赤い羽の天使

ロッドユール

赤い羽根の天使

「すごかったね。今日のライブ」

「ああ、良い感じだった。なんか掴んだって感じだ」

「うん、ほんとみんな熱狂してたよ。私も鳥肌立った。すごかったもん。純の歌」

 本来立ち入り禁止の荒れ果てたビルの屋上への入り口の錆びついたドアを抜けると、どこか興奮した二人を覚ますように、屋上は、街の喧騒から孤立したみたいに静かだった。

「絶対有名になるよ。純」

 唯はその小さな丸い顔を純に向けた。

「俺が有名になったら、こんなおんぼろビルから飛び出して、もっとでかくて豪華な家を買ってそこで思いっきり贅沢して二人で住もう」

 純は持っていた缶ビールを飲みながら嬉しそうに唯を見て言った。

「純はもっと上に行ける」

 唯は純の話を聞いているのか聞いていないのか夜空を見上げ呟くように言った。そして、唯の腰くらいの高さの屋上の幅五十センチ位のへりに飛び上がると、そこに立って、軽快にステップを踏みながら、両手を広げ踊るようにその小さな体を一回転させた。

「お、おい、あぶねぇだろ」

「ふふふっ」

 しかし唯は、笑いながらもう一回転した。ヘリのすぐ横はフェンスなどはなく、はるか下の道路があるだけだった。

「お前ここ八階だぞ」

「ふふふっ」

 唯のショートカットのそこだけ何か特別な領域のような髪の間から、突き出る少し大きな耳がぴくぴくと動いた。

「ううん。行けるんじゃない。行くんだわ」

 唯は両手を広げ天上を見上げるみたいにして全身で夜空を見上げ言った。ビルの下では、万華鏡のように様々な街の光が煌めき流れていた。

「いいから、降りろ。あぶねぇえだろ」

 純がそんな唯に歩み寄りながら言った。

「初めて出会った時のこと覚えてる?純」

 突然唯は上げていた顔を下ろし、純を見た。

「ああ、覚えてるよ。っていうか忘れねぇよ」

 唯は腕を後ろで組んで、そのままヘリをゆっくりとスキップするみたいに奥へと歩いていった。純はそれを追いかけるように歩いていく。

「お前は酔っぱらってゴミステーションでごみの上に寝てた。最初なんだこいつって、思った。あんな出会い絶対忘れねぇよ」

「ふふふっ」

「でも、なんて奴なんだって、ものすごい興味が湧いて・・、そして惹かれた」

「ふふふっ」

「なんでお前あんなとこで寝てたんだよ」

「・・・」

 唯はヘリを歩きながら、右上に顔を向け何の気なしに星空を眺めていた。ビルの屋上は、なんとも言えない静かな澄んだ風がゆっくりと流れていた。

「違うわ」

 唯は突然くるっと一回転すると、純の方に体を向けた。

「ん?」

「違うの」

「何が違うんだよ」

「私は私を捨てたの」

「?」

「寝てたんじゃない。私は私というゴミを捨てたのよ」

「何言ってんだよ」

「ふふふっ」 

 唯は笑いながら、またくるっと体の向きを変えると、そのまままたヘリを大きなボタンのついたミニスカートからのぞく足を真っ直ぐ大きく上げながら大股に、奥に向かって歩き始めた。

「お、おい」

 それを純はまた追いかける。

「ほんとに俺が売れて、金持ちになったら、こんなおんぼろの汚いビルから脱出して、ほんとに二人で豪華なマンションのふかふかのダブルベッドかなんかの上でさ・・、お前の欲しいもんはなんでも買ってやるよ。それでさ・・」

 純は唯の少し斜め後ろを歩きながら唯に向って夢見心地に話した。

「私はいかないわ」

「なんでだよ」

 純は唯を見た。

「私はいかない」

「これから、お前と二人で」

「生きている価値が無いの」

「え?」

「なんで自分が生きてるんだろうって、自分が分からないの」

 唯は歩く足を止め、純を振り返った。

「分かる?そういう人間がいるって」

「・・・何言ってんだよ」

「ふふふふっ」

「これから俺たちは・・」

「私は別の世界を生きている」

「何言ってんだよ」

「そう、ずっと感じていた。小さい頃から」

 そして唯はまた顔を前に向けると、星空を見上げた。

「みんなとは違う世界・・」

「お前が風俗で働いてたとか、AV出てたとかそんなこと俺は全然気にしてないぜ。周りにそういうこと言う奴らがいても気にすることなんかないんだぜ。俺がぜってぇお前を守ってやるし・・」

「ありがとう」

 唯は顔を下げもう一度純を見た。そしてまた、振り返ると奥へ向かってヘリの上を歩き始めた。

「・・・」

 純もそれについてまた歩き出した。

「この一年。お前と出会ってからの一年。本当に楽しかったんだぜ。俺が良い歌作れたのだってお前がいてくれたからなんだ」

 純は唯の背中越しに、叫ぶように語りかけた。

「みんなを不幸にしてる」

 唯は歩き続けながら唐突に言った。

「?」

「お前はみんなを不幸にしている」

「誰が言ったんだよ。そんなこと」

「みんな」

「・・・」

「今も頭の中で鳴ってるの。お前がみんなを不幸にしているって」

 唯は立ち止まり頭を抱えた。

「鳴ってるの。今も」

 唯はうずくまるように体を縮めた。

「実際そうなの」

 唯は堪らない苦しみの中から言葉を絞り出すように呟いた。

「私は人を不幸にしてしまう」

 唯は泣いていた。

「そんなことねぇよ。実際俺は幸せだ」

 純は唯の傍に寄り添おうと、唯に向って歩を速めながら叫んだ。

「私幸せよ。ほんと。純のこと大好き。ほんと大好き。だから私幸せなの。愛しているだけで幸せ」

 唯は、胸に手を当て再び笑顔でそう言うと、近寄る純から逃げるように、また歩き出した。

「お、おい、とにかく降りろ。そこから。なっ」

「私ね。小さい時から同じ夢を見るの」

 唯は夜空を見上げながら言った。

「夢?」

「私に翼が生えてるの」

「翼?」

「天使みたいなやつ。おっきいの。それで、天国まで上っていくの」

 上を見上げる唯の横顔のそのかわいい鼻と唇との輪郭を、月の明かりがなぞるように照らしていた。

「でもね、途中で、羽がとても痛くなるの。見ると羽の付け根が真っ赤になってるの。痛くて痛くて・・・、それでも、もう少しで天国なの。だから痛くても頑張って頑張って上るの」

 唯は、天国を見るように少し上の虚空を潤んだ瞳で見つめていた。

「でも、羽がもう全部真っ赤になって、後もう少しってところで、力尽きて私は落ちていくの」

「・・・」

 なんとも言えない悲し気な唯の横顔を純は黙って見つめた。

「私は落ちていくの。いつも。天国には届かない」

「・・・」

「落ちていく時はとても速いわ。真っ逆さまに私はただ落ちていくの」

 唯は、歩きながら体をヘリの外側に大きく傾けた。

「お、おい」

「一度も天国には行けなかった」

 唯はビルの角まで来るとそこに立ち、止まった。

「純は、ものすごく人気者になるわ。もう何万人も何十万人も純の歌を聞きに来る」

 唯は軽くジャンプすると純の方に振り返り、その独特の無邪気で明るい笑顔を向けた。

「私には分かるの」

「とにかく降りろ。そこから、なっ」

 純は叫ぶように言った。

「純を不幸にはできない」

「俺は不幸になんかならない」

 純は力を込めて言った。

「純は私といちゃいけないの」

「いいんだよ」

 純は叫んだ。

「いけないの」

「いいんだよ。いいんだよ。だからそこから降りろ。なっ」

 純は唯に近づきながら右手を差し出し必死に叫んだ。

「純、愛してる。本当よ」

 唯は、小さく微笑んだ。それは本当に幸せそうな微笑みだった。

「私は幸せだった・・、純に出会えて・・」

「唯~」

 唯は街の光の中に、静かに落ちていった。

「唯~」

 純の叫び声は静かな街の夜空に虚しく響き、そして消えた。唯という存在の痕跡とともに・・・。

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