あたしの知ってる「飯テロ」と違う!!

りま

前編 帰ってきた女

 月曜日。

 いつもより一時間も早く家を出たから、ミヤが登校した時、二年二組の教室にはまだ数人の姿しか見えなかった。

 窓際の後ろの席で机に突っ伏している坊主頭は、野球部のエース、岡田くん。授業開始の直前まで、なるべく騒がず寝かせてあげるのが、このクラスの暗黙のルールだ。

 一番前の席で原稿チェックをしているポニーテールは、放送部の佐々木さん。今週はお昼の校内放送の担当なのだろう。

 教室の後ろ側から入ったミヤと入れ違いに、前から出て行ったメガネ男子は、片桐くん。入試の成績は学年トップで、今は飄々と十位前後をキープしている。

 真ん中の列、前から三番目の席では、河合静香が文庫本を読んでいる。癖のある栗色のショートヘアが、なぜかすごく懐かしく感じて、知らず知らず笑みが浮かんだ。


「おはよーシィちゃん。ねえ聞いて聞いて、あたしメッチャ面白い夢みた」


 カバンを机に放り投げ、静香の前の席を陣取って横座りする。佐々木さんが振り向いたので「おはよー」と手を振り静香に向き直ると、彼女は目をみはってミヤを凝視していた。


「え、ミヤ?」

「へへー珍しいやろ。いっつもあたし、滑り込みセーフやもんね」


 得意気に胸を張るミヤの、ざっくりラフに編んだ長い髪に目を走らせ、「うわ、本物や」と呟いた静香は、読みかけのページに栞を挟んで本を閉じた。


「おはようミヤ。で、一体何があったん」

「あのね、夢の内容忘れんうちに早よシィちゃんに話そうと思って」

「夢?」

「そう。先週の月曜から昨日の朝まで、あたし、どっか違う日本に行ってたんよ。そういう設定の、すっごいリアルな夢」


 片桐くんが教室に戻ってきた。ミヤを見て怪訝な顔をしている。彼にもおはようと手を振って、ミヤは続きを話し始めた。


「最初は、ちょっと違和感があっただけなんよねー。家具の配置とか、窓の外の景色とか、お店の看板の色とか。カナもおらんし。ちなみに制服のリボンは赤やった」


 半袖ブラウスの胸元を飾る青いリボンを指先で摘まむ。


「で、学校に行ったら」

「ちょいまち!」

「ん?」

「あんた今サラーッと流したけど『ちょっと違和感』で済ませてええの? カナちゃんがおらんって、それ大ごとやん」


 カナはミヤの妹で、二才下の中学三年生だ。顔立ちはよく似ているが、髪は男の子みたいなベリーショートで、ミヤより二十センチも背が高い。

 

「うん。そういえば顔を見んなー、バレー部の朝練かなーって思ってたら、カナの部屋、物置になっとった。後で分かったけど夢の中ではあの子、母親側に引き取られてて」


 複雑な表情の静香に、ミヤはあれ? と首を傾げた。


「言うてなかった? うち再婚で、ママとあたしら血ぃ繋がっとらんの」

「え、ミヤんち、おかあさんとメッチャ仲ええやん」

「うちのママは最高ですから」


 廊下から美しいソプラノの笑い声が聞こえる。合唱部の桜井さんと演劇部の篠原さんが登校してきた。家族自慢の余韻を残した満面の笑みで、二人に手を振ると、ミヤは話を戻す。


「それより、シィちゃんに一番聞いて欲しいんはweb小説サイトの話。これが、同じようでいて微妙に、絶妙~に違うの」

「聞きたい」


 静香は目を輝かせ、身を乗り出した。

 二人は、複数の小説投稿サイトに会員登録している。

 ミヤはもっぱら読み専で、ブックマークの利便性や、作者に感想を届けたいという目的からアカウントを作った。そして静香は、読むだけでは飽き足らずに、自分でも小説を書き始めた。既に複数の作品を完成させてwebで公開中だと知っているのは、今のところミヤだけだ。

 静香の食いつきの良さに満足げに目を細め、ミヤも顔を近付けて声を抑える。


「まず『カクヨム』」

「うん」

「サイトを開いたら、そこは『カケヨメ』だった」


 ブフッと吹き出して口元を覆う静香に、さらに畳みかける。


「『書け読め』やで? 何でそんな命令口調なん、びっくりしたわ。そんで『小説家になろう!』は『小説家になれば?』だったし『読もう!』の方も『読めば?』なんよ」

「ちょ、やめて、しんちゃんの声真似やめて」

「でね、ブクマやフォローしてた小説が、全然知らんタイトルに変わっとるの。ランキング見ても、知っとる作品ひとつも無かったし。そもそも人気ジャンルの傾向自体が違うんよね」

「例えば?」

「んー、俺TUEEE系の話もあったけど、主流じゃないみたい。代わりにメッチャ多かったんが『ヨメスゲー』系」

「よめすげー?」

「えっと、何か書くもの借りていい?」


 静香は机からノートと筆記用具を出す。開いたページにミヤが走り書きしたのは、『嫁SUGEEE』。


「チート持ちがヒロインの方でね、色んなバリエーションがあって面白かったよ。能力を隠して、旦那さんや恋人を陰からサポートするんが定番やけど、ダーリンの危機にブチ切れて、パワー全開で敵を蹴散らす話、あれは最高にスカッとした」

「ああ、ミヤそういうの絶対好きやろ」

「大好物! 書籍化されるような人気作は、旦那のキャラも凄い魅力的でね、ヒロインが全力で支えたくなる気持ち、よう分かるわ。暇さえあれば読みまくったよ。ランキング上位、ほぼ嫁SUGEEEやったし」

「『カケ』だけに?」

「そう『カケ』だけに。誰が上手いこと言えと」


 俯いてクスクス笑い合う二人の頭上を、登校して来たクラスメイト達の朝の挨拶が飛び交っている。「他には? どんなのがあったん」と静香が続きを促し、なかなか笑いの発作が収まらないミヤもようやく顔を上げた。


「えーとね、毎日更新を楽しみにしてたんが……あー、あれもう読めんのか。最終回まで読みたかったな」


 これも、耳で聞くより目で見た方が良いだろうと、ミヤがノートに書いたのは、

『ちゃれんじバツいちねんせい! ~親権ゼミ 養育講座~』


「えっ何これ、面白そう。メッチャ気になる!」

「面白かったよー。舞台が異世界で、法律の設定はゆるかったけどね、シングルファーザーと可愛い幼児の会話がたまらんのよ。ほっこりして時々泣けるんよ。はぁー……続き読みたい」


 ノートの✖印を指でなぞりながら溜息をく。


「応援コメントで『題名ヤバくないですか?』って心配されて、いつの間にかタグに『ベ〇ッセに怒られる』が追加されてたんも、ツボやったわー」

「そんだけ細かく覚えとるんなら、再現出来るんちゃう? ミヤ書いてよ。そんで、あたしに読ませて」

「丸写ししたら盗作やんか。それより、大まかな設定だけ教えるから、シィちゃん書いてみん?」

「いやいや、自分で書きぃ」

「えー、シィちゃんの文章で読みたい」


 静香はノートに目を落とし、ミヤが書いたタイトルを確認した。


「でもあたしが書くなら……こうかな」


 シャープペンシルを手に取り、余白に書き込む。

『続・親権ゼミ 孝行講座』


「おー、子供視点!」

「十年後なら年齢設定が今のあたしらと近付くし、そしたらネタも……いや書かんけどね。……書かんってば。そんな顔してもダメなもんはダメ」

「えー書いてよー、さっき何か降りてきたんやろ? 物語が。いてっ」


 静香に物語が降りたかどうかは静香のみぞ知るが、今、ミヤの頭上には弁当箱が下りて来ている。


「これ、おばちゃんから」

「あー、なんかカバン軽いと思ったら。ありがとー」


 あははと手を伸ばすミヤに呆れ顔で弁当箱を手渡したのは、ミヤの家の隣のアパートに住む尾崎くん。くりっとした大きな目と右頬の笑窪が印象的な、クラスのムードメーカーだ。彼は笑顔がデフォルトなので、二組の空気はいつも和やかである。


「そうだ、オザキにこれだけは伝えとかんと」


 ミヤはキリリと表情を引き締め、傍らに立つ童顔の幼馴染を見上げた。


「金髪は止めとき」

「は?」

「絶対、止めときーよ? 夢ん中で金髪ツンツンに逆立てたオザキ見たけど、これが全っ然、似合わんの。もう指さして盛大にわろたったわ」

「えっ俺、不良なん?」

「さー不良かどうかは知らんけど、金髪は似合わん。そんでオザキんとこのアパート、何でか駐車場になっとった」

「はぁ!?」


 ただでさえ大きな目を真ん丸に見開いて、尾崎くんは固まっている。


「え、俺んちどこ行ったん」

「大丈夫、夢の中の話やし」

「まじかー……」

「もー何でそんなショック受けとんのよ、夢やってばー」


 けらけらと笑い飛ばして弁当箱に鼻先を近づける。「ん~、唐揚げのにおい~」とうっとり目を細めたミヤに、「カバンくらい置かせろや」と文句を言いつつ、尾崎くんはスマホだけ持って廊下に出て行った。そう、ミヤが占領しているのは尾崎くんの席なのだ。


「唐揚げで思い出した」


 顔の前に弁当箱を捧げ持ったまま、ミヤが静香に向き直る。


「嫁SUGEEEを読み尽くしたから、次は美味しいもの食べて幸せになる話が読みたくて『飯テロ』で検索掛けたんよ。そしたら」

「そしたら?」

「思ってたんと違うんが、出てきた」


 弁当箱を抱きしめて、ミヤは悄然と眉尻を下げる。


「『カケヨメ』の飯テロ、まじでテロやった……」

「え、残酷な描写あり?」

「いや一応コメディやったけど。シィちゃん前に言うてたろ、異世界の食文化を無視してマズいって決めつけて、そんで自分の味覚に合うもん押し付けて絶賛されるなんて、意味がわからんって」

「あぁ……うん、言うたかな……」


 次は飯テロものを、というミヤのリクエストを断る時に、そんな理屈をこねた気がする。だって静香は、料理が出来ない。正直に言うと、苦手分野から逃げたのだ。


「夢で読んだのが、正にそれを皮肉った話でね、こっちに迷い込んだ異世界人が、彼らの思う『美味しいもの』を広めようとして大惨事になるん。例えば、納豆やくさやしか美味しいと思えん子が、ある日世界一臭い缶詰の存在を知って、えーと何やったっけ、シュ、シュ―……」

「シュールストレミング」


 右斜め前から正解が飛んできた。「それ! さすが片桐くん」ミヤの素直な賞賛にふっと頬を緩め、眼鏡のブリッジを押し上げている。


「その缶詰を『美味しいもの食べさせてあげる』って無防備に開けて、ホームパーティ阿鼻叫喚」

「うわぁ……」

「別の短編では、ようやく故郷の味に近い調味料を見付けて、居候している家の娘に食べてもらおうと、自慢の手料理を持っていくんよ」


 ミヤの声は、怪談噺のように次第に低くなっていく。


「一回の食事で一味を一瓶カラにするような、超激辛好みの異世界人が。自分の味覚に合った『美味しい手料理』を――合唱部に所属する、娘の差し入れに」


 ひぃぃぃっ! と甲高い悲鳴が複数、至近距離から響いた。ビクッと肩を揺らした静香の左斜め後ろ、桜井さんの席で、篠原さんと佐々木さんも一緒に肩を抱き合い、ガタガタ震えている。


「テロや」「まじ最悪のテロやわ」「許し難し……!」


 合唱部・演劇部・放送部。美しい声と豊かな声量を誇り、喉のケアには人一倍気を遣う三人だ。


「ご、ごめん聞こえとった? 大丈夫、現実やないから」


 三人をなだめようと腰を浮かせ――ミヤはようやく周囲の様子が目に入った。静香の席を囲むように、クラスメイトの人垣が出来ている。何という人口密度の高さよ。

 ぽつんと窓際にいる岡田くんが、ゆっくり上体を起こすのが見えた。人垣越しにミヤと目が合い、眠そうにボソッと呟く。


「なーんじゃ、おしとやかなんは帰ってしもうたんか」


 誰の話? 何の事?

 ミヤは周囲のニヤニヤ顔に戸惑いつつ、答えを求めて親友の方を見た。走り書きページに頬杖をついて、静香が衝撃の一言を放つ。


「あのね、先週こっちにも来てたんよ。向こうのミヤが」


 ――はい?


「アナウンサーみたいに綺麗な標準語でね」「手の込んだ髪型も素敵やったね」佐々木さんと桜井さんが頷きあい、「同じ顔でも印象が全然違うの。今後の役作りの参考にする」大人びた仕草で篠原さんが髪をかき上げる。

「選択肢を間違えたらどうなるか、教えてもろた。学年首位なんかに拘らんで正解やったな」メガネのブリッジを中指で押し上げながら、片桐くんが笑う。

「で結局、俺んちどこ行ったんよー」人垣の後ろで飛び跳ねながら、尾崎くんが口を尖らせる。

 岡田くんは、あくびして二度寝。


「ミヤ~? その様子じゃ向こうでも自由に動き回って、色々やらかしたね」


 にんまり笑った静香が、壁の時計にチラリと視線を走らせた。


「その辺、詳しく聞かせてもらおうかな。昼休みにでも」


 だって、あれは夢で――その筈で。

 この一週間のあれこれを思い出し、ミヤの顔がサーッと青くなる。

 うきゃあ~という間の抜けた悲鳴をかき消すように、チャイムが鳴った。

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