噌味」のカップめんを握って俺に迫る。


「いや、それは後にしてですね。別件で……」


 俺は声をひそめて言った。

 声を小さくすることが、逆に大事なことを言うというシグナルになる。


「うむ…… そうか――」


 トンと「キムチ味噌味」のカップめんを脇に置いて、田沼意次が言った。

 ちょっと、口の周りが赤くなっている。

 俺が話を本題に戻すことを察したのだろう。

 息子の意知も「かれぇぬぅどる」を置いた。


「江戸の蘭学者をまとめることはできそうなんですよね」


「さすが、大元帥明王の使いということか…… 土岐殿」


 田沼意次が感心の声を小さく上げた。


「して、それにより、国家の益はいかほどでしょうかな」


 まだこの時点では無役のはずの田沼意知が俺に言った。

 この人に関する史料はあまり残っていない。

 業績を残す前に、若くして死んでしまったこともあるだろう。

 

 ただ、父親のなさんとすることの意味は理解している。

 だからこその、今の質問だ。

 江戸時代の産んだ、最も開明的な政治家・田沼意次の後継としての資質は十分に持っているのだろう。


「この時代の最高の頭脳集団ができますよ。それは――」


「確かにオランダは医学、航海術、様々な分野で進んでおると聞き及んでおりますそれを学ぶ者なれば、土岐殿の時代と我らが時代の橋渡しになるやもしれまぬな」


 田沼意知は俺の言葉を最後まで聞くことなく、そう答えた。ご明察だ。

 それだけで、彼がボンクラな二代目ではないことが分かる。


「二三〇年先の知見、技術は驚くほどよ。だが、それを学び、理解出来るモノが出てこなければ話にならぬ」


 田沼意次が息子の言葉を受けて言った。


「源内さんくらいの天才がたくさんいれば……」


 俺は「いいんですけどね」と言いかけてやめた。

 想像したら、何か怖くなった―― あれはひとりで十分だ。


 たくさんいたら、それはそれでなんか色々問題がありそうな気がする。

 あまりに「チート」過ぎるし、悪い人ではない(むしろ良い人)が、性格が破天荒すぎる。

 今は、秩父で何をやってるんだろう……


 平賀源内は、一度失敗した川越藩内の秩父鉱山の再開発に取り掛かっている。

 この鉱山は昭和初期には、金銀などの産出量で日本屈指の存在となる。

 他にも鉄鉱石など様々な鉱石を算出する。


「しばらくは、杉田玄白殿の塾を間借りして、講義をしますが…… そろそろ江戸でも家を持ちたいと考えてまして」


「家か…… 江戸に屋敷―― 確かに必要であろうな」


 以前から考えていたのだが、二一世紀と江戸の往復で忙しくて中々江戸の街に家が持てない。

 今は、留守にしている平賀源内邸に居候。

 で、発足したはずの「土岐総研塾」は間借り状態だ。


 田辺京子から、江戸の不動産の予備知識は聞いていた。


『先輩、店を構えた不動産屋というのは、江戸にはないので「口入り」から買い入れるとか、借りるとかになると思いますよ』と、教えてもらっている。


 この情報を聞きだす前に、京子は「先輩と一緒に住んで、じっくり教えたいです?」とかふざけたことを言ったので、当然ビニールバットをお見舞いしている。


「身元引受人になってくれる、源内さんが秩父から戻ってきてからですね、いずれにせよ」


 江戸時代は、不動産を借りるのも、買うのも「身元引受人」が必須となる。

 俺の場合は源内さんになってもらえばいいのだが、彼は今は秩父なのだ。

 杉田玄白さんや、蔦重さんもいるが、源内さんのことに居候になっているのだ。

 やはり、それが筋だろう。


「そうか……」


 田沼意次は そう言って、クーラーボックスで冷やしてあったペットボトルの飲み物を飲んだ。

 最近は、もう直接ラッパ飲みである。老中だけど。


「おおッ!! 『こぉら』を一気に…… 父上……」

「ふふ、いつまでも「たんさん」を飲めぬワシと思うなよ――」


 息子の感嘆の声に、勝ち誇る様にする田沼意次。

 現代で作られたコーラが江戸人の胃袋の中に流れ込んで行ったのだ。

 最近まで「な、なんじゃこの刺すような刺激は! むぅ、漢方か…… 薬臭い!」といっていたコーラ。

 今では田沼意次のフェイバリットな飲み物になっていた。


「ワシがなろうかのぉ? 土岐殿」

「はい?」

「身元引受人よ―― 老中・田沼意次の名、使こうても構わぬぞ。多少は信用されておろう」


 ニヤニヤと笑いながら田沼意次が言った。

 本当に笑うと、悪人面なのだけど…… 本人のせいじゃないけどね。


「いや、市井の『学者』にそれはないでしょう」

「まあ、そうであろうな」


 この人なりの#諧謔__かいぎゃく__#、冗談の類なのは分かっているが、悪人面のせいで「悪巧み」に思えてしまう。

 こう言った部分も、後世の評判に影響を与えているのかもしれんと俺は思った。


「江戸城でもエレキテルが自在に使えれば、いつでも、冷たい物を飲めるのだな」

 

「病気、怪我人にも氷を使い冷やす治療もできまする。父上」


「そうよなぁ――」


 江戸城に電気を流すこと。

 それは、話は進んでいるはずだ。

 水力を利用した発電を行うため、普請奉行に城内、もしくは城近くでの水車設置を検討させているはずだ。


「水車設置ができれば、エレキテルは作れますよ」


「水車は出来そうであるが…… その理由が必要じゃ―― エレキテルを城に持ちこむためと言えば、バカどもがバカなことを言い出す……」


 田沼意次は現在、幕府内の絶対権力者と言っていいはずだ。

 彼に文句を言えると言えば、御三卿(ごさんきょう)、御三家くらいなものだろうか。

 将軍、大奥は田沼意次に絶大な信頼を寄せている。


「父上、ある程度の反発は仕方ないのでは――」


 田沼意知が言った。彼はその反発の最大の犠牲者になってしまうわけだけど。

 史実どおりならばだ。


「一応、エレキテルの灯りの安全さ。それを教えて、あと油の費用からかなり倹約になると、数字で説明するしかないのでは」


「うむ……」


 田沼意次はそう言うと、先ほど置いた『キムチ味噌味』カップめんを再び手に取る。

 そして、ズルズルやりながら考え込む。

 放置しておくとめんが伸びるので、食べるのはいいけど。

 なんかこう…… よく考えるとシュールな光景だ。


「ランタンを送りましょうか。御三卿、御三家に」


「確かに、それは一つの方法で、ワシも考えたが…… バカなので、理解できるかどうか怪しいのだ――」


 田沼意次は食べるのを中断して言った。

 彼らを「バカ」と言うのは言い過ぎだろうと俺は思う。

 二一世紀のランタンをいきなり見せられたら「便利な道具」というより「奇怪な妖術」と思う人もいるだろう。

 

 俺の目の前でカップめんを喰ってコーラを飲むこの親子とか、平賀源内のような人間の方がどちらかと言えば異端だ。

 明治になっても電気に対する「迷信」は色々あったし、現代でも「疑似科学」と言う迷信はあるのだ。


「オランダ渡りというだけでも、嫌う者がおるしな……」


 江戸時代には「蘭癖(らんぺき)」と言う言葉があった。

「欧米かぶれ」みたいな意味で、嫌う人は徹底的に嫌っている行為だ。


「父上の申すことも承知いたします。しかし、まずは既成事実を。上様も大奥も味方なのですから」

「そうよなぁ。具体的に進めるか――」


 息子の言葉で、田沼意次も決意する。


「じゃあ、機材を集めておかないといけないですね」


「うむ、それは土岐殿にお頼み申す」


 江戸城電化計画は進むことになるわけだ。


 となると、いよいよ「マイクロ水力発電機」を買わねばならんわけだ。

 リヤカーで持って来れなくはないはずだが。

 俺はすでに何社かの製品をネットで調べている。


 しかしだ――


 これで、進行中のプロジェクトがいくつになった?


 俺はちと頭の中で考えた。

 とにかく全てのプロジェクトの最終目標は「日本の近代化」。

 それを一気に80年は短縮することだ。


 1.現代-江戸交易プロジェクト

 目 的:田沼政権による江戸改革のための資本形成、飢饉対策

 問題点:江戸の小判を現代で換金できないこと。輸送力がリヤカー二台。

 対 策:不動産投資ローンの担保として活用の可能性を検討(未着手)

     小判では無く「地金」を持ちこむことも検討

     輸送力は検討中。


 2.蝦夷地調査プロジェクト

 目 的:対ロシア交易、飢饉対策

 問題点:松前藩の動向、幕閣内の反対派の存在

 対 策:二一世紀の情報と科学で乗り切る


 3.江戸城電化プロジェクト

 目 的:経費の削減、将軍、大奥の支持の強化、反対派の懐柔

 問題点:工事の難易度が不透明、幕閣内の反対派の存在

 対 策:具体的な数字による反論と、工事先行による既成事実化


 4.土岐総研塾によるシンクタンク設立

 目 的:田沼政権の支援。全プロジェクトの支援体制の確立

 問題点:反田沼派による蘭学に対する警戒感

 対 策:今後の検討課題


 4の「土岐総研塾」はしばらくは英語学習で乗り切れる。当時の世界情勢などの知見を教え込む。

 更に、算学、天文学、土木、建築、機械など、ネットワークを広げていきたい。

 まだ、問題点や対策を打ち出すほどに進んでいるわけではない。

 幕府の外交政策に影響を与えるとこまでいきたいとは思うが……

 田沼意次の幕政のかじ取りに逆に影響される可能性もある。

 下手すれば、「反田沼派」に攻撃の口実を与えてしまう可能背もある。慎重であるべきだ。


「とにかく、二三〇年後の世界と、こちらの時代の交易―― これをもっと速やかにしないと」

「然り」


 その辺りの問題意識は、田沼親子と俺は同じだった。

 これが、上手くいけば、一番有効な飢饉対策にもなる。


 そして「現代-江戸交易プロジェクト」には長崎貿易も視野にいれた動きも入ってくるはずだ。

 市場は日本だけじゃない。


 そして集まる資本――

 それが「幕藩体制」を「中央集権」に変質させ、日本の近代化を可能とする。


 明治維新とは違う形での日本の近代化だ。

 外国の圧力で受動的に動いたものではなく、日本が主導権を持った改革と近代化――

 それが出来るはずだと、俺は思っている。


 そしてプライオリティだ。今は――


「やはり、優先順位でいけば『小判の現金化』の解決か……」


 二一世紀の現代で、安全に小判を現金化することだ。

 古銭として売るにしても、限界がある。


 どこでその小判を入手したのか? 国税に目を付けられたら最悪だ。

 そして、大量の小判を現代に持ちこめば、古銭としての相場は落ちていく。


 マイクロ水力発電機はそれほど安くないのだ。

 交易はこれからも続く。拡大していく予定だ。


 江戸で稼いだ小判を現代で換金する。

 そして、それをまた、江戸に循環させていく。

 

 時間を超えた交易でもたらす富が、江戸を変えていくはずなのだ。

 だからこそ、この問題は解決しなければいけないのだった。


「でだ、土岐殿――」


 田沼意次がジッとこっちを見て言った。


「なんでしょうか?」


「二三〇年後の世界―― そろそろ、ワシの目で見ておきたい」


 プロジェクトがもう一つ増えた。

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