第二話 和泉アキラは経験者
「和泉アキラ、入部希望です」
屋上に一人現れた少女は、そう言い放つ。
その少女は、黒髪を肩の上で切りそろえていた。目は鋭く、肌の色は白い。
その澄んだ声色もあって、冬を思わせるような少女であった。
身長はしぐれより少し高いだろうか。
おそらく、一六〇センチ台中盤。
制服のスカートから伸びる脚は、引き締まっているが太い。
筋肉が詰まっているであろうことは、誰の目にも明らかだった。
少女の言葉を聞いて、残り三人は、三人とも目を丸くしていた。
三人の視線を受けて、アキラと名乗った少女はなんとも言えない居心地の悪さを覚える。
「えっと……あの、和泉アキラ、です。入部希望……なんですけど」
アキラと名乗った少女は、先ほどよりも少し勢いが削がれた語調でそう名乗る。
「絢羽」
「陽子」
七嵐と天本が視線を交差させる。二人揃って、首肯した。
「Goッ」
「ラジャッ」
天本からのゴーサインを受けた七嵐は、跳躍してアキラの近くに寄る。
「はいはいっ! 入部希望ならそこに突っ立っていないで、中に入る入る!」
七嵐はそう言ってアキラを中に誘導し、屋上の入り口を固く締めた。
しぐれはそれを見て、(あ、逃げられないようにしたな)と思ったが、黙っておいた。
そんなしぐれのことを知ってか知らずか、七嵐は「いやあまさか二人も釣れるなんて、爆釣爆釣……」とぶつぶつ呟いている。
いや『釣れる』ってどうなの、と思うしぐれであった。
「さて、和泉さんだっけ、この部活なんだけどー」
「わかってます」
「ありゃま。……まさか、経験者?」
「ええ、中学から……やってました」
「あ、そうなんだ。ちょっと一戦やってみる?」
七嵐がそう言うと、アキラは口に微笑みを湛えて、
「よろしくお願いします」
と返した。
○
七嵐とアキラは、屋上の中央付近に立っていた。
「いやあ経験者が来てくれるなんて嬉しいね」
「……経験者、と言っても、そこまで……」
「おやおや謙遜かい? 慎み深いねえ」
「……謙遜なんかじゃ……いえ、やりましょうか」
七嵐が目を細め、アキラが歯切れの悪い言葉を返す。
「そうだね、やろうやろう。戦った方が、手っ取り早い」
七嵐がそう言って、二人して能力を起動させた。
七嵐はしぐれとの戦いで使ったナイフを抜く。
ただ、しぐれ戦とは違うところがある。
しぐれとの戦いで七嵐が使ったナイフは、全部で三本だった。
しかし今は、五本。
腰の左右、両太腿、そして背中に一本、鞘がある。
「……手、抜かれてたか」
しぐれがそう残念そうに漏らす。
「…………それでも、陽子は負ける気は無かったと思うよ」
しぐれの独り言に、天本がそう返す。
「……そう、なんですかね」
俯き気味だったしぐれが、天本の声を聞いて顔を上げる。
「ええ、そうよ。陽子、あれでもかなり負けず嫌いだから」
「……そうですか」
天本の言葉に少し救われた気持ちになりながらも、しぐれは自身の手に持った鈍色の玉を見つめる。
もっと強くなりたい、と心の片隅で思うしぐれであった。
「そういえば先輩」としぐれ。
「……あら、先輩と呼んでくれるのね」
天本は柔らかい口調で、嬉しそうに目を細める。
「えっと、その……はい」
しぐれは天本の反応に対し、少しこそばゆくなって、一度目を逸らした。
「で、どうしたのかしら?」
「この玉、名前はなんていうんですか?」
「ああ、それは“触媒”って呼ばれてるわね」
「触媒……」
しぐれは自身の得物に変化する、鈍色の玉に目を移す。
触媒、と呼ばれた玉。
ぱっと見れば何の変哲もない玉なのに、磁力を持つナイフに変化したり、炎を放つ棒に変化したりするから、不思議だ――としぐれは思った。
「そう、私たちの奥底に眠る能力を起こすための触媒。なんか最近の研究で発見されたとかなんとか……らしいよ」
「なんていうか、曖昧な感じの知識ですね。……ああいえ、先輩のことをどうこう言っているわけじゃなくて」
しぐれがそう言うと、天本は柔らかい笑みを浮かべる。
「そんな気を遣わなくていいわよ。実際、私も人に聞いただけで、曖昧な感じでしか知らないし」
「そ、そうなんですか……。先輩、ありがとうございます」
「いえいえ」
しぐれは触媒を見て、自身の能力に思いを馳せる。
あの炎は、おそらく強力なのだろう。だが、その反面消耗が激しい。
そのことは、しぐれ自身が良くわかっている。
最後の最後に七嵐に勝てたのは、まぐれに近い。それじゃあ駄目だ、としぐれは自身に言い聞かす。
もっと能力を使いこなして、今度は完全な形で七嵐に勝利しなければ、としぐれは思ったのだった。
「烏丸さん」
「あ、はいなんでしょう」
「試合、始まるよ」
「あ」
としぐれと天本がやりとりをしている間に、アキラが能力を起動する。
「……脇差し、にしては少し長いような」
しぐれは、アキラの武器を見てそう漏らす。
アキラが手に持つ武器は、ナイフとしてはあまりに長く、刀としては短いものだった。
「……小太刀、かしら」
「先輩、わかるんですか?」
「…………まあ、昔の剣劇アクション漫画でね、そういった武器を使うキャラがいて」
「ああ、なるほど。それならちょっとだけ読んだことが」
「あ、そうだったんだ。良かったら、全巻貸すわよ?」
「え? あ、えーと……。その、考えておきます」
「前向きに?」
天本が小首を傾げる。しぐれは微笑みを浮かべて首肯した。
そんな和やかな雰囲気を展開するしぐれ・天本両名とは真逆に、七嵐とアキラは互いの視線から闘気を発散させる。
「どこからでも打ちかかってきていいよ」と七嵐。
「……そうですか」とアキラ。
アキラは小太刀を右手で逆手に持ち、体を軽く沈める。
次の瞬間。
アキラが、消える。
「なっ⁉」
七嵐が、いや、アキラを除く全員が驚愕した瞬間。
「下です」
アキラは七嵐の足下近くに迫っていた。
アキラは体をひねり、逆手に持った小太刀を横に薙ぐ。足元から七嵐を狩りに行く攻撃。
七嵐は一本のナイフを素早く背後に投げ捨て、跳躍。磁力を起動し、手に持ったナイフから微かな推進力を得る。
微かだが、大きな“微か”である。七嵐はアキラの小太刀を間一髪で回避し、間合いを取った。
「……驚いた。めちゃくちゃ
「それはどうも。……なるほど、先輩の能力は、磁力……ですか」
アキラが小太刀を一度振り、先ほどの構えを作る。
アキラの言葉を聞いた七嵐は、苦笑してお手上げのポーズをした。
「…………ご名答。……こんなに早く手品の種明かしをされるとは」
「…………似たような能力を持ってる人と闘ったことがあるので」
「……そういうこと、ね。さっすが経験者」
七嵐とアキラは、言葉を交わしつつ、互いに間合いを測る。
二人の得物、そのリーチはそう変わらない。幾分かアキラの方がリーチは長いが、それでもそれは大した差にはならないだろう。
二人の戦いを見るしぐれは、超近接戦で決着がつくと思っていた。
それは、アキラも同様に。
しかし、七嵐は違う。
「ちょっと本気……出しますか」
七嵐はナイフを四本抜き、片手の指の間に二本ずつ挟む。
「さっきまでは本気じゃなかったんですか?」とアキラ。
「いーや、あれも本気だけど、あれは正道の本気。今度は……」
七嵐が、沈む。
「邪道の本気だ」
七嵐が沈んだ姿勢のまま、ナイフを四本投擲。それらはまっすぐアキラの方に向かっていく。
アキラはそのナイフを横に飛んで回避しようとする。
が。
「はい、いっちょもらい」
七嵐は磁力を発動。
四本のナイフが、左上、左下、右上、右下、と四方向に飛ぶ向きを変える。
七嵐が、磁力を起動させてナイフを反発させたのだ。
四本のナイフのうち二本は、アキラがいる場所とは全く見当違いの方向に飛んでいく。
しかし、残りの二本は、アキラを追尾していた。
「どうだっ!」
アキラを見据え、七嵐が吠える。
しかし、アキラはにやりと笑うばかりであった。
「それは届かないですよ」
アキラは小太刀を下から上へと一振りする。アキラの小太刀、その軌跡に沿って、氷の壁が生まれた。
「氷使いかっ!」
「正解です」
アキラの氷の壁に、七嵐の二本のナイフが阻まれ落ち、乾いた金属音を響かせる。
「んにゃろう。あれを防がれるとは」
「今度はこちらから行きますよ」
七嵐が憎々しげに舌打ちをしていると、アキラが一気に間合いを詰めようと、前かがみの姿勢になる。突撃の予備動作。
「……なんてね」
七嵐がにやりと笑う。アキラの背に悪寒が走る。
瞬間。
アキラはその場で一回転して、氷の壁を自身の周囲に生み出す。
アキラの足元には、先ほど氷の壁で落としたナイフ。
そしてアキラの直前――アキラの小太刀の軌道上には、アキラの背後から飛来している二本のナイフがある。
氷の壁とナイフが空中で衝突し、甲高い音を鳴らした。
「……さっきの、ですか」
「…………あー、今のは取ったと思ったんだけどな。センスいいな君」
七嵐はアキラの周囲に散らばる四本のナイフを磁力で回収する。
うち二本は、先に落とされた二本。
そしてもう二本は、アキラとは見当違いの方向に飛んでいって、その後アキラに飛来し、氷の壁に阻まれた二本だった。
「……最初の二本は陽動で、本命はあとの二本ですか」
「まあね、そういうこと」
「……最初の二本を防御させて油断させて、どこかに飛んでいった残りの二本を磁力で戻して背後から攻撃する……と」
「……君、手品の種明かしとか嬉々としてやりそうなタイプだな……。まあ、そうだよ。防がれちゃったけど」
七嵐が小さくため息をつく。
「……いや、今のは危なかったです」
「そうかい? 君が言っても謙遜にしか聞こえないけどね」
「それは申し訳ないです」
アキラが素で謝ると、七嵐は頭を掻きつつ、
「……真面目だなあ。調子狂うなあ」と漏らした。
「では、今度はこちらから行きますよ」
アキラはそう言って、小太刀の切っ先を下げ、地面に触れさせる。何が起こるのだろうか、としぐれが注目していると――。
地面から氷の柱が出現した。氷の柱はまるで打ち寄せる波のように、七嵐へと向かっている。
「うわぁ、牽制技も持ってるよこの子」
七嵐はうんざりした口調でそう言い、横方向に飛んで回避しようとする。
アキラは、そんな七嵐を見て口の端を小さくつり上げた。
「……これは牽制じゃなくて、本命です」
アキラはそう言って、小太刀を氷の柱に向けて振る。小太刀が触れた瞬間、氷の柱は割れて、四方八方に散らばる。
「行きます」
アキラは深く沈み込み、次の瞬間、跳ぶ。
「目くらましっ⁉」
七嵐がそう叫び、ナイフを投擲して牽制。ナイフは一直線にアキラへと向かう。
宙には、氷の柱、その残骸が飛散している。
アキラは、その残骸を蹴って自身の進行方向を変える。
一度目は、右から左へ。
二度目は、左から上方へ。
現在、アキラの視界は天地が逆転している。
それはつまり、アキラの足が宙を向き、アキラの頭が地を向いているということ。
アキラは宙を浮く氷の残骸、そこに着地していた。
そして、三度目の跳躍。
逆さの体勢から、体を捻りながら跳躍。
アキラは、きりもみ回転をしながら前方へ。
そして、屋上に着地。目の前には、七嵐がいる。
一瞬の出来事に七嵐は目を丸くして、目の前に現れたアキラを見る。
「冗談……よせよっ!」
七嵐は呻く。
ナイフの投擲も、緊急回避も、間に合わない。
「くそっ!」
七嵐の取り得る手段は、ナイフによる防御のみ。
しかし、アキラはそれを読み切っている。
「取りました」
アキラの小太刀が閃き、七嵐の防御をかいくぐり、一太刀を加えた。
「……嘘だろ」
七嵐がそう漏らすと同時に、七嵐の得物は元の触媒に戻った。
「……私の勝ち、ですね」
「…………いや、まさかここまでとは」
七嵐は戦闘の当事者にも関わらず、呆気に取られた様子でそう漏らす。
「いや、見事だ。……すっごいな君」
「まあ、その……ありがとうございます」
七嵐の賛辞に、アキラは少し不器用に返した。
「陽子、ださーい」
「う、うるさいな!」
天本のからかいに、七嵐はムキになる。
「後輩に二連敗……か」
その後、七嵐は小さく呟く。その表情には、微かな陰り。
天本は目を細めて、七嵐を見ていた。
「とにかく、だ!」
七嵐は三人に目線をやる。しぐれと七嵐と視線が合い、七嵐が微笑んだ。
「これで部員は五人揃ったってわけだ! 部活として活動する基準も満たしたわけだし、めでたしめでたし!」
「……五人?」
しぐれが抱いた疑問はアキラも抱いていたらしく、アキラはその瞳に疑問を浮かべていた。そんな後輩二名とは裏腹に、七嵐は胸を張る。
「ああ、五人だ! 主将で三年生の私! 副キャプテンで三年生の絢羽! 期待の新人、烏丸さんと和泉さん! そして……、幽霊部員の
七嵐の言葉は、最後だけトーンが下がっていた。
「「幽霊部員て」」
しぐれとアキラの声が重なる。
「とにかく、今年はいけるかもしれない……いや、いけるぞ!」
七嵐が喜色を満面に浮かべて、そう叫んだ。
○
後日。
しぐれは授業を終えて、部室へと向かう。
あまりやる気はないのだけれど、入部してしまったからには仕方ない、と思うしぐれであった。
当初、しぐれはどこか楽な文化系の部活に所属しようと思っていたのだが、気がついたらちょっとおかしな体育会系の部活に入っている。
人生どうなるかよくわからないものだな、としぐれはぼんやり思うのだった。
しぐれは部室に到着する。部室の扉には、一枚の張り紙がしてあった。
「部員募集の……張り紙?」
としぐれは独り言ちるも、どうやらそれにしては装飾が簡素であることに気づく。
絵も図も、テンション高めの文字も何も無く、ただ文字だけが静かに置かれていた。
その文字列をしぐれは読み、ぽかんとする。
『廃 部 通 告』
張り紙には、そう記されていた。
「……いやいや、えっ?」
何かの間違いだと思い、しぐれはもう一度張り紙を見る。
『廃 部 通 告』
やはり、廃部通告だった。
「……えー」
独り、部室の前で佇みながら、しぐれは辟易した声を漏らす。
そして、新しい部活を探さなきゃなあ、とも思うのだった。
第二話 終わり
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