22.二一世紀の科学を舐めてた俺

「蝦夷地開発は長い目で見れば、日本にとって最重要とは思います」


「これも、急がねばならぬことではあるな」


「調査団の出発は?」


「勘定奉行の松本伊豆守(秀持)が人選を進めておるが―― ほぼ、決まっておる」


 この松本秀持という人は、田沼政権の中枢にいたブレーン。

 蝦夷地調査隊プロジェクトのリーダー的存在であったとされている。

 この人も田沼と一緒に失脚するのだ。おそらく、俺の存在を近々の内に明かすひとりになるだろう。

 史実の史料を見る限り、裏切りとかの動きはないようだった。


「でやはり、来年の四月くらいの出発ですか」


「最悪はな…… もう一月ほど早めてもいいかと思っている」


 慎重に考えながら田沼意次は答えていく。

 史実では蝦夷地の調査隊は天明五年(1785年)の四月二七日に出発している。

 もう一月くらいは早くとも問題はないだろう。


「源内さん、秩父をとっと片付けて、行くつもりでいますけど、間に合いませんね。多分」


「源内にはこちらでやってもらうことがいくらでもある。蝦夷地の方には源内は、まだいらぬだろう」


 その田沼意次の言葉には俺も同意だ。

 なんというか、あの人は天才だ。間違いなく天才。

 しかし、目を離していると何かしでかすんじゃないかという危うさも感じるのだ。


「松前藩を刺激せぬように、アイヌ交易の実態調査、鉱山の試掘、耕作候補地の選定―― こんなところか」


 田沼意次は蝦夷地調査団の目的を並べた。

 特に、平賀源内がいなければ、どうにもならぬという仕事は無いのだ。


 蝦夷地調査の目的はいくつかあるが、大きいのは松前藩のアイヌ交易の実態把握だ。

 松前藩を抱きこみつつも、将来的には蝦夷地を幕府直轄にするべく進めねばならない。

 未来からの史料で松前藩のアイヌ支配の実態、特定商人が暴利を貪っていることは把握してはいる。

 要するに、調査団は、その裏付けを取るということだ。


 そして、鉱山の位置は未来の地図で分かっている。耕作可能な地域も明治の屯田兵の史料から概ね掴んでいる。

 史実のように「蝦夷地ってどんなことだ? 全然分からないんだけど」というような状況から始まるわけではない。


 未来からの機材も持ち込む予定だし。


「蝦夷地の開拓は飢饉には間に合わんかな……」


 ポツリとつぶやくように田沼意次が言った。

 飢饉は三年後だ。

 来年に調査団を送って、試験栽培的なモノを進めても、三年後の天明の飢饉を救える農産物はできないだろう。


「蝦夷地の開拓で奥州(東北)を救うのは難しいでしょう」


 田沼意次は、史実では下人や流民などの住民を蝦夷地に移住させ、土地を与える計画でいた。

 それが、身分秩序の破壊ということで、幕府内部では軋轢を生むわけだが。

 実際、食い詰めて江戸に流れ込んでいる流民の数は相当なものになっているはずだ。


 寛政の改革ではそれを強制的に元の農村に戻すわけだが。

 

 史実では調査団は、蝦夷地の耕作可能地における石高を五八五万石と報告する。

 単純計算であるが、それほど大きくはずれていない。


 ちなみに、ここからちょっと未来の天保六年(1835年)の全国の収穫量が三〇〇〇万石ちょいだ。

 それは確か持ちこんだ史料「天保郷帳」にあったはずだ。


 幕府の天領地が七〇〇万石かそこらといわれる。

 しかし、ここの年貢率が低いのだ。

 小中学校では「百姓は生かさず殺さず」、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」と教わっていた。

 年貢は「五公五民」とか「六公四民」とか教わるわけだ。


 農民は弾圧された存在であるということがことさら強調される。

 その全てが嘘というわけではないが、明治政府が「江戸時代」を必要以上に否定したがための部分もある。

 自分たちの正当性を強調するためにだ。

 同じような文脈は太平洋戦争を挟んだ前後で起きているのかもしれない。


 とにかくだ。

 天領では年貢の徴収率が低すぎるのだ。

 三割五分いけば、高い。農民が暴れ出すレベルである。

 だから、明治維新の地租改正でも農民の反乱は、天領地で起きているケースが大多数だ。


 つまり、徳川幕府の天領支配はアマアマなのだ。

 一方、地方の藩では「八公二民」と以下いう恐るべきところもあったらしい。


 北海道を直轄地にして、ちゃんとまともに税をとれば、それだけで財政は一気によくなるはずだ。


 ただ、それは将来のことであり、飢饉対策とは直接には関係ない。


 しかし、蝦夷地に手を付けて、幕府の制御下に入れるのは、飢饉の対策になるのだ。


 だから俺は「開拓が間に合わなくても、蝦夷地調査は、飢饉対策になりますよ」と田沼意次に言ったのだ。


 田沼意次は一瞬「ほう」という感じの顔をした。


「なぜ、そう思うのだ? 土岐殿」


 と、田沼意次は「本当はワシも分かっているけどね」という感じで俺に訊いてきた。

 多分、アナタが分かっているのはこっちも承知だ。


「蝦夷地で取れるモノはそれだけじゃないですから。魚は大量に獲れますよ」


「鰯や鰊か」


 この時代は、地引網が開発され、大量の魚が取れるようになっている。

 鰯や鰊は、人が食べるのでなく肥料にされているくらいだ。

 それを食用に回せば、多少はマシだろう。


「奥州(東北)の諸藩には、情報も流して、モノを流せるような体制を作ります」


 松前藩に握らせておけば、飢饉であってもそれは、肥料として上方に送り込まれるのだ。


「そして、困窮する藩には幕府が金を貸すか」


「金主はこっちですけどね――」


 それを聞いて田沼意次が「にぃぃ」と笑う。飢饉対策が進んでいることを喜んでいるのもある。

 だが、それだけじゃない。

 そして、それを機会として、一気に東北方面から幕府の中央集権化を進めるのだ。

 返せない金を、土地を担保に貸すのであるから。


 しかし、この人が笑うと「土岐殿も悪よのぉ」って言われているような気になるのだ。

 一応は、飢饉から多くの人を救うべく動いているのになんでそんな悪人面笑うのか?

 日本の近代化を一気に進める算段をしているのに「悪巧み」している気分になるんだけど。


 今まで付き合ってすごく真っ当な感覚を持った政治家であるとは思う。

 しかし、人相だけはどうしようもない。下手に目鼻立ちが整っているせいかもしれない。


「で、二三〇年後のカラクリで役に立ちそうなものを持って行けそうだろうか? 土岐殿」


 田沼意次が話を変えてきた。蝦夷地調査団に持たせる未来の道具の件だ。


「そんなに大きなモノは持ち込めませんが、ある程度は持って行けます」


「うむ…… そうか」


「リヤカー二台を引っ張ってますけど、一個に乗るのは三五〇キロ…… ああ、約一〇〇貫ですからね」


 俺としては、防寒具、保存食、寝袋、防寒用のテントや、登山用具、磁石を持ってこようと考えている。

 あと、雪山登山の入門書の様なもの。

 主な活動は鉱山の位置特定は地図があれば、まあそうはずれないとは思いたい。


「あッ……」

「ん? どうしたのだ? 土岐殿」

「無線機だ…… 発電機と無線機があれば、江戸と蝦夷地の間ですぐに報告できるわけだ」

「無線機? 土岐殿、無線機とはいったい?」


 情報――

 それが、俺たちの武器とすれば、それを伝達し共有できる機材は絶対に必要じゃないか。

 くそ、旧陸軍には手回し式の発電機とセットになった無線機があったが、今はないだろうし。

 いや、それも長距離は無理か―― となると……


「土岐殿? いかがした?」

「あ、すいません。考え込んでました。え、無線機ですよね。エレキテルの力で、声を遠くまで運ぶ機械です」

「なんと! エレキテルはそのようなことまで…… まるで、妖術――」

「それが持って来れるかどうか、確認してみます」

「うむぅ、遠くの者と話が出来るとなれば―― それだけで、世の中が変わりかねん」


 田沼意次の頭の中の思考はその言葉でわかる。やはり、この人はただ者ではないのだ。

 最速の通信手段がせいぜい早馬の時代に、一瞬で情報のやり取りの出来る意味。

 その重大性が分かっている。彼は、膝の上で手を握りしめ細かく震わしていた。


「とにかく、持ってこれる大きさなのか。こちらの目的に合ったものか。それを確認しないとなんともいえませんから」


「左様であるか」


 俺は、満載七五〇キロのリヤカーを二台連結して、電動アシスト自転車で二一世紀と一八世紀の江戸を行ったり来たりしている。

 太ももの筋肉は鍛えられたが、物理的にこれ以上の重さのモノを運ぶのは無理だ。


 重いモノでは、エンジン付の耕運機を考えていた。

 ただ、これはまだ先の話だと思っていたのだ。


(まだ、まだ、二一世紀には江戸で役に立つモノはあるんじゃないか……)


 二一世紀の世の中に存在するもので、この世界に持って来れば大きな威力を発揮するモノ。

 それを、再考すべきかと、俺は思ったのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 俺は「千両箱」ふたつを積んで、電動アシスト自転車を漕いでリヤカーを引っ張った。

 そして二一世紀についたら、すぐにネットで、無線機と耕運機について調べてみた。


「アマチュア無線は資格が必要か…… 中継局が必要だと……」


 免許がないと長距離無線の機械は買えないようだが、外国の通販サイトからなら買うことができそうだった。

 日本国内で使用すると電波法違反だが、一八世紀には電波法が無いので大丈夫だ。


「こっちの方向で探すか……」


 それでも北海道から通信となると、中継所を設けないとどうにもならないだろう。

 それはどうなのか―― 


 一方、耕運機もついでに調べてみた。

 八馬力のエンジンを備え、結構軽いものもあった。

 そして、俺はなにげなく「トラクタ」と入力して検索してみた。


「こりゃ重いわ…… 一番軽いのでも五〇〇キロ近い」

 

 まてよと、俺は思った。

 こういったエンジンの付いた機材って他にもあるんじゃないか?


 四輪バギー。

 

 そして、船――

 船外機というモノを思い出す。

 スクリューとエンジンがワンセットになって、船に取り付けられる物だ。

 帝国陸軍の工兵機材にもあったものだが……


 あるのか? ネット通販で……


「あった…… これがあれば……」


 俺はネットでそのスペックを目で読む。

 重量は二八八キログラム。

 二五〇馬力ですか?


 舐めていた。

 俺は二一世紀のこの科学文明を舐めていたのだ。

 もっとあるはずだ。リヤカーで運び込め、そして、江戸の改革に役に立つ科学の生み出した機械たちが。

 

 俺はしばらくネットに、思いつく限りの単語を叩き込んでは、調べまくった。

 そして、閲覧したサイトの情報は丸ごとぶっこ抜いて、USBにいれる。

 とにかく、データを集めまくるのだった。


 俺は、江戸にとんぼ返りする気になっていた。


 もういちど、じっくりと平賀源内に相談したいと思ったのだ。

 彼が秩父鉱山に出かけてしまう前にだ。

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