第4話

 鏡の前に立って自分の姿を見る。

 髪跳ねなし。顔の手入れよし。服装の乱れなし。

 ジャケットを翻し、スカートを摘み上げて「よし!」と満足して頷いた。

 今日は日曜日。和とデートの約束をした。プランは漠然と考えてある。映画見て、食事して、運動とかショッピングとかカラオケとか喫茶店とか。

 ちゃんと友達付き合いして、遊び場を知っていて良かったと思う。昔の自分を褒めてあげたい。自分を誘ってくれた友達にも感謝したい。和を好きになったら、皆大好きになった。

 バッグを持って、財布や定期券を確認して玄関へ行く。ヒールもいいかなと思ったけれど、気が動転して足を挫きそうだからシューズにする。

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃーい。ほどほどにねー」

 リビングの方から母の声が返る。ほどほどにってなんだ。絶対何か勘違いしてる。修正も面倒なので、そのまま家を出た。

 秋の明るく柔らかな日差しが景色を光らせる。天気も良く今日と言う日を祝福しているかの様だった。

 和はどんな服装で来るかな?

 私服の和は今日初めて見る。似合う服だと白のワンピースとかが合いそう。清楚なお嬢様のイメージが強くなる。でも「服は機能性で選んでるの」とか言ってジャージで着たりもしそうだ。想像すると、結構似合う。男子部員憧れの女子マネージャーみたいな感じ。あとは「校則にあるから」と言って制服でくる姿も考えられる。個人的には、デートらしい服が見たいなーと思うけど。

 頭を和でいっぱいにしていると駅に着いた。

 待ち合わせは電車の最後尾にしている。和の最寄り駅はこの駅から四つ先にある。目的地は七駅目にあたる。駅前での待ち合わせにすると知らない人によく声をかけられるから、電車内での待ち合わせとした。

 改札を抜けて電車を待つ。ただ待っているのは落ち着かなくて、携帯のメモ帳に記した『今日のやるかもリスト』をおさらいした。

 間もなくして電車が来た。乗り込んでみると、座席は埋まっているが車内は空いている方だった。これなら和を見つけられそうだなと安心する。壁際を確保し、背中を預けた。

 それからの三駅はあっという間だった。電車がホームに入ると、私はどきどきしながら、ドアの窓から外で並ぶ人達を覗いた。

 一目で分かった。

 ドアが開いて、並んでいた人たちがぞろぞろと入ってくる。

 好きだからか、他人が見てもそうなのかは分からない。でも他とは全然違って、そこだけ構成物が異なるかのように浮いていた。

 白のワンピース姿。清廉な服から伸びる白皙の腕は生物的で艶めかしい。若者が信奉する尖った美しさではなく、柔らかく、無駄のない、調和の元に完成した美しさがあった。

 服装は私の予想の一つ、白のワンピースだったけれど、想像よりずっと良い。

 和はこちらに気付くと笑顔になって私の側に寄った。

「おはよう。真央」

「おはよう」

 私は客観的にみて綺麗な挨拶を返した。

 好きな人が物語から出てきたような姿で自分に笑いかけてくれることに、自分と和の間だけで完結しない、他人の目を意識した、誇らしさを感じた。

「綺麗」

 ため息を漏らすように、口から零れた。

「そう? ありがとう。真央も、とってもかわいいわ」

 和は嬉しそうに笑って、私のことも褒めてくれた。

「そ、そう。かな……」

 思わず、相好が崩れる。

「へへ」

 だらしない声まで漏れ出てしまった。

「……えいっ」

 和が悪戯っぽい声を上げる。直後、頬に柔らかい感触があった。

 和はもう離れている。でも感触は確かで、和は今、悪戯っぽい瞳で私を見ていた。

 遅れて、何をされたか理解する。


 ――和が突然飛び掛かって来て、頬にキスをした。


「な、和!?」

 突然の攻撃に目が回る。たたらを踏んで、壁で背中をバウンドさせる。頭の片隅でヒールじゃなくて良かったと思った。

 和の顔を改めて見ると、いつもどおりの平静な表情をしていた。

「電車が揺れたの、ごめんなさいね」

「え、えいって……いった」

「そうだったかしら」

 和はとぼけたように言った。

 さっきの感覚を、思い出す。柔らかくて、温かかった。あと、どんなんだったっけ、動転して、ちゃんと覚えていない。

「……もう一回して、さっきの」

「ダメよ。電車が揺れた事故ですもの」

「ぅ……あ、今、今揺れたよ……!」

「もう、だめよ。皆に見られたらどうするの?」

「見られたっていい。見たい奴らには見せとけばいい」

「あらあらずいぶん変わっちゃったわね。まだデートは始まってもいないのよ?」

「私にとっては和といることが大事。デート内容とか、割とどうでもいい」

「結構ぶっちゃけた話よ、それ。いいの?」

「あぅ」

「じゃあ、今日のデート、楽しませてくれたらしてあげるわ」

「ほ、ほんと?」

「うん」

「じゃ、じゃあがんばる!」

 幼児退行したみたいな私の言葉に和は呆れもせずに笑ってくれた。


  ***


 映画を観終わって、昼食にイタリアンレストランに来ていた。

 以前友達と来たことがあるお店で、美味しかった記憶がある。テレビでも紹介されたことがあるそうだ。店は混んでいて外まで並んでいたが、客席数が多く回転が良かったため、さほど待たずに入ることができた。

 私が頼んだのはトマト系が好きなのでアラビアータ。和はカルボナーラを頼んだ。

 注文を終えた後、和に話しかける。

「映画どうだった?」

「面白かったわ」

「そっか。良かった。私も好き」

 実際良かったと思うけれど、そもそも和と一緒に見た映画がつまらない訳ない。つまらなくても面白かったことにする。思い出だもん。

「真央はよく映画を見るの?」

「ん、いやー、たまに? 年一、二回ぐらいかな。和は?」

「気が向いたら、映画館に来るわね。年間四本ぐらい見るかしら」

「へー結構見るね。おすすめとかある?」

「『君の声』は面白かったわ」

「ああ、テレビでも話題になってたね。まだ見てないなー。今度見てみよう」

 映画を見るという話から、ふと気になる。

「和って休みの日は何してるの?」

「テレビを見て、読書をして、勉強して、出かけたら買い物をして、映画見たり喫茶店に寄ったり、かしら」

 和が指を折りながら挙げた。

「趣味とかはないの?」

「特別なものは無いわね」

「そっか、私も趣味ない。休日の過ごし方も和と大体同じだな。……まあ、勉強はしないけど。……そういえば、来年どうする? 受験か推薦か」

 来年は文系でも受験と推薦でクラス分けがある。私は推薦で考えていたけれど、和が受験するなら私も頑張ってみようかなと思っていた。

「推薦にするつもりよ」

「ほんと? 大学はそのまま上がるの? それとも志望校とかあるの?」

 通っている学校は中学から大学までエスカレーター式で上がれる。そのまま上がるなら人数制限は無いけれど、他の学校に行くなら基本的に定員一名だ。

「そのまま上がるつもり」

 その言葉を聞いて、安心する。

「そうなんだ。私も、そのつもり」

 ずっと一緒にいたいなんて言ったら引かれるかな、と思って、自分の指針だけ申告した。直後にもっと引かれそうなこといっぱい言っていることに気付くけど、まあ言い過ぎも良くない。

「でも、受験しないのに勉強するんだね。私、試験前しかしない」

「わたしはむしろ試験前でも授業範囲の勉強をしているわ」

「へぇ。珍しいね。日ごろ勉強していれば必要ないのかな。和って成績良いの?」

「クラス内だと、一から五番を行ったり来たりね」

「めちゃくちゃいいじゃん!」

 想像以上に良かった。うちの学校のレベルだと、国立大も狙える。

 自分の思ったことに胃の入り口がぐっと重くなる。でも、大切な人の大切なことでもある、少し張った唇で紡ぐ。

「あんまり言いたくないけどさ、それなら、受験した方がいいんじゃない?」

「どうして?」

「頭いいんだし、もっとレベルの高い大学狙えるじゃん」

「受験ってとっても勉強しないといけないでしょ? だから嫌」

 子どもっぽいけど、ストレートで和らしい返答だった。

「親とかは何も言わないの?」

「言わないわ。自由にしろって」

「そう。まあ私的には……良いんだけど」

 能力があるなら、将来、頑張らなかったことを後悔しないかな、と思う。もし後になって、私といた思い出も、後悔の選択による思い出になったら、嫌だな、と思った。

「わたし、今の世界ってあんまり好きじゃないの」

 和はいきなり壮大な言葉で話を始めた。

 私の様子を見ての話しだと思うけれど、こっちの気持ちとしては歯車が外された気分だった。でも、和の様子を見てみると、和の中でこの話は、しっかり繋がっているみたいだった。

「世界は進歩を望むでしょ? だから進歩しないと蹴落とされる。そのせいで、人は成長しないといけない。成長ってよく響きよく語られるけど、本当は只の、環境への適応にすぎないのよ。強くなる必要がないなら成長なんてしなくていいの。世界が歩みを止めれば、それで世界は平和になるのよ」

 和は何気なく、頑張らない理由を語った。その考えは壮大で、実に和らしかった。

 でも、机上の空論だと思った。

「そうかもしれないけどさ。現実問題、この世界で生きていくなら成長は必要でしょ。世界を変えられない一個人が幸せになるためには、力がないと」

 先人たちの努力で生まれた文明の恩恵をえている私たちは、後世の人たちの為により良い未来を作ろうと頑張る。世界も多分、そうあることを私たちに強要している。

私の言葉に、和はまた淡々と言葉を返す。

「昔の人たちって今の人たちより不幸せだと思う? 昔の人たちだって笑うわ。今の人たちだって自殺するわ。現代はストレス社会なんて言われて。わたし、文明レベルは幸せと相関しないと思うの。だって……」

 和は私の手を取る。返して、指を滑らせ、絡ませる。


「わたしの幸せは、こうすれば感じられるもの。愛さえあれば、幸せですもの」


 その手から伝わるものは、いつもの高揚とは別の、核に来る温かさがあった。生きていることを祝福されるような、無償の愛があった。

 これが和の本質だった。とても暖かくて、生きていることが嬉しくなって、感動に、思わず涙がこぼれた。

 和は私の涙に気付くと、何も言わず、優しく微笑んで拭ってくれた。

 和は凄いな、と思った。同時に、もっと近かったらいいのに、と思った。

 私の全てが和になっても、和の全てが私になることは無いんだろうな、と悟った。


  ***


 完全に日も落ち、夜になった。デートの最後に公園に来ていた。ベンチに二人、並んで座っていた。

 風が吹くと、木の葉の擦れる音が涼しげに届く。耳を澄ますと、街の喧騒も聞こえてくる。

 ネオンの少ない公園で、その音が現実感を与えてくれる。星の薄い空を見上げて、細く、息を吐いた。

「楽しかった?」

「うん」

「私も」

 和は温かい。夜なのに、声を聴いた瞬間、日だまりができる。

「……なご」

 吸い寄せられるように、自分の大切なものに気持ちを寄せるように、口から純粋な音が飛んだ。

 言った後に、意味を付与する。宙に飛んだ言葉を手繰って、思いを載せて飛ばし直す。思いと行動の連結を作り、手を伸ばして、和の手に重ねた。柔らかい肌から体温が噴き出ていて、気持ち良かった。

 和は何も言わずに、手を返して指を絡めた。思いを返してくれたことが嬉しくて、手を重ねるだけのつもりだったのに、先の求めが顔を出す。胸が開いて空白を作り、食べ物をせがむようにだらしなく待つ。

 空腹による切ない疼きが叫ぶまま、欲しいものを加工しないで吐きだす。

「……キスして」

 求めると、和はすぐにしてくれた。楽しませてくれたらと、約束した頬へのキス。温かくて、柔らかくて、気持ち良くて、でも、私の求めていたものとは違う。私の顔で何が欲しかったかは、和も分かっているはずだ。

「口は、ダメなの……?」

 和は困ったように笑った。

 私の言葉に、和は黙って答えをくれない。

「……真央。真央は女の子が好き?」

 数拍の間を置いて、和は諭すような口調で言った。

「違う! 和だけ。和が好き」

 女の子が好きなわけじゃない。和だから好き。本心だ。そしてだからこそ特別だと、伝えたい。

「なら、わたしは貴女にキスできないわ」

 思いは切断される。和も私のこと、思ってくれていると思っていた。私ほど、熱は無いと分かってもいたけれど。

 胃の入り口がきゅっと締まる。開いていた胸の口は半分ほど閉じた。

「どうして?」

 現実に向き合おうと、醒めた目で和を見ると、彼女は落ち着いていて、私の不安定さを支えるように、深く根を下ろしていた。そこにはちゃんと愛情があった。繋いでいる手のぬくもりはずっと変わらず、そこにあった。

 和の思いを私情で曲げないように先入観を排して答えを聞く。

「友達はキスをしないもの。キスをしたら、友達を越えてしまうわ。そして、戻れなくなる」

「……どういうこと?」

 純粋な問いを投げる。和は優しい口調で答える。

「真央は今、わたしとキスをしたいと思うほど、わたしのことを好いていてくれているみたいだけれど、その思いはきっと、この先無くなる」

「そんなこと……!」

「あるわ」

 どうしてそんなことを言うのか、私はこんなに好きなのに、ありえない。寂しさに怒る私を、和は制した。落ち着いた和に、いつも正解を出す和に言われて、基盤がぐらぐらと揺らぐ。

「貴女は女の子だもの。女の子が女の子にキスしたいだなんて、一生続く気持ちなわけないの。今のあなたは違くても、未来のあなたはそうなるわ」

「そんな……」

「そして、何度もキスをして、愛を育んで特別になった相手と、未来に特別な感情を失ったあと、果たして普通の友達に戻れるかしら。ただ会って話をして、笑いあうだけの中に戻れるかしら。昔を思い出せば、二人の関係を繋ぐ記憶は、その時旦那としているようなキスの記憶なのよ?」

 和の言葉が、深く心臓に突き刺さる。

「長く、一生の友達と思いあうような関係でいるなら、わたしは貴女とキスできない。せいぜい学生時代の間ぐらい、華々しく燃え尽きさせたい関係でいいのなら、わたしは貴女と、キスをしてもいいと思っているわ」

「どうする?」と和は問いかける。私は胸を抑える。『どうしてそんなひどいことを言うの?』と和に訴えたい。キスはしない。それ以上はしない。それはもう、今以上はないと言うことだ。キスまで行けば、その先も、妄想の中ではあったのに。

「……くるしいよぉ」

 涙が出てきた。隣に幸せがあるのに、掴みにいけない。和の口から出る将来像が心を縦に割いた。女同士でなければよかったのに、こんなに、こんなに好きなのに!

 しゃくりあげる私を和はそっと抱きしめた。

「友達ですることは全部しましょう。おばあちゃんになっても一緒にお話ししましょう。葬儀では誰よりも汚く、泣いてあげるわ」

「…………うん。なんか変だけど……そうなりたい」

 抱きしめてくれる和に身を預ける。和の温かさが少しでも多く欲しくて、体が多く当たるようにすり寄る。

「我慢する。キスも、それ以上も我慢する。だからもう少しだけ、このままいさせて」

「うん」

 精一杯和に甘えると、和は私の頭を優しく撫でてくれた。

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