第11話 好きな人とかいねぇのか?
牧本の連れてきた所は、こぢんまりとしたバーだった。
机はカウンターと、円テーブルが2つだけだし、大通りから見えない場所にあるためか、店内に人影は少ない。落ち着いた店内にはショパンの夜想曲第2番が流れており、優雅な空間が演出されていた。
牧本が迷わずカウンターに座ったので、能登もそれに倣った。雑多な日常とは一線を画す店を知っていることも、ホストの仕事なのだろうか。癪ではあるが、能登よりも牧本の方が、この店に似合っている。
「何を飲む?」
「牧本と同じのでいい」
「俺は普通のカクテルを頼まないから、薦めないぞ」
能登はそう言われて口ごもる。メニューとかないのか。
「適当に頼む」
「ん、分かった。俺にはブラッディマリーを。連れにはマティーニを頼めるかな?」
バーテンダーは牧本の言葉に頷くと、注文のカクテルを作るためにカウンターをごそごそとやり始めた。バーテンダーが取り出したトマトジュースの缶を見て、能登はのどが詰まる。何を隠そう、能登はトマトが嫌いだ。
「能登はさ、今、付き合っている相手はいるか?」
能登が首を振り、牧本が続ける。
「今日の同窓会で会ったんだが、宮本と藤堂を覚えてるか?」
「ああ」
宮本と藤堂も、牧本と同様に中学時代のクラスメイトだ。宮本とはあまり話をしたことがなく顔見知り程度だったが、藤堂とは同じ陸上部だった。陸上部とはいっても、様々な種目がある。能登は長距離走の選手だったが、藤堂は走り幅跳びの選手だった。そこまで仲が良かったわけではないが、言葉を交わす機会が多かった。その多くはたわいもない内容で、記憶に残っていなかったが。
能登の記憶にある藤堂の姿といえば、朝礼で壇上に上げられ、校長に褒められている姿だ。能登と違い、県大会で上位の成績を残した藤堂は、はにかむような顔で壇上に立っていた。能登はそれを一般の学生に混じって見上げていた。
能登は話の腰を折ってしまう気がしたので、その記憶を飲み込んだ。
「あいつら、それぞれ結婚したんだって。あの2人は良い奴だから、2人が結婚することは喜ぶべきことなんだ」
不自然な言葉尻に、能登は疑問を持ちながらも頷いた。
「喜ぶべきことだな」
牧本はやれやれといった様に首を振る。
「だけど、俺は嬉しいってよりも、2人の結婚を悲しく感じた。自分だけが置いていかれる気がしてさ」
2人の前に、できあがったカクテルが置かれる。
能登はカクテルというからカラフルな青色や黄色の酒を待っていたのだが、できあがったマティーニは無色透明だった。代わりに牧本の注文したブラッディマリーは、一見してトマトジュースに近い容貌をしている。ブラッディという名が似合わない、健全な印象だった。
「能登は誰か、好きな人とかいねぇのか?」
能登が好きな人と言われて思い付く人物はいなかった。強いて言えば、晴れの日に手を振ってくれる彼女だけだ。大の大人として悲しい話ではあるが、事実なのだから仕方ない。能登は正直に言う。
「片思いだけどね」
能登の言葉が予想外なのか、牧本は驚いて見せた。
「口下手な能登が恋をねぇ。もしかして、仕事の同僚とか?」
能登の頭に、先ほど別れた木下の顔が過ぎる。
「それは問題だ」
牧本は笑う。
「社内恋愛なんて、素晴らしい響きじゃねぇか。俺が手伝えることがあったら、何でも手伝うから連絡くれよ。自慢じゃないが、俺の得意分野は恋愛だ。何かあったら、この愛の伝道師に任せろ」
「本当に自慢にならないね」
牧本はブラッディマリーに手を伸ばし、能登はマティーニを飲む代わりに彼女のことを考えた。
彼女は毎朝、手を振ってくれる。しかし、手を振ってくれる彼女は、能登ではない何者かに手を振っている。彼女を見ている能登の存在すら、彼女は知らないだろう。能登はそこまで考え、その関係がアンフェアに思えた。
牧本はブラッディマリーをカウンターへ戻し、能登へと視線を向けた。
「謝らなきゃならないことがある」
能登はようやく本題が来たと感じた。能登が牧本と最も仲が良かったといっても、それは能登の視点に過ぎない。牧本からすれば、能登の存在などクラスメイトの1人でしかなかったはずだ。そんな相手と直接に飲みたいとなれば、もちろん理由があるのだろう。
「お前をだしに使った」
話の出だしを聞いて、能登は眉を顰める。
不味い酒にならなければ良いが。
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