4 太郎の三百年

 今朝の朝日が昇る頃、太郎は疲れ果てていました。


 三日前、偶然の大波に亀鍋の魔の手から救われた亀が、助けてくれた恩に感じて、太郎を竜宮城に招待してくれたのです。

 つい、その場で誘いを受けてしまった太郎でしたが、驚いたことに竜宮城まで丸一日かかりました。まさかこんなに遠いとは思いませんでした。

 日が暮れても戻らない太郎を、母はどんなに心配しているでしょう。母のことが気掛かりで、乙姫様の勧めてくださる美味しい料理も喉を通りませんでした。

 当然、一晩過ごしただけでおいとましてきたのです。帰りも一日かかって亀が送ってくれました。


 浜辺を歩く太郎は、変わり果てた村に当惑しました。

 たった三日留守にしただけなのに、知っている者が誰もいないのです。

 辺りの景色は元のままなのに、村の様子が変わってしまいました。まるで百年も経ったかのようでした。

 太郎は見知らぬ村をさ迷ったあげくに、浜辺で網を干している漁師たちに声を掛けました。


「もし。つかぬことを尋ねるが」


「どないしたの、あんちゃん」


 夜明け前に漁から戻った漁師たちは、酒を片手にほろ酔いかげんでした。


「わたしは太郎と申す。どなたか、わたしを御存知あるまいか」


 漁師のおじさんたちは一斉に吹き出した。


「誰やねん、じぶん。けったいな奴やなあ」


「太郎なんちゅう名前、掃いて捨てるほどおるで」


「わしも太郎だっちゅうねん」


「わいかて、太郎や」


「わはははは」


「あんちゃんも飲めやー」


 漁師たちは見知らぬ旅人の冗談に大喜びで盛り上がり、太郎の話を聞いてくれませんでした。


 あちこち迷った太郎がようやく我が家と思ったところに辿りつくと、そこに家はありませんでした。古い松の木と、うずくまった女の人のような形の岩があるばかりでした。


 そこへ猫を何匹も連れた老婆が、よたよたと通りかかりました。


「もし、つかぬことを尋ねるが」


 太郎は涙目でした。


「なんやの、この子は」


「ここにあった家は、どうなりましたか」


「そんな古い昔のことを尋ねはって、どうするねん」


「古い昔?」


「そうや。三百年も昔のはなしやで。言い伝えではな、むかしむかし、ここには母親と息子が仲良う暮らしとったんやて。そしたら、その息子の太郎ちゅうのが、或る日海に出たっきり戻らんでなあ。かわいそうに」


 おばあさんは泣き真似をしました。


「ああ……」


 太郎は体中の力が抜けたように思いました。


「一人残された母親は、可愛い太郎の帰りをここでひたすら待ち侘びて、とうとう石になりよったそうじゃ。なんまんだぶ。なんまんだぶ」


「そんな……」


 そういえば、龍宮の一日は此の世の百年にあたると聞いたことがありました。


 ――この岩が、母上なのか。


 太郎は岩にすがってしくしくと泣きました。


 ――こんなひなびた浜辺の村で、女手ひとつでわたしを育ててくれた母上。息絶えるまでここで息子の帰りを待っていたに違いない。あのとき神仙のお招きを断ったら不敬に当たろうかと竜宮城へ向かったのが浅慮であった。


 猫を連れた老婆は、泣いている若者の傍を薄気味悪そうに離れていきました。





 ――そういえば。乙姫様から不思議なものを預かったな。


 太郎は懐から、掌に収まるほどの小箱を取り出しました。


「これをいつも身につけていてくださいまし。決して開けたりしないでね」


 帰り際に愛らしい頬を染めて乙姫様が言ったのです。


「これは、なんですか」


 そのとき太郎は尋ねたのです。


「龍宮の玉手箱です。これさえあれば、わたくしたちは、またいつでも逢えるのです」


 そう言って、乙姫様は恥じらうように俯いたのでした。

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