18.江戸の商売順調、現代での換金問題は?

「おお、土岐殿これは、これは―― ささ、どうぞこちらに」


 田沼家の用人が言った。

 この人は、三浦庄司と言う人。田沼意次に会いにくる人をより分けたりする人だ。

 会う人によって、部屋の種類が違って「この人はどの部屋かな」ってのを判断する人。

 その判断には当然「心づけ」の多寡が影響する。

 

 端的にいって「賄賂」でござる。

 しかし、それは田沼に限った話ではないので、それをもって彼を「賄賂政治家」とは言えないのだった。

 老中なんてボランティアみたいなものだから、そうしなければやってけないと公言する大名もいるくらいだ。

 現代でいえば「政治献金」みたいなものか。それでもクリーンな感じはしないかもしれないが。


 でもって、俺は「心づけ」なしでフリーパス。

 ただし、他の訪問者がいなくなった遅い時間に行くことになっている。


 田沼意次の江戸屋敷は、神田橋上に引っ越した。


「時渡りのスキル」で出来る二一世紀につながるタイムトンネルのゲートは今はこの屋敷に出来る。

 大元帥明王の言っていた「田沼の江戸屋敷」というのは引っ越せば変わる。

 で、変わるとゲートの出来る場所も変わるということだった。


 俺が夜に田沼の江戸屋敷を訪問するのは理由がある。

 昼間は客が多くてどうしようもないからだ。

 とにかく、この時代の最高権力者の屋敷、昼間は訪問者が多いなどというものではない。

 

 老中の城詰勤務時間は、普通は一〇時から午後の二時くらいまで。

 そして、その後は、訪問客がひっきりなしに江戸屋敷にやってくるのを捌くのだ。

 本来であれば、老中は月番で、時間を作ろうと思えばできるのだ。


 ただ、七年後の失脚という事実を知っている田沼意次はそんな悠長にはしていない。


 俺は田沼の江戸屋敷に入る。

 

 廊下の脇の部屋を見た。

 俺は、昼間一度だけ、この広い部屋が刀でビッチリになっているのを見たのだ。

 田沼意次に面会する侍がここで、刀を預かってもらうわけだ。

 

「田沼様は?」

「大書院にてお待ちにございます」

「そっか」


 大書院とか江戸屋敷内の一番でかくて豪華な応接室である。

 大名、御三家、御三卿(将軍を輩出する徳川一族)当たりの格式の人が招かれる部屋なのだ。

 江戸ではオランダ語が一切分からないも拘わらず「蘭学者」という身分になっている俺だった。


「では、どうぞ」


 そう言うと用人の三浦は部屋の前から立ち去る。

 薄闇の中、彼の姿が完全に見えなくなったのを確認。

 そして、俺は部屋に入る。


 豪華な装飾の部屋は二一世紀から持ち込んだ新しいランタンで照らされている。

 単一電池六本を使い、一〇〇〇ルーメンの明るさを持つランタン。

 一〇〇円ショップのモノとは性能が違う。八〇〇〇円くらいしたのだ。


 それが四つほど、台座の上に置いてある。

 合計四〇〇〇ルーメン。六〇ワット電球の五倍くらいの明るさだ。


「これは、土岐殿。お待ちし申しておりましたぞ」


 天下の老中筆頭・田沼意次が俺に言った。

「田沼様には及びもないが、せめてなりたや公方(将軍)様」と詠われた最高権力者だ。

 田沼意次にとって俺は大元帥明王の使いという理解なのだから当然、言葉遣いも丁寧だった。


 俺は田沼意次正面の座布団に座る。

 まあ、流石に俺は下座であるが、これは全然気にしない。どーでもいい。


「もうずいぶん、寒くなってきましたよね。夜になると冷え込みがかなり――」


 夏はすでに終わり、季節は秋になった。

 ただ、冬というのはまだ遠いはずだ。

 それなのに、気温はやけに低かった。


「やはり―― 飢饉は避けられませぬな」


 田沼意次は俺の言葉――

 その言外の意味をくみ取って応えた。


「飢饉ではなく、不作で止めないと」


「それは、然りなれども」


 広い部屋の真ん中付近でぼそぼそと話す俺と田沼意次。


 俺が江戸に来たのは夏だ。

 江戸は夏だと言うのに涼しかった。

 最初、これはヒートアイランド現象が起きている現代の日本と、緑の多い江戸の差だと俺は思っていた。

 しかし、この事態は、やはりおかしかったわけだ。


 三年後――

 天明二年(1782年)から起きる、江戸時代最大の飢饉「天明の大飢饉」の前兆はすでに出始めていた。


 日本に帰って調べると、世界的な低温期に入っているようだった。

 おまけに、天明三年(1783年)には浅間山が噴火して日光が遮られることが確実。

 これは、二一世紀の科学をもってもどうしようもない。


 田沼意次さん、運悪すぎである。

 足軽身分から老中になるので、運を使い果たしたんじゃないか?


「冷害に強い稲や、稲以外の作物、農業専門書は用意できそうですッけどね。これを――」


「諸藩の壁の解消――」

 

 田沼意次が俺の言葉を遮る。そして、問題の根幹となる言葉を口にした。


 要するに、問題はそこなのだ。

 天明の大飢饉で、東北を中心に何万人もの餓死者が出る。

 それが田沼政権の根幹を揺るがすモノになったのは事実だ。


 で、未来から冷害に強い稲、北海道の気候で育つ、トウモロコシ、ジャガイモといった作物を持ちこむことは可能だ。

 イシカリという種籾が取れる品種もあるようだった。 


 しかし、それを東北の諸藩の農民にどう与えるのだ?

 というのが問題なのだ。

 これが、幕府直轄地の天領であれば、問題はないが――


 下手に動けば「内政干渉」で各藩の反発を招く。

 で、飢饉を逃れたとしてもだ。

「メンツを潰された」「幕府に助けられた」というように、卑屈に考える領主も出てくる可能性はあるのだ。


 領民を助けるため、幕府の進言を受け入れる「名君」もいるだろう。

 でも、全部がそうとは限らない。


「未来の農作物も技術も行き渡らなければ、宝の持ち腐れですからね」


 俺の言葉に、田沼意次は年齢を感じさせないほどの鋭い視線を俺に向けた。

 二一世紀の科学が作った灯りに負けない眼光だった。


「徳川家が、天下を取った―― その最初で間違いを犯しましたな。土岐殿」 


 田沼意次の言葉はこの時代の人間からすれば、危険極まりない考えだ。

 そして、この危険思想の老中は言葉を続けた。


「全国の民を支配せず、巨大な大名として、諸藩を従えるに安閑とした―― この最初の手違いが今の困難を生み出しておる」


 一歩間違えれば、東照大権現(徳川家康)様への批判である。

 俺以外の人間に言えば、一発で失脚間違いなしかもしれん。


「しかし、それをなんとかするのは、田沼様の仕事ですよ。そうしなければ、失脚ですよ。同じことを繰り返す」


「しかし、なんともこれは、大事業―― 今思うと、あの時のワシの考えは浅すぎた」


「『貸金会所』の原資集めですか?」


「うむ…… あれは、やはり無理であったろうな」


 幕府の中央銀行たるべく「貸金会所」を作る。

 その資金で、米を買いつけ、飢饉の藩に送る。

 また、様々な事業への投資を行う。

 機能すれば、それは凄いことになっただろう。


 ただ、田沼意次は、その原資を全国あらゆる階層からの投資で賄おうとしたのだ。

 それは、各藩の抱える「民」に対する干渉になってしまうわけだ。

 幕藩体制という時代と政治の枠組みの前に、敢え無く粉砕されてしまうのだ。


「こっちでは金は順調に儲かっていますけどね――」


 田沼の政治を支援するための商売。

 それは結構順調に動いている。

 一〇〇円ライター、腕時計、その他諸々日常品が、旦那衆に出回り、そろそろ大衆化させるかという時期なのだ。


 新しい商品をまず「旦那衆」に高い代金で買わせる。


 平賀源内と蔦屋重三郎――

 稀代の天才科学者と鬼才のプロデューサがタッグを組んで、ステルスマーケティング実施中だ。


 それが思いきり当たっている。

 おかげで、俺は、江戸と二一世紀をリヤカー引いて往復する毎日。


 二一世紀と江戸を一日で三往復する日もあった。

 その間、電動アシスト自転車のパワーアップもした。

 おかげで、リヤカー二台をなんとか引けるようになったのだ。

 それでも、太ももが鍛えられ太くなったのだが。


「初ガツオ」を高値で買ってしまう江戸人は、目新しい者が大好きだった。

 これは、今でも続く日本人の特性かもしれない。

 まだ、誰も持っていない「新しいモノ」を買って自慢する。

 目新しいモノはなんでも買うのだ。

 

 要するに金があるけど「買いたいものが無い」という旦那衆の購買意欲を一気に刺激したわけだ。


 そしてそれは、江戸にとどまらず、上方にまで伝播し始めている。


「商いは順調か…… それは良いことだ」


 俺が金を儲けまくって田沼意次を支援すれば、多くの問題が解決できる。

 金は万能のチートなツールなのだから。 


「年内には五万両の資金は動かせるようになると思いますよ」


「五万両か―― 少なくはないが……」


 印旛沼の干拓事業が二〇万両だったか。

 で、幕府の自由に使える「政務費」はおそらく一五万両前後。

 京子の受け売り情報なのであるが。


「もう、どんどん、お金を貸しましょうよ。田沼様」


 俺は言った。もう、金はあるのだ。

 寝かしておくのは、マクロ経済的にも良かないと思うわけだ。


「ぬぅ…… 余剰金はいざというときに――」


「各藩が金に困っているのは、飢饉のときだけじゃないですよね」


「そうであるが…… 担保(かた)は…… む、まさか、土岐殿」


 身を乗り出し、田沼意次が俺に迫る。

 俺と同じ解答――

 つーか、京子のアイデアだが。

 それに、田沼意次も気付いたのだ。


「金を貸しまくって、土地を担保(かた)にする。返せなきゃ天領地にすれればいいわけですよ。要するに藩の領地を金で買って行けばいけばいい」


 すでに商人。本両替商が、各藩の収穫物を担保に金を貸している。

 収穫物が借金の形にされているわけだ。

 その役割を、豪商から奪う。そして、天領を増やす。

 それは、金による中央集権的支配を目指すものだ。


「物流の壁になっている各藩の存在。それをぶち壊すんですよ。金の力で」


 二一世紀の科学が生み出す商品も、自由な流通が確保されなければ、威力を発揮できない。

 そして、各藩がバラバラの「独立採算性」を取っている限り、日本が完全な近代国家になるのは難しい。


「そこまで―― なるほど…… そこまで行かねば、この田沼も生き残れぬということか」


 時代に対し、一周早すぎたと称された政治家、田沼意次。

 彼は覚悟を決めたように言葉を絞り出していた。


        ◇◇◇◇◇◇


 俺は二一世紀に向け、ペダルをこぐのだった。

 すでに俺は現代で五〇〇〇万円近くの現金を得ていた。

 小判を換金したものだ。


 これ以上は「相続税」の枠やらなんやで、換金が面倒なことになる。

 だから、小判の換金はもうやってないのだ。

 リヤカーには「着物」や「かんざし」などの現代でも換金できそうなモノが積んである。 

 

 かなりの高値で売れるのであるが、小判程の破壊力は無い。

 まあ、空のリヤカーを引くよりはマシという感じでいているわけだ。

 江戸の空気を現代に運んでも金にはならない。


 荷物自体は、事前に使用人を使って田沼の江戸屋敷に運び込んでいる。

 現代から持ってきた商品も、田沼の江戸屋敷に保管して、そこから使用人に運ばせている。 


 なるべく目立たぬようにやっているし、そもそも田沼の屋敷に持ち込まれる物は大量だ。

 換金したときの大きさはともかく、物体として量が多いわけではない。

 

「どうすっかなぁ…… 現代で金を用意する方法……」


 田沼意次の課題が「藩の障壁の解消」とすれば、俺の課題は「現代で金を作る方法」だった。


 俺を乗せた電動アシスト自転車が連結されたリヤカーを引きながら、二一世紀を目指すのであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「先輩! 愛しています。結婚してください。赤ちゃん作りたいです! すぐに!」


 俺は一〇〇円ショップで買ったビニールバットで、アホウの頭を叩いた。

「ぽこーん」とこれまた間抜けな音が響く。

 

 コンパスで描いたような眼鏡の奥の大きな瞳。

 黙っていれば十分に美人だ。というか、二六歳だが「美少女」と言っていい。なんか悔しいが。


「あああ、先輩、いきなりハードですよぉ。濡れちゃいます――」


 頭をビニールバットで叩かれ、悩ましげに一四六センチの身をよじるアホウ女。

 俺は冷たい目でそいつを見た。


「先輩…… その冷たい眼差しが好き……」


「テメェ、いいから、座れ、座って話を聞いてくれないか。お願いだからぁ~」

 

 そう言いながら俺はチビ眼鏡の頭の上でバットを細かくトントンさせる。


「あああ、その振動が…… し、子宮に響き…… ああ、あ、あはぁ♥」


「いいから、お願いだからさ!」


 俺はバットで京子を小突くのを止めた。

 ビニールバットを脇に置いて俺はイスに座る。


 ビニールバットは、エロゲスの頭を叩くのにちょうどいいかと思って買ったのだが、これで三本目だ。

 前の二本は叩きすぎて壊れた。


「先輩。小説の話ですか? また」


 彼女はやっとイスに座ると言った。

 田辺京子。

 俺の後輩にして、日本史、江戸時代の専門家でもある。

 大学の講師だ。


「まあ、そうだ――」

「どこかに投稿するんですか? 『小説書きになりたい』ですか『オメガキャッスル』ですか?」


 京子はネットの小説サイトの名を上げた。

 確かに以前はそのサイトに小説を上げていたこともある。

 そう言えばコイツも……


「田辺さぁ」

「あああ、先輩に『京子』って呼ばれると―― 濡れ――」

「呼んでねぇだろ。俺は『田辺』って言ったよな」


 つうか、コイツと話すのは、江戸時代の人間と話すより難儀なんだが…… 

 なぜだ――

 しかし、江戸の専門家がコイツ以外にいない。

 そして、コイツの助言は確かに役にたっているのだ。

 諸藩の土地を金を貸して、借金の形にして天領にするというのは、コイツが言いだしたことだった。


 ゲスエロで脳が半分溶けているが、残りの半分が何とか役に立っているのだろう。


「そう言えば、オマエもまだ、小説書いているんだろ? なあ」


 俺は話をちょっと変えた。

 一瞬、京子の顔色が変わった。

 うつむき、どす黒い眼差しでこっちを見つめた。


「猥雑を単なる猥雑と断じ、真の文学を理解せぬ、凡俗には、容赦なき制裁を……」

「え? なんだ。また、アカウント消されたのか?」

「ええ? なんのことですか? 私はそんな目には合ってませんけどぉぉ。先輩の勘違いなのですぅ~」


 コイツは高校時代からクソのような常軌を逸したエロ小説を書きまくり、何度も警告を喰らっている。

 生粋のエロゲス女で、反省という言葉を知らないのだからしょうがないのであるが。


「まあいい。ちょっと今日も相談なのだが」

「うーん。今日は中で出されると危な――」


 俺はビニールバットでチビの頭を連打した。

 明日、四本目を買いに行かなければいけなくなった。


        ◇◇◇◇◇◇


「お金借りればいいんじゃないですかぁ」


 京子は平然として言った。

 精神も肉体もノーダメージだ。

 俺の方が何か疲れているんだけど。いや、壊れて行きそう……


「借りる?」

「要するに、小説の中で、上手く江戸の小判を換金できる方法がないと。説得力のある描写ができないってことですよね――」

「そうだけどね」


 京子は「フン」と鼻で笑い、くいっと眼鏡をクイット持ち上げる。

 内面を知らぬ者から見れば、可愛らしい美少女っぽい感じなのだろう。

 俺は全然思わないけど。


「古美術や小判とか、そういったモノを担保にしてお金を貸すノンバンクありそうですよね」

「そういう意味か……」


 確かにノンバンク系であれば、そういったモノを担保に金を貸すことはありそうだ。


「それなら、出来るか」

「出来るかどうか、知らないですけど『説得力』はありそうじゃないですか。小説として――」


 そうなのだ。

 それが現実に出来るかどうかではなく「現実にありそうか」でコイツは考えているのだ。

 あるのか?

 そんな会社……


「ちょっと見てみるか……」


 俺はリンビングのテーブルにあるノートパソコンを立ち上げる。


「先輩このノート買ったんですか?」

「ああ」

「失業中なのに?」

「金にはそれほど困っていないんだよ」

「そうですか……」


 こんな時に限って「ああ、お金持っている先輩スキ! 抱いて。子宮をぶち抜いて」とか言わない。

 ジッとノートを訝しげに見てやがるのだ。

 エロくてゲスで、下卑た猥雑な下品脳みその持ち主の癖に、変に勘のいいとこがある。

 そもそも、大学で講師をやっているくらいなので、学力的には莫迦ではない。

 俺と京子の出た大学は、そう簡単に入れる大学じゃないことも確かだ。


 俺はノートを弄り、そう言ったノンバンクがあるのか検索した。


「あ…… あるんだ。マジで――」

「へぇ~ あるんですねぇ。やっぱり」


 それは不動産投資への融資を中心に行っているノンバンクだった。

 不動産資産、株式証券以外に、そういった古美術類を担保にするというノンバンクがあった。

 小判も「古美術」の一種と言えば一種だ。


「で…… あ――」


 俺のマウスを持つ手が固まる。

 会社名のことで、目が止まってしまった。


「アイツの…… アイツの会社じゃねぇかこれ……」


 加藤峰子――

 その会社は、俺の元カノの務める会社だった。


■参考ご意見■

冷害に強い稲につきましては上梓あき様の感想を参考にさせていただきました。

上梓あき様

http://www.alphapolis.co.jp/author/detail/701313651/

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