2 太郎の竜宮城

 三日が経ちました。


 海面に反射する眩しい陽光が、太郎の母親の黒い背中を縁取っていました。


 あの日から、太郎の母親は太郎の消えた浜に坐って動こうとしませんでした。

 人に話しかけられても、言葉を忘れたように俯いて一言も口をききません。


「太郎さんは、どこに行ってしまったんだろうなあ」


「あんなに凪いだ海だったのになあ」


 その背中を見守りながら、助かった子どもたちがぼそぼそと話をしていました。


 お俵も勘八も三吾もひどく気が咎めていたのです。太郎がくれると言った仏様も、どこかに消えてしまいました。




「太郎はね、いまごろ竜宮城で遊んでいるの」


 いきなり母親が口をきいたので、子どもたちはびっくりしました。


 太郎の母の膝元には、鮮やかな黄色い都草の花が風に揺れていました。




「竜宮城?」


「太郎は亀を助けたから、恩返しに竜宮城に連れていって貰ったの」


 子どもたちは、大きな亀にまたがって海の底へ悠々と降りてゆく太郎の姿が目に浮かびました。


「ほんとう? 太郎さんは、すごいなあ」


「おらも竜宮城に行きたいなあ」


 子どもたちは、太郎の幸運をうらやましがりました。


「竜宮城って、どこにあるの?」


 勘八が訊きました。


「深いふかい海の底。紅珊瑚や宝貝でこしらえた、それはそれは美しいお城です」


 母親は夢を見るように頬笑みました。


「竜宮城には誰が住んでいるの?」


 お俵が訊きました。


海神わだつみなる龍王様とその眷属がお住まいです。大亀は娘の乙姫様の大事な家来でした」


 気まずい沈黙が流れました。


「おら、石ぶつけちまった」


 勘八がベソをかきました。


「おら、丸太ん棒で殴った」


 三吾は俯きました。


「亀の無事を喜んだ乙姫様は、御礼に珍しい宝物を見せてくだすったり、御馳走を振るまったりしてくだすっているのよ」


 二人のつぶやきは、太郎の母親には聞こえなかったようでした。


「太郎さんは、いつ帰ってくるのかなあ」


 お俵がそっと尋ねました。


「あの子のことだから、すぐ帰ってくるでしょう。でもね、竜宮城の一日は、人の世では百年にもなるのよ。だから急いで帰って来たとして、ずいぶんと先になるわね」


「ええー?」


 子どもたちはすっかり驚いて叫び声をあげました。


「百年も、おばちゃんはどうするの?」


「ここで待ってるわ」


 太郎の母親は、目を細めて黄色い都草を眺めました。誰かが、この花に「また会う日まで」と花言葉をつけたのは後の時代のことでした。


「だって、そんなにながいこと……」


「大丈夫よ。石になっても、お母さんはここで太郎を待っていますよ」


 太郎の母親は、仏様のような横顔で海の彼方を見つめました。

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