昔、出会ったときに
杜村
その1
雷が怖い。それはもう、心の底から怖い。
イクロウは、それが尋常ではない程だと正しく認識していた。
中学生の頃、授業中に激しい雷が鳴ったことがある。
いわゆるゲリラ豪雨だった。
十分に明るさのあった空がまさしく【一天俄かにかき曇り】という速さで暗くなり、【バケツをひっくり返したような】雨が降り始めた。
イクロウがこれらの表現を意識したことがあるのは、この思い出においてのみである。
「窓閉めろ、窓!」
誰に怒っているのか、その時授業を担当していたオカムラは、青筋を立てて怒鳴った。
言われるまでもなく、窓際の生徒たちは窓を閉めようとしている最中だった。
怒鳴ったオカムラに対して怒りを感じたのは、イクロウだけではあるまい。
英語の授業中だった。
定年まで数年を残すのみというオカムラは、ALTのトーマスが来校する日には逃げ回っているという噂だった。英語教師のくせに、英会話ができないからという理由で。
その噂を知ってか知らずか、いつもは時が過ぎればそれでよいと言いたげな、平坦な授業を進めるだけだった。大きな声を聞いた者すらいなかったはずだ。
今にして思えば、オカムラも雷が怖かったのではないだろうか。
イクロウは、そうぼんやりと考える。
「女子、ぎゃあぎゃあ騒ぐな!」
そう怒鳴られても、クラスの女子のほとんどが、稲妻が走ったといえば叫び、雷鳴が轟いたといえば叫んだ。
机の下で両手を握りしめ、つられて叫んでしまいそうな自分を抑えていたイクロウは、斜め左前の席のサカノシタが、うっとりと窓の外を眺めているのに気が付いて、驚きのあまり恐怖を忘れた。次の雷鳴が轟くまでの、ほんの一瞬ではあったが。
ろくに成立しなかった授業が終わっての休み時間、サカノシタは椅子の背に肘をかけてイクロウを振り返った。
「半分は、ふりだよね」
彼女が、くいっと顎で示したのは、連れ立って教室を出て行く女子たちだった。雷鳴は遠く間遠になっていたのに、まだきゃあきゃあ騒いでいる女子たちだ。
「平気だってのも、逆のふりか?」
つい、そんな言葉がすべり出た。
サカノシタはふふっと笑った。
「いやあ、雷って好きだもん。命にかかわらなければだけど」
そのときの彼女の、楽しげな表情を思い出すと、イクロウはどうにも釈然としない。
「砂漠の真ん中で、金属ベルト巻いて一人で立ってるのは嫌だけどね」
「砂漠の真ん中に、雷は落ちないだろう」
「何言ってんの。フルグライトって、知らないの?」
一瞬むっとしたイクロウだったが、サカノシタの表情を見て苛立ちはすっと消えた。馬鹿にして言ったのではない。話したくてうずうずしていただけだろう。切れ長の瞳が、きらきらと輝いていた。
「雷の威力ってすごいんだって。砂つぶが一瞬で溶けて石ができちゃうんだから」
「へえ」
「それがフルグライト。現物見てみたいよね」
その日から、イクロウは雷鳴を聞くたびに、軟式テニス部のエースだったサカノシタの、日に焼けた横顔を思い出す。
インド人みたいだと言われるほど、目鼻立ちがくっきりした彼女は、女子には崇められ、男子には敬遠されていた。
身長は165センチくらいだっただろうか。
背の順に並ぶと長らくクラスで一番前だったイクロウからすると、上から見下ろしてくる存在だった彼女。
一対一で話をしたのは、その一回きりだった。
母校の中学校の運動部で、県大会以上にまで進めるのは彼女のペアだけだった。
全校朝礼で何度となく戦績を讃えられていた彼女は、一回だけ気まぐれで下界に降りてきた、天界の存在だったのだ。
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